幼馴染みは止まらない
しかも・かくの
第1話
開け放されていた窓から吹き込んで来た一陣の風の涼しさに、
いつまでも暑い日が続いていやになると思っていたのだが、季節というのはやはり移ろっていくものであるらしい。
明日は長袖着てくるかな、などと思いながらむき出しの前腕をさする。
「どしたの
おかしそうに尋ねてきたのはクラスメイトの
「顔の変さだったら俺なんかより立野さんのが上じゃねえの」
「うわっ、ひどっ。平原くんって女の子にそういうこと言っちゃう人だったんだ。……見損なったよ、サイテー」
立野は顔を背けると下を向いて肩を震わせる。
「じゃ俺帰るわ」
太一は机の上に置いてあったバッグを掴んで立ち上がった。
「ちょい待ち」
立野がその手首を掴む。涙の痕跡などもちろんどこにもない。それどころか厚ぼったい唇は今にも笑いたそうにひくついている。
「信じらんなーい。ここに女の子を泣かせて平気な顔してほっぽって帰ろうとする極悪人がいまーす」
「誰が泣いてるって」
「あたしあたし」
「笑ってんじゃん」
「顔で笑って心で泣いてるの」
「そりゃ大変だね」
太一はかけらも心のこもっていない同情の言葉をかけた。
「そうだよぉ。大変なんだから」
立野が口を尖らせる。しかし太一が強く手を引くと、しぶしぶといった様子で解放する。
「いいよもう。後は自分で何とかするから。手伝ってくれてありがとね」
人の勉強を見てやるなど正直面倒極まりなかったのだが、こうして素直に感謝されればやはり悪い気はしない。
しかしそこで「分ったよ、最後までつき合うから」などと言い出したりしないのが平原太一という男だ。
「ま、頑張って」
おざなりに励ますと、さっさと教室の戸口へ向かった。
「へーい」
立野が手を振って寄越したが太一は気付かない。その立野も視線は補習用プリントの方に向いていたから、無視された格好になっても気を悪くしたりはしなかった。
もっとも。
見ていたところで別に怒り出しもしなかったろう。逆に太一が愛想良く満面の笑みで手を振り返しでもしたら不気味に思ったに違いない。
太一がちょうど教室を出ようとした時──。
「あれ、太一? ええっ、うそ、どうして?」
敷居を挟んだ廊下側でハイテンションな声が上がった。
「ひょっとしてあたしのこと待っててくれたの? やだなんで? 明日雪降るんじゃない? あっ、それとも何かあたしに用だったのかな。だったら言っといてくれれば良かったのに。ちょっとだけ待っててすぐに仕度するから!」
立野は手を休め(もっとも問題を睨んでいるばかりでシャーペンはちっとも動いていなかったのだが)声のした方に視線を向けた。太一の影に隠れて相手の姿は確かめられなかったものの、誰なのかは一発で分っていた。
もし平原太一が放課後帰りの遅くなった自分のことを待っていてくれたら、このクラスの女子のうちおそらく三割は喜ぶだろう。それでもだ、ここまであからさまな反応を示すとしたらもう一人しかいない。
「やっ、
「日直じゃなくて美化委員の……ってマユちん? えっ、何で? 意味分んないよ、どうして太一とマユちんが一緒なの? おかしいでしょそんなの」
「べんきょー教わってただけだっつの。人見、過剰に反応し過ぎ。それよか平原行っちゃったよ。追っかけなくていいの?」
「追いかけるってそんな、あたしたち別にそんな仲じゃ……ってほんとにいないし。もー、あのやろー」
人見
「ごめんねマユちん、お先!」
「はいよ。がんばってー」
バッグを掴んで慌てて走り出て行く直子の背中に立野は気の抜けたエールを贈った。
* * *
「太一、ひどい」
直子は太一を見下ろして不満をぶつける。
結果的にはちゃんと追い着くことができたものの、それは太一が気を利かせたからとかでは全くなくて、純粋にバスの運行状況がもたらした偶然だ。
その証拠に。
必死に走ったおかげで直子がようやく間に合ったバスに太一は早々と乗り込んでいて、ちゃっかりと一人掛けの席まで確保していた。
息を切らせた直子がこうして脇に立っても知らん顔だ。
「えいっ」
せめてもの抗議にと、バッグを太一の膝に投げ付ける。
「痛えな馬鹿」
太一は不平を鳴らしたがバッグを払い除けたりはしなかった。直子に突き返すこともせずそのまま膝の上に置いてくれる。
ちなみに太一自身のバッグは足元の床の上だ。直子は少し機嫌を直した。
「──珍しいじゃん。太一が女子と二人だけでいるなんて」
だけど口をついて出るのはそんな言葉だ。
「もしかしてマユちんと、なんて……?」
「お前に関係ないだろ」
直子のおそるおそるの問いを、太一は冷たく切って捨てる。
「えっ!? じゃ、じゃあ、まさか本当につきあってっ」
「ねーよ。なにマジになってんだ」
軽く涙目の直子に、太一は呆れたように答える。一方の直子は電気のスイッチを入れたみたいに明るい顔になった。
「な、なんだそっか。そうだよね、あはは。おかしいと思ったんだ。だいたいさ、もしそういうことになってたら、あたしが気付かないわけないもんね。太一だってそうでしょ?」
「そうって何が」
「もしあたしが誰かと、なんてことになったら、太一が一番最初に気付くよ、絶対」
直子は力強く、むしろ力入り過ぎな感じで断言する。
「だって、ちっちゃい時からずっと傍で見てるんだもん。もし変わったことがあればすぐに分るよ」
「……そーか?」
太一は窓の外に視線を向けた。良く言えば整った、悪く言えば線の細い面立ちがどこか物憂い
けれど直子は心配しない。
クラスの他の子達は知らないだろう。でもほとんど生まれた頃から一緒の自分には分る。
太一がこういう顔をするのは、言おうとしたことを呑み込んだ時、素直になれない時だ。
だから直子も言わない。今はまだ。
もしも自分達が誰かとつきあうようなことになったら、絶対に幼馴染みには知られてしまう。
そんなの当り前だ。だって、つきあうその人なんだから。
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