乱入騒ぎの始まりですわ①

ミハイルは自らの目を疑った。


先ほどまで眼前にいたはずの少女が、急に姿を消したからだ。


何が起こったのかはわからなかったが、すぐにハッと我に返る。


同時に彼女が見えなくなる瞬間、影のようなものが視界を覆ったことを思い出す。


影が通り抜けたはずの方向へと視線を向けると、そこには巨大な獣の姿があった。


「……グレイウルフッ!?」


人の倍ほどの背丈がある灰色の狼は、その口にミハイルの対戦相手だった少女を加えていた。


「リーラリィネ!」


ミハイルは驚きと恐れ、そして少女の身を案じる思いからその名を叫ぶ。


だが、返ってきたのは拍子抜けするほど落ち着いた声だった。


「いきなり噛みついてくるとは、無粋なわんちゃんですこと」


狼の口にくわえられているにもかかわらず、リーラリィネは悠然とした表情で言い放つ。


「何を余裕ぶっている! その魔獣は、大木すら嚙みちぎるヤツだぞ! 人の体なんて一瞬でミンチになる……はず……?」


ミハイルは自分が言っていることと、目の前の状況の矛盾に気づく。


噛みつかれているリーラリィネは平気な顔をしている。


対して、グレイウルフのほうは明らかに焦った様子を見せていたのだ。


「ええ、存じておりますわ。けれど、果たしてこのわんちゃんに、ワタクシを噛むことができるでしょうか?」


リーラリィネはゆっくりと手に力を加えていく。


ジリジリと狼の口が開かれていき、リーラリィネは余裕の表情でゆっくりと体を地面に下した。


そして、そのまま狼の上と下の口をつかんだまま体を持ち上げ、空中でくるりとひっくり返す。


脚を地面から引き離された獣は、頭を思い切り地面に叩きつけられ、そのまま失神してしまった。


「お前、なにをしたんだ?」


「単なる力比べですわ。この子のお口とワタクシの両の腕、どちらが強いのか……結果はご覧の通りでございますが」


ミハイルの問いに淡々と応じるリーラリィネ。


しかし、ミハイルはその答えに満足していなかった。


「そんなことは見れば分かる。俺が聞いているのは、どうしてただの力比べでお前の魔力が激しく動いたのかってことだ。それが……お前の力の理由なのか?」


ミハイルの言葉に、さすがのリーラリィネもハッとした表情を浮かべた。


「これは……とんだ失態でしたわ。咄嗟のことで、考えなしに力を使ってしまいました。どうしたものでしょうか」


リーラリィネとミハイルの間に緊張が走る。


だが、それは周囲かわ湧き上がる叫び声や悲鳴によってかき消された。


「なんだ!? これは……魔獣か! なんでこんなところに!」


「1体じゃないぞ! 会場の周りに……何体もいる!」


「こっちもだ! こっちからも来るぞ!」


直後、リーラリィネを襲ったのと同種と思われる狼たちが、一気に会場へと流れ込んできた。


「リリィちゃん! これ、どうなってるの?」


混乱のなか、ミーシャがリーラリィネのほうへと駆け寄ってきた。


「コイツら、グレイウルフだわ! 本来は魔の森とその周辺くらいでしか出てこないはず。いえ、何よりもガルガンディに魔獣が現れるなんておかしい……いったいどこから来たのよ」


ミーシャを追いかけるように、アルティアも合流した。


「いまは理由など考えている暇はない! 今日は一般の人間も会場にいるんだ。ヤツらを野放しにすれば、とてつもない被害になる! 戦える教師や生徒を集めて、対処しなければ! お前たちも協力してくれ」


ミハイルは周囲をうかがいながら、リーラリィネたちに呼びかける。


「お待ちください、ミハイル様! グレイウルフは学生が相手にできる魔獣ではありません。本来、アレは10名以上の騎士で囲んで倒すことになっております。本格的な戦闘訓練を受ける前の生徒では、餌食にされるだけです!」


「……っ! だとしても、何もできぬ民たちを守らなければ、勇者の……ひいては王国全体の威信にかかわる! 学園に通う者には『命を賭す覚悟』は当然あるはずだ!  とにかく、俺は学生たちをとりまとめ、状況に対処する……ここは、任せるぞ!」


ミハイルはそれだけ言い残すと、急いで客席方面に駆けていった。


「たしかに正論だけど……ミハイル様はわかっていないわ! 魔獣の本当の恐ろしさを!」


「ど、どどどどどうしよう……私、あんな大きな狼となんて戦えないよぉ……」


アルティアは憤りを隠さず、ミーシャは怯えて震えている。


だが、リーラリィネは会場を荒らすグレイウルフたちを冷たい視線で見据えていた。


「ワタクシの実力を示し、勇者としての第一歩を刻むはずの晴れの舞台を……寄りにもよって獣風情に邪魔されるとは思いませんでしたわ。ああ、腹立たしいっ!」


「えっと、リリィちゃん……? ヒィッ!」


ミーシャが覗き込むと、リーラリィネの笑顔が目に入る。


ただし口元は笑っているものの、その眉間には数えきれないほどの皺が寄っており、彼女の怒りをハッキリと表していた。


「ミィ、アルティア、一番手前の1匹をお願いしますわ。奥の4匹はワタクシが相手をいたしますので、それが終わったらもう一度集合しましょう」


「え……ええっ!? そんなの無理だよ! 私、魔獣と戦ったことなんてないもん!」


「そこはアルティアにお任せしますわ。あるのでしょう? 魔獣と、いえグレイウルフと戦ったことが」


リーラリィネがアルティアに問う。


「……我が家の領地はそういう土地柄よ。でも……」


「冷静に判断をなさって。ミィの……ミーシャ・レコの援護があっても、アレを倒すことは不可能かしら?」


「……いいえ、この子の力を借りられるなら、十分に戦えるわ」


アルティアの言葉を聞き、目を見開いて彼女を見るミーシャ。


「ミィ、アナタなら……アナタの力があれば、アルティアが必ず魔獣を仕留めてくれますわ。だから、任せてもいいですわね?」


わずかに考え込むミーシャ。


だが、次の瞬間にハッキリと返事をする。


「うん、わかった! できる限り……やってみる!」


ミーシャの答えに満足したのか、リーラリィネは大きく頷いて見せた。


「それでは、お行儀の悪いわんちゃんたちにお仕置きしますわよ!」

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