第2話

琴子は小学生の高学年になると、金管部といって金管楽器のクラブに入る。

祖母は琴子に7歳の頃からピアノを習わせていた。

その当時に1番高いアップライトを買ってもらい、ピアノ教室へ通わされた。

祖母はどうやら自分の4人の娘にやらせたかったピアノを孫娘にと思ったようだ。

ただ一方で琴子はピアノを練習することにビクビクしていた。

祖母が怖いため、うるさいと言われないか琴子は常に怯えていたのである。

子供の世界観、思想感は大人と違い狭い世界で生きている。

わかりやすく愛情を注いでくれなければ、琴子にはわからなかった。

気づいたのは大人になってからである。

心底憎んでいるのではなく、やはり父に似ている私は、祖母の怒りのはけ口でもあったのだろう。

本当に嫌っている訳ではなかったのだ。

でも子供の頃の琴子にはわからなかった。


ピアノを習っていたせいか、琴子の心の拠り所は音楽になった。

祖母は友達の家に琴子が遊びに行くことを嫌った。

女の子はふらふら歩き回るものではないと考えていた。

琴子は自然と一人で楽しむ音楽に心惹かれていった。

レコードをかけてはショパンやベートーヴェンなどのピアノの曲を聞いては弾く真似を勉強机でしたりして遊んでいた。


金管部に入ったおかげで、夏休みもほとんど練習で学校に通った。

お弁当を持ち、午前、午後と練習があったので、琴子はホッとすることができた。

金管部に入部するまで、琴子にとって学校の休みの期間は地獄だった。

特に夏休みは長く、毎日怒られないように、洗濯物を畳んだり、お風呂を掃除したり、暑い中草取りもした。


それが金管部に入部して以来、大好きな音楽に触れている時間が心を和ませてくれた。

大嫌いな夏休みも辛くなくなったのである。


5年生頃になるとピアノもよく練習するようになる。

ピアノの先生は厳しい方ではあったためか、褒められると尚更嬉しかった。

琴子にとって音楽はもう自分にとっては切り離せないものになっていた。


小学校を卒業し、中学生になると吹奏楽部に入ろうと思っていた。

しかし母の反対にあった。

母の職場で、楽器を買わなくてはいけないし、練習の日にちも運動部よりも多く、文化部の中でもかなり厳しい部活であることを聞いてきたのである。


母は音楽より「高校受験の為に勉強しなさい」と強く琴子に言った。

そして追い打ちをかけるように、勝手にピアノ教室へ勉強に専念するため退会すると言ってきたというのだ。


琴子は何もかも奪われて、呆然とした。

悲しさを感じるというよりも「なぜ?」と何度も頭の中で思った。

琴子は親に口答えすることはできなかった。

というか幼少期より常に怯えていた為、口答えするという行動ができなかったのである。


しかも受ける高校も親に決められていた。

そこ以外は許さないというのだ。

女子高の伝統校で女の子はそこに入学するのが当たり前という考えであった。

琴子にはもう親の決めた道しかなかった。


金管部で一緒だった友達は皆吹奏楽部に入部していた。

羨ましく思ったが、親に反対されてはどうすることもできない。

琴子は道に迷ったように、何の希望も持たず淡々と中学校に通った。


この頃、両親は兄に京大卒の家庭教師をつけた。

兄はとても勉強ができ、400人ほどいる学年で1番を取るほどだった。

年子である琴子もせっかくだからということで、一緒に講義を受けることになった。

琴子は兄より出来はよくなく、悪くもなかったが、先生はやはり兄には熱心に教えていた。

琴子といえば、出された問題がさっぱりわからない。

数学と英語を教えてもらっていたのだが、身に入らないのだ。


だが、数学は全くわからない問題を解いてはいたが、学校での数学の成績がメキメキとあがった。

数学だけはクラスの上位にいたのである。

親もそれには少し満足したようだ。


兄は無事に志望校に入り、家庭教師の先生も挨拶に着て、応接間で皆で兄の合格を祝った。

そして母が「先生ありがとうございました。お世話になりました」と封筒を渡した。

謝礼のお金が入っているのはわかった。

でも琴子には不自然に感じた。

年子である琴子は今年が受験の年だ。

引き続き教えてもらうと思うのが普通である。

しかし先生は今日でもう来ないという。

琴子は寂しさを感じた。

それは先生が来ないということではなく、自分の受験の時に辞めさせるという親の決定に寂しさを感じたのだ。

琴子は自分の中で納得はできた。

女である自分は男子である兄よりも価値が低いと幼少期より理解していたからだ。

何も言わずに先生を見送り、部屋に戻っていった。


琴子は自力で勉強しなくてはならなかった。

だが、やる気もでず、成績は乱高下していた。

2年の時にあれだけ得意だった数学も右肩下がりで成績が落ちた。

父から叱責受け、決めた高校に絶対に入るように!とよく言われたのである。

秋に入り、成績は親の希望する高校に入るにはギリギリの成績であった。

皮肉にも家庭教師に教えてもらっていた英語と数学が足を引っ張り、思うように成績が伸びなかった。


年が明け、琴子は兄からアドバイスを受け、英語の勉強に集中するようになる。

数学を得意にするより、安定した英語力の方が受験には有利だというのだ。

学校から17時に帰ると18時から英語の勉強を始めた。

英語の勉強方法は単純な方法であった。

英語辞書の中の中学必須単語を全て覚えるというものだ。

ルーズリーフにaから発音記号、意味、使い方、例文などを全て書き写していった。

夕飯を食べる事も忘れ、18時〜24時過ぎまで毎日必死に勉強した。

それを一ヶ月半ほど続けた頃であろうか、最後の単語を書き終えた。

そして英語の長文が日本語を読むようにスラスラと読むことができた。

県立高校の過去問ではほとんど英語は満点で、数学は50点ほどしか取れないが、英語でカバーすることができ、合格点内に安定して入ることができた。


残りの日は他の教科にも力を入れ、安定した点を取れるように勉強したのである。


入試前日に3年生だけの説明会が体育館で開かれた。

明日の入試についての注意点などを先生達が説明していた。

琴子はぼおぅとしていた。

友達に「琴子ちゃん、顔が赤いよ。大丈夫?」と言われた。

友達が先生に言うと保健室に連れて行かれ熱を測られた。

熱は38度を超えていた。

根を詰めたせいで疲れが出たのであろう。

琴子自身も熱があることには気づけなかった。

そんな事より、明日の入試で失敗したら高校に行けなくなってしまうという恐怖のほうが強かったのである。


担任の先生の連絡で母が職場から駆けつけた。

「よりによって前日に…」と母が呟いた。

すぐに家に帰りベッドに入り寝た。

その日は薬のせいかぐっすり寝ることができた。

朝起きるとスッキリしていた。

よく眠れたのであろう。

入試の朝はなぜか落ち着いていた。

勝負に挑むように、一日目の試験を受けた。

驚くほど落ち着いて回答することが でき、家路に着いた。

しかし家に帰るとまた発熱した。

入試は2日ある。

明日の為にやはり早めに寝ることにした。

2日目の入試も不思議と落ち着いて受けることができた。

五教科のテストを無事に受け、琴子はホッとした。

ほのかな自信もあった。

家路につくとまた熱がでた。

県立高校の入試は入試が終わるとテレビのローカル局で答え合わせができる。

琴子は発熱していた為、兄が変わりに採点をしてくれた。

兄は母に「琴子は大丈夫だよ。受かるよ。」と言ったらしい。

熱心に勉強した英語は100点であった。

そして熱がさがり、採点を見ると兄の入試の点数より高かったのである。

琴子は嬉しかった。やり遂げて、これで褒めてもらえると思った。


10日ほど経つと入試結果をそれぞれ見に行くことになった。

中学校から同じ高校を受けた子達とおしゃべりしながら歩いていった。

受かっているのはわかっていたが、確認しなくてはならない。

高校の校門に着くと、合格者の番号が張り出されていた。

一緒にいた友達と喜びあい、和気あいあいと中学に戻り、担任に報告した。

中には落ちた子もおり、泣いている子もいた。

あまりはしゃいではいけないと琴子は思った。


琴子は家に帰るのが楽しみだった。

そんなことは初めてである。

兄より高い点数で志望した高校の合格が決まったのだ。

今日は褒めてもらえると心が少し踊った。


家に着くと母と祖母に「受かったよ!」と笑顔で言った。

母は顔色一つ変えず「そんなのお兄ちゃんの採点でわかってるでしょ!」と言い放った。

琴子は心の中ですぅっと冷たい風が吹いた気がした。

「やはり私は喜ばれない子なんだ…」と心底思いしらされた日になった

そして風呂上がりに体重を図ると10キロ痩せていた。

夕飯も食べず、脳はカロリーを使うので、自然に体重が落ちてしまったようだ。

元々標準体型であったため、入試後は40キロ前半になっていた。

こんなに頑張っても労いの言葉一つもらえないことが琴子は辛く、その日は中々寝付けなかった。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る