6
バクバクと脈打つ心臓を、着物の上から手のひらでぎゅっと押さえる。
手のひらに伝わる乱れた鼓動は、なにをどうしても大人しくなりそうにない。
上手く呼吸すらできないまま、薫は引き戸に手をかけた。
がらがら、と、重た目の音を立てながら引き戸が開く。すると、遣り手らしき地味な着物姿の女が、広い板敷きの床にぱたぱたと白足袋の足音を響かせて駆け寄っていた。
「いらっしゃいませ。申し訳ないんですけれど、張店は12時までなんです。お写真で女の子を選んでいただければと思うんですけれど……。」
立派な料亭のような造りの館内に圧倒されながらも、薫は葵の名をなんとか口にした。
すると眼の前の中年女は、大げさなほど申し訳無さそうに眉を寄せ、薫に頭を下げてみせた。
「重ね重ね申し訳ないんですけれど、葵は今日は借り切りなんですよ……。あの子は今月分の予約はもういっぱいなものですから、他の子にしていただけませんか。いい子はたくさんいますからね。」
薫は首を左右に振ると、まだ息が整わないまま、かろうじて遣り手に食い下がった。
「知り合いなんです。薫が会いに来たって伝えてください。」
声は勝手に震え、語尾などすぐに消え入りそうなくらいだった。
遣り手は不審そうに細い眉を寄せた。売れっ子の花魁に会いたいがために、似たようなことを言ってくる男はいくらでもいるのだろう。
「ほんとうなんです。確認だけ、してください。お願いですから。」
遣り手は疑わしそうに眉を寄せたまま、確認だけですよ、と、念を押した。
「少し、ここでお待ち下さいね。」
「はい。」
いくらでも待つつもりだった。もう10年間待ってきたのだ。今更あと数十分でも数時間でも数日でも待って見せる。
けれど遣り手の女は、ほんの数分で戻ってきて、薫の前で深々と頭を下げた。
「お待たせして申し訳ありません。葵はすぐに来ますから、お部屋に上がってお待ち下さい。」
葵はすぐに来る。
その言葉だけで、ようやく収まりかけていた胸の鼓動は早鐘のように脈打ち始める。遣り手の後を追う足も勝手に震えた。
本当に会えるとは、思っていなかった。
もう彼女はこの世にないかもしれないと思って生きてきた。そうでもしないと、あまりにも寂しすぎて。
その彼女に、もうすぐ会える。
「こちらでお待ち下さい。お酒かなにか、お持ちしましょうか?」
遣り手が薫を通したのは、一階の一番奥の小さな部屋だった。
「なにもいりません。」
遣り手が差し出した座布団の上にそっと腰を落ち着けながら、薫はそう答えた。
今はどんな飲み物でも喉を通りそうになかった。
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