7
薫が蝉の部屋の襖を開けたとき、彼は爪の手入れをしていた。
女のように白い手に生え揃った、桜色の10枚の爪。その一つ一つに丁寧に鑢をかけていたのだ。
こんな場合だというのに、薫はその姿にいっとき見惚れた。
部屋の中央辺りに膝を崩した蝉が、右手に銀色の鑢を持ち、それをさらさらと動かして左手の爪を薄く削っていく。
蝉がその手を止めて、どうしたの、と声をかけてこなければ、昼下がりの濃い陽光に照らされた彼のけだるげな姿に、薫は見惚れ続けていたかもしれない。
どうしたの。
蝉の何気ない一言に、薫は硬直した。
なにをどう問えばいいのか、考えることさえせずにここまでやってきていた。
すると、蝉のほうが何かを察したらしく、頬の色をさっと失った。
それでも彼は逃げはせず、座ったら、と自分の向かいに敷かれた座布団を顎で示した。 その顎は、削げるように鋭く尖っている。
薫がここに来たばかりの頃は、蝉はここまで痩せていなかった。
自分のせいかもしれない。
薫はその痩せた顎を見つめながら、ゆっくりと蝉の部屋に足を踏み入れ、座布団の上に正座をした。
蝉が、しゃりんと微かな音をたてて鑢を畳の上に置く。
薫を見つめる色素の薄い両目は、長いまつ毛に囲まれていなければ今にも溶け出しそうな、とろりとした色をたたえていた。
「……どうして……。」
薫が口にした台詞はそれだけだった。それだけ言えば、蝉にはなんのことだか伝わったのだ。
蝉は目を伏せ、本気で分からないの? と問い返してきた。
分からない、と、薫は呻くように答えた。
「だって、あんなに親身になって、一緒に捜してくれたじゃないですか。」
そうね、と、蝉が他人事みたいに呟いた。
「俺、あんたのこと、本気で好きみたい。」
その言葉もまた、他人ごとみたいに。
そして蝉は、鋭利なラインを描く頬を笑みで歪めた。
「あんたのねぇさん、見つけようと思えば多分簡単に見つかる。だから……、」
「俺を、ここから出さないために?」
揺れる薫の声に、蝉は苦笑を一つよこした。
「前借金あるんだから、ねぇさん見つけたってこっから出られはしないでしょ。……嫉妬だよ。あんたのねぇさんに嫉妬してんの……馬鹿みたいでしょ。」
「嫉妬……?」
予想していなかった蝉の答えに、薫の声は自然に震えた。
蝉は笑った唇のまま小さく頷いた。
「嫉妬だよ。あんたのねぇさんは無条件にあんたに愛されてる。だから、嫌だったの。あんたに会わせたくなかった。」
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