「それなんだけどさぁ……。」

 「なに? 覚えてるの?」

 言葉を選ぶような沈黙の後、膝先の着物の生地を確かめるように指でなぞりながら、サチはためらいつつも口を開いた。

 「口止め、されたんだよね。」

 「……口止め?」

 サチの言う意味が飲み込めず、薫は首を傾げて彼女を見つめた。

 うん、と軽く頷いたサチは、蝉に、と声を潜めて続けた。

 「多分、私にだけじゃないよ。みんなにしてると思う。」

 「……え?」

 傾げた首を元に戻せないまま、薫は唖然としてその場にしゃがみこんでしまった。

 「大丈夫?」

 サチが驚いて傍らに駆け寄ってくる。大丈夫、と、辛うじて薫は呻いた。

 「……嘘でしょ? 口止めって、なんのこと?」

 だって、この二年間、蝉は女を捜すために途方も無い労力を費やしてくれたのだ。真夏の盛りも、真冬の雪の日も、欠かさず女捜しに協力してくれた。その蝉が、なぜ口止めなんかをしなくてはならないのか。

 薫の隣に膝をついたサチが、静かな口調で言った。

 「口止めは口止めだよ。薫のことを覚えていたとしても、それを口に出すなって言われたの。」

 まさか、そんなはずない、と、薫が震える声を出すと、サチははっきりと首を横に振った。

 「本当だよ。多分だけど、観音通りの女にはみんな口止めしてるんじゃないのかな。」

 「……なんで、そんなこと……」

 「さぁ。それは本人に聞いてみないと分からないよ。」

 そこまで言って、サチは一旦言葉を切った。

 そして数秒の沈黙の後、彼女はゆっくりと言葉を選びながら言った。

 「なんか、かなり必死だったよ。……だからみんな黙ってるんだと思う。……だって、あなたのねぇさん、有名だったもん。知ってる人、結構いると思う。」

 「有名って……?」

 「観音通りの中では一番くらいの高級娼婦だったから。」

 だから、覚えてる人は結構いると思う、と、自分の言葉に何度か頷きながら、サチは薫が立ち上がるのに手を貸した。

 ふらり、とよろめくように一歩前へ足を踏み出した薫を見て、サチは驚いたような顔でその背に声をかけた。

 「蝉に理由を聞きに行くつもり?」

サチに背中を向けたまま、薫は一つ頷いた。


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