3
サチ、と呼ばれる若い娼婦が観音通りにやってきたのは、春の盛りのことだった。長い髪に派手なパーマネントを当て、カチューシャで止めた彼女は、薫と同じくらいの年齢に見えた。
「薫。」
長屋の娼婦全員を集めてのお披露目の後、遣り手のしづが薫を呼びとめた。
「あんたがサチの面倒を見てやりなさい。」
薫は少し驚いたものの、従順に頷いた。
もう薫が長屋に来て二年近くが経っていた。
面倒を見ると言っても、娼婦の仕込みは女衒の仕事だ。薫が教えるべきことなんてさほどない。
風呂場の場所とサックのありかを教えると、他に思い当たることはなくなってしまった。
「お客を引くのは4時からです。表に出て、他のねぇさんたちのやるのを真似すれば大丈夫。」
薫がいささかぎこちない口調でそう案内を締めくくると、サチは素直に頷き、ありがとうございます、と微笑んだ。
その表情は、はじめての客取りを数時間後に控えている新米娼婦にしては、落ち着きすぎていた。
薫が思わず首をひねると、サチはじわりと笑みを深くした。
「戦争で孤児になって、そっからずっと売春で食べてきたんです。」
すらりとした口調だった。娼婦としての人生をまるで悲しんではいない、すっきりとした言葉遣いだった。それは薫が一時聞き惚れるくらいだった。
「終戦の時12で、そっから観音通りに流れて立ちんぼやって、しばらくしたら長屋制度ができちゃって、そういうの嫌いだから地方にドサ回りに出て。ドサ回りにも疲れたから観音通りに戻ってきて。……私の人生売春一本だから。」
「終戦の時観音通りにいたんですか!?」
もしかしたらこの娼婦は、あのひとと面識があるかもしれない。
どくどくと胸を高鳴らせながら、あのひとの特徴やら何やらを告げようとした薫の腕を、後ろから誰かが掴んで引いた。それは、驚くほど強い力だった。
「蝉さん?」
振り向けば、桜模様の派手な振袖をだらりと身に纏った男娼が、しっかりと薫の腕を掴んでいた。
「しづさんがサチを呼んでる。」
ごく短い言葉だけれど、それもどこか尖っていると言うか、追い詰められたような色があった。
どうかしたのだろうか、と薫は首を傾げながら、はい、と返事をし、サチの隣から一歩退いた。
蝉はサチの肩を抱くようにして足早にしづの居室へと歩いて行った。
なにかが変だ。
薫は首を傾げたまま二人の背中を見送っていた。
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