「美人だけど、男みたいに話す人でした。」

 ぽつんと薫がこぼした言葉を、それでも蝉はきちんと拾い上げ、そう、と、相槌を打った。

 「俺と同じで、戦争で親兄弟をなくしたんだって言っていました。だから俺なんか拾ってみたのかな。」

 「そうかもね。」

 「やっぱりよくある話ですか?」

 「そこら中に溢れてるよ。」

 そっか、と、薫は空を見上げるようにして笑った。

 あの一月が、そこら中に溢れてるありふれた話で片付いてしまう。

 分かっていた。そんな話だと。それでも忘れられない人だった。

 「道の反対側に行ってみるか。」

 蝉はほとんど独り言のように呟き、来た道をするすると引き返していく。

 「優しいんですね。」

 と薫が言うと、蝉は間髪入れずに、あんたにはね、と返してきた。

 薫はなにも言えなくなって、蝉の背中をただ追いかけた。

 観音通りのメイン通りを挟んで、反対側の細道をまた蝉と薫は目的地もないまま歩き出す。

 「どんなひとだったの。」

 暑いな、と振り袖を諸肌脱ぎながら、蝉が投げ出すように問うた。

 暑いですね、と額の汗を手のひらで拭いながら、薫は思い出したことをそのまま端から唇に乗せていく。

 「暑いのが嫌いな人でした。俺があの人に拾われたのは夏の盛りだったですけど、氷屋が来るたびに必ず呼び止めて氷を買っていました。」

 薫の記憶の底から、化粧けない女の青白い顔が浮かび上がってくる。

 色のない唇に次々と匙にのせた氷を放り込む無造作な仕草。あんたも食えよ、と、遠慮して匙を伸ばせない薫の口の中に氷を入れてくれる仕草もざっくばらんでどこか少年じみていた。

 だから今でも薫には、彼女が観音通りの街灯の下で男に媚を売っている姿は想像ができない。

 「氷ねぇ……。今は氷屋なんてもういないし、10年前にこのあたりで氷を売ってたやつなんて捜しようがないけどね。」

 「……はい……。」

 「でも、いいよ。その調子。なんか思い出せること思い出してってよ。どっかで引っかかることがあるかもしれないし。」

 「思い出せること……。」

 薫が言葉に詰まっていると、蝉はごく自然に薫の右手を掴んだ。指と指とを絡ませ、歩調を緩めて薫の隣に並ぶ。

 二人分の体温と太陽の熱にさらされた手のひらが、汗ばむ熱を帯びていく。

 薫は唐突な蝉の動作に驚きながらも、一瞬の躊躇の後、その手を握り返した。

 この暑い日に女の痕跡捜しに付き合ってくれる蝉に、感謝の気持を表す方法が、それくらいしか思いつかなかったのだ。

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