「あんた、自分で自分を売ったらしいね。遣り手のしづさんから聞いたよ。」

 脂汗をかき、全身をかくかくと震わせながら、それでも薫は遣り手のしづというのが自分を買ったあの着物姿の女のことであろうと、そこまでの推測はできた。しかし、蝉が今こんなことを言い出す理由はわからない。

 「珍しいんだよ、あんた。なんでこんなとこにきたの」

 蝉の繊細な白い指が、くいと薫の顎をすくい上げた。そして、苦しみに呻く唇に与えられたのは、静かな口づけ。

 驚いた薫は、呻くことまで忘れて目の前の蝉の顔を凝視した。

 すると蝉は、目を細めてなにか切なげに笑った。それは常のにやにや笑いとは異なり、触れれば溶ける淡雪をすら思わせた。

 「なんでって……。」

 なんでなのは、たった今いきなり口づけなどしてきたあなたの方だ。

 蝉は口に出されなかった後半の台詞をそれでも理解したようで、笑みをじわりと深めた。

 「あんた、好みなんだよ。来月には男に買われる身体なんだから、その前に俺に触らせて。」

 好み。

 薫にはその意味がよくわからなかった。これまで生きることだけに必死過ぎて、恋などしたことはなかったから。

 黙り込む薫の乱れた髪を、蝉がそっとなでつけた。

 「あんた、きれいだけど観音通りに立つようなタイプには見えない。どうしてここに来たの?」

 ねえ、どうして、と、蝉が答えを急かすように、薫の体内に入った張り型を軽く抜き差しした。

 その一種サディスティックな仕草に、息を飲んで全身を硬直させた薫は、押し出されるように言葉を紡いだ。

 「人を捜しに来たんです。」

 「人?」

 薫の体内を弄ぶ蝉の仕草は終わらない。薫はもがいて畳に爪を立てた。

 「俺を育ててくれた人です。ここで娼婦をしていたひと。」

 答える言葉は半分はくぐもった悲鳴だった。

 そっか、と白い指先で薫を攻めたてながら、蝉はさらに問いを重ねた。

 「なんて人? どこの店にいるの?」

 知らない、と薫は首を振った。髪に含まれた汗がぽたぽたと畳に舞い散って染み込み消えた。

 「知らないの?」

 「覚えていないんです。」

 「ここには置屋がだいたい200件ある。そこに20人ずつ女が所属してるとすると、娼婦がだいたい4000人はいる計算になる。」

 名前も店も知らない女を捜すのは難しいよ、と蝉は薫の耳元で囁いた。


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