仕込み
「うちに男娼は一人しかいないんだ。蝉に仕事を習いな。」
そう言いながら長屋の戸を開けた女は、中に向かって大声で、蝉、蝉、と呼びかけた。
蝉? こんな場所に? と首を傾げた薫の前にひょっこり現れたのは、異様に派手な出で立ちの男だった。
柄物のTシャツの上に柄物の着物をはおり、緩く締めた帯もまた柄物だった。その色にも柄にも統一感はまるでない。おまけに耳や手首や首には、じゃらじゃらと派手な装飾品が揺れている。
普通なら中身が負けてごちゃごちゃになってしまいそうな恰好なのに、男はそのちんどん屋じみた服装をあっさり着こなしていた。
別段美しかったり華やかな外見をしているわけではないのだが、大きな目や整った体の線が、彼と派手な服装をしっかりと馴染ませているのだ。
「はいはい、なんの用でしょう。」
軽く言ってくしゃくしゃと金髪をかき混ぜた男の前に、女は薫の背をぐっと押し出した。
「今日から入る子だよ。面倒見てやりな。」
「処女?」
「本人に訊けばいいだろう。」
「処女?」
蝉が大きな目をくるりと薫に向けながら問うてきた。
これまでの人生で一度も向けられたことのない質問に、薫は一瞬絶句したが、すぐに我に返って頷いてみせた
すると蝉は難しげに眉を寄せて女に向き直った。
「仕込みから?」
「まあ、そうなるだろうね。」
「仕込みは得意じゃないんだけどな。」
「前のみたいに逃げ出されたりしないようにしっかりやっておくれよ。」
「努力はしますけどね……。」
「部屋はあんたの隣の空き部屋でいいだろう。」
「はいはい。」
「一ヶ月で店に出せように仕込んでおくれ。」
「……はーい。」
薫の頭の上をぽんぽん飛んでいく会話は、事務的で無駄がなく、性的な色は含まれていなかった。だから薫は自分の肉体を販売する算段が立てられているにも関わらず、特に不快感を覚えることもなく二人の会話を聞いていた。
すると、蝉が不意に薫の肩を叩き、女に向かって言った。
「大物ですね。こんなに落ち着いて話聞いてるなんて。」
女は短い首を肩にめり込ませるようにすくめて見せた。
「だから連れてきたんだよ。」
そっかー、と蝉が大きな目を猫のように細める。
薫はやはり黙ったままで、記憶の中のあの人も、こんなふうに売られてきたのだろうか、などと考えていた。
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