「やぁやぁやぁ、アイシャじゃないか」

 

 お手洗いからお嬢様の部屋への道すがら、声をかけられた。

 振り返ると、そこにいたのはお嬢様のお兄様にあたる、フィリップ様だ。

 私が大きく頭を下げると、すぐさま上げるよう言われた。


 「俺とお前の仲だろう、そんなことはよせ」

 「お屋敷の次期当主と、お屋敷に使える使用人ですから、当然のことでございます」

 「……相変わらず固い女だな」


 呆れたように話すフィリップ様。そのまま素通りされるのかと思ったけれど、まだ話したいことがあるらしかった。


 「アレイシアは、いまなにをしてる?」

 「お嬢様ですか? お嬢様は、チェス盤に並べた駒の背比べをされてらっしゃいます」

 「ふん……そんなものキングが一番大きいに決まってるだろうに、バカなやつだ」

 「ふふ、お嬢様は発想力が豊かで、微笑ましいです」

 「…………」


 私が小さく笑い声を上げると、フィリップ様は顔をしかめてみせた。気に食わなかったのかもしれない。

 居心地の悪さに耐えかねていると、フィリップ様がおもむろに口を開いた。


 「お前はいいのか、このままで」

 「と、言いますと」

 「お前ももう十六だろう。そろそろ、婚約者を探すべき年頃だ」

 

 確かに私は結婚適齢期に入っている。けれど、それ以前に私はお嬢様のメイドだった。


 「私はこのままで、お嬢様のおそばにいようと思います」

 「そんなもの、いつまでも務まるはずないだろう。あのバカだって、いつかは嫁ぐことになる。そのとき、お前はもう適齢期を過ぎてるぞ」 

 「…………」

 「だから、そうなる前に、オレが貰ってやろう」

 「……はい?」


 思わずぶしつけな態度を取ってしまったけれど、フィリップ様は特に気にした様子もない。

 それどころか、嬉しそうに話し始めた。


 「オレはな、見目が麗しくて、強くて、賢い女が好きなのだ。その条件はアイシャ、お前にぴったりと当てはまる」

 「ですが、私はメイドで……」

 「そんなもの気にする条件にはなりえない。ほかの国では下女を娶った家もあるそうだし、ここでの次期当主はオレなのだ。誰にも文句は言わせんよ」

 「……っ」


 正直いうと、お断りしたい。私はあまりこの方を好ましく思ってないのだ。

 妹とはいえ、私のお嬢様を軽んじられる傾向にあるし、なによりタイプじゃないのです。

 

 「申し訳ありませんが、私はこの身を一生、お嬢様に捧げると誓ったので」

 「別に捧げるのは勝手だが、オレの相手が出来んわけでもあるまい?」

 「……っ」

 「隣国のやつらがどうかは知らんが、オレの好みに合うようなやつなどそうはいないだろう。そうなるとやはりお前しか――」

 「あー! アイシャここにいた!」

 「っ」


 突然割り込んできた声に、フィリップ様の身体が強張ったのが分かる。

 対する私の口元には笑みがこぼれていた。こんな姿を見せれば、罰を受けなければならないかもしれない。そうだと分かっていても、彼女の声は私を安心させてしまうのだ。

 

 「お嬢様……」

 「もう、遅いよっ、待ちくたびれたから来たの」

 「申し訳ありません」

 「おい、アレイシア、なんの用だ」

 「あ、お兄様こそ、アイシャに御用でしたか?」

 

 お嬢様の問いかけに、ふいとそっぽを向くフィリップ様。口説いていたなどとは口が裂けても言いたくないのかもしれない。

 

 「……なんでもない。オレはこれにて失礼する」

 「そっか! お兄様バイバイ!」

 「っ、なれなれしくするな、出来損ない」

 「むぅ……」


 フィリップ様が足早に去っていく姿を、じっと見つめるお嬢様。

 それから小さく肩を落として、唇を尖らせた。


 「わたし、出来損ないじゃないもん」

 「そうですね。出来損ないなんかじゃありません。私にとっては、英雄みたいなものでしたよ」

 「ほんと? やったー!」


 飛び跳ねて喜ぶ姿に、嬉しくなって、私も笑ってしまった。

 この人のそばだけは離れたくないなと、よりいっそう強く思うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る