次代のアスモデウス

第17話 甘い誘惑

 俺はすこぶる上機嫌だった。

 今いる場所は魔帝城の大広間。

 普段なら紳士淑女(魑魅魍魎)の巣窟なのでとても気を抜けないのだが………

 今は和正がいてくれる。


 どうせ気まぐれで客室から(和正は魔帝城に仮住まいしている)降りてきただけなのは分かっている。でもダンスに引っ張り出すぐらい許容範囲だよな?

「せめて、1曲だけでも付き合ってくれるよな?」

「………仕方ないな」


 寄り添う時間は至福の時間、時が過ぎるのは早いもの。

 ワルツで寄り添い愛してると囁けば、無口な唇はキスの形で答えてくれた。

 ベルゼーヴァさんを含む、和正の友人たちは目を剝いていた。


 でも時のすぎるのも、ダンスワルツが終わるのも早いものだ。

「俺はそろそろ戻るぞ」

 まあ、仕方ない。和正に目通りを願いたいという連中がこちらを窺っている。

 目通りが叶ったところで、この男を相手にどうする気なのやら。


 和正を見送ったところで、後ろから声がかけられた。

「一曲踊ってもらえるかな?」

 15~16歳の少年の姿で、震えがくるような美貌、服は黒いケープをはじめとした黒ずくめ。シュトルム公爵様だ。


「びっくりさせないで下さいよ。足音もなく」

「悪い。わざとじゃなくて………身についた習慣だね。で、踊ってくれるのかな?」

「是非もありません」


 2曲目のワルツ。そこで囁かれたのはもちろん甘いささやきなんかではない。

「姉ちゃんがアルを呼んで来てって言っててさ………」


 彼が気楽に「姉ちゃん」と呼ぶ人。

 それは第四王子妃であり、天界魔界公認の超越者オーバーロードである。

 彼女に突っかかって行ったもので無事なものは―――いるから怖いのである。

 軽く躱して「将来性があるから」と自陣に取り込んでしまうのだ。

 そして彼女は、夫たる第四王子のために、人材確保にも余念がない。


 俺も、そのターゲットだとは薄々気づいていた。

「派閥の話かな………?」

 声をひそめて公爵様―――雷鳴に聞いてみる。

「そうみたい。今日でチェックメイトだと言ってたよ」

「うへえ………まあ逃げられるとは思ってなかったけどさ」


 くるり、くるり。

 ワルツを踊りながらの俺たちの会話は、はなはだ色気に欠いたものとなった。


♦♦♦


 俺は雷鳴と一緒に密談用の「バルコニー(部屋になっている)」に向かった。

 雷鳴が「1人で姉ちゃんと会うのがやなら付き合おうか」と言ってくれたからである。ありがたい。俺は妃殿下が苦手なのだ。

 美しすぎて、言葉を紡ぎにくくなるのである。


 ノックをして、入室すると天上の美貌がそこにあった。

 黒曜石の様な腰まである黒髪、メタリックレッドの瞳、絹のような白い肌。

 少女が大人になる、その一瞬を切り抜いたような美貌だ。

 身に纏う黒いチャイナドレスには黄金の鳳凰の豪華な刺繡がしてあり、チャイナ系である紅龍様(第四王子殿下)の派閥であると主張している。


「来たわね、まぁ座りなさい。派閥の件だというのは分かっているでしょ?」

「はい、レイズエル様。ですが俺は中立を貫くと―――」

 レイズエル様は猫のように笑った。そして囁く。

「あなたのほしいものを、あげる」


「次代ベリアルにはいくら推されてもつく気がないのに周りは推してくる

 ―――つかなくていいようにしてあげる。

 「ママ」の引退アスモデウス領を継ぐ気もない

 ―――ラヴィ(引退アスモデウス)には話をつけてあげましょう!

 そして、彼と共に在れるぐらい強くなりたい―――望むだけ鍛えてあげましょう。

 どう?貴女の望みで、あなただけでは叶えられないもの全てを揃えてみたけど」


 俺は力なく微笑む。そこまで理解されていてその条件。

 是非もなし、である。


「わかりました。紅龍様の派閥に入りましょう。それで………何をすればいいですか?口下手が多いその派閥の交渉役になれ、というだけではないんでしょう?」


「それもあるんだけどね、確かに。でも手始めにお願いしたいのは、アスモデウスを

交代させるから後押しお願い、という事なのよ。私の権限でアスモデウスとの決闘までは持ってくけど、その前に貴族の前での顔見せとかあるから、良からぬことをたくらむ連中の排除をお願いしたいの。とりあえずはバンク・オブ・マモンでの記者会見を無事に済ませてくれる?」


「バンク・オブ・マモン?火災にめげずに復活した、淫魔領で一番高い建物(冒涜的な呼び声参照)で、中は制限空間でしたね。レイズエル様がそう言うって事は普通にやったら無事にはすまないんですね?」


「そう、ライラックは言っておるの」


 いきなり部屋を仕切るカーテンが開いて、凄い美女が出てきた。

 レイズエル様に及ばずとも匹敵するのではないだろうか。

 顔面の造作はやや劣るが、勝るのは胸腰尻。なんと魅惑的な事か!

 彼女が次代アスモデウス候補者と見て間違いないだろう。

 少なくとも俺は現アスモデウス、リュシアン様より彼女が好みだった。


「ちょっとアリケル。まだ交渉は済んでないでしょ」

「妾が顔を出した方が早う済むと思うての、ライラック。のう、アルと言うたか?アスモデウスに相応しいのは誰ぞ?」

「………俺は、あなた様を推します。理由はいろいろですが、ただ見ただけでもそう思ったでしょうから、間違いなく推します」

 アリケルと呼ばれた美女はコロコロと笑った。


「アルちゃん、派閥入りしてくれたのは嬉しいけど、アスモデウス交代の事は他の淫魔領民に話しちゃダメよ。アスモデウスは交代の時に(大半は分身でだが)全淫魔領民と交わる事で呪術をかけ、鋼鉄の基盤を築く。知ってるでしょう?」


「そりゃ、俺はそれが効かない体質ですから?知ってますよ。大丈夫、漏らしません。さしあたってやるべきことはバンク・オブ・マモンの警備ですか?」


「ん~。港の船を探ってみるのもいいと思うよ?『勘』だけどね」

「公爵様が自分たちの『勘』はほぼ『啓示』だと言っておられましたが」

「その通りよ。ああ、アルちゃん。お礼として取り合えずこれを渡しておくわ」


 レイズエル様の唇が瞼に触れて離される。一瞬の灼熱感。

「近い未来を見る「未来視」の能力よ。貴方の選択の結果もたらされた物なんだから、貰い物と思わずに使ってほしいわね」

「そういう言われ方をされると、死蔵しておくわけにもいきませんか」

 俺は苦笑する。どこまで読まれているんだか。


「活躍どころはあるはずよ。そうそう………船は麻薬関連だと思うわ」


 港の船、か。確かにいいうわさは聞かないな。


♦♦♦


 その日の夜、俺はフィアンに電話していた。

 フィアンの組織は当代のアスモデウス、リュシアン様と褥を共にしていないはずなので、まず俺の派閥替えを知らせる。


「おや………私たちは当然無派閥だが、祝いを言った方がいいのかね?」

「要らない要らない。それより麻薬絡みの話なんだが、聞いてくれるか?」

「電話でかい?」

「簡単な話だ。淫魔領の港の船を調べて欲しい。麻薬が絡んでる可能性が高い」

「その情報はどこで?」

「レイズエル様だ」

「………無視はできないな、1晩待って欲しい。明日一番でうちまで来てくれ、8時に迎えを出す。何か報告はあるだろう」

「わかった」


 その日はそれで休んだが―――未来視の効果だろう、俺の目には「B-5WZ」という文字が浮かんで、寝るまで消えなかった。


♦♦♦


 次の日の朝6時。

 俺はドレスの入ったクローゼットを引っ搔き回していた。

 当日に着るものを決めるとこうなるという見本である。

 部屋にはかなり店を広げてしまっている。

 

 結局、俺はシンプルな、スクエアネックで襟なしのロングドレスを選んだ。

 カラーは肌の色に合わせて無難に青だ。

 ハイウエストで、スリットの深いドレスである。

 下着はもちろんガーターベルトストッキングだ(スリットから見えるから)


 土産は何が良いか………葉巻のモンテ・クリストでいいかな?

 亜空間収納で真っ先に手に当たったそれを、俺は『生活魔法:ラッピング』でくるくるっと包む。朝イチにこういう事をやるとこうなる………もういいいか。


 バッグは黒のクロコダイルのままでいいだろう。靴も黒のヒール。

 後は髪と化粧だ―――もともと俺は薄化粧なので大した手間はかからないが。

 おかげで、迎えの車には間に合った。

 店の前でクラクションが鳴る。もういつもの事である。


 階段を駆け下りた先には、にこやかに助手席の扉を開けるガンザル。

 車はブラウンのマセラティ・ギブリだ。渋い所をついてくる。

「ボンジョルノ、シニョリーナ。この間ぶりですな」

「ボンジョルノ、ガンザル。お前が運転手だと安心できるよ」


 水晶蚊の一件で多少親しくなったガンザルと軽口を叩きながらペルヴェローネ・ファミリーの地所に向かう。通い慣れてきた道行きだ。

「ところで昨日向かわせた工作員共の中から1名脱落者が出たそうですよ」

「麻薬絡みか?」

「さあ、あっしには何とも。ボスの機嫌はすこぶる悪いですがね」

「土産を持って来ておいて良かった」

 俺はすまし顔で言い、ガンザルはガハハと笑った。違いない、と。


 到着したら、フィアンはいつも通り、朝食の並ぶガーデンテーブルに着いていた。

 土産を渡すと、心持ち頬が緩む。だが、やや硬い表情だ。

 しかしここの作法では、難しい話は食べてから、だ。


 イタリアの朝食はシンプルだ。

 コーヒーやカフェラテ。それとビスコッティやフェッテ・ビスコッターテに甘いジャムやクリームをたっぷり塗って食べるだけ。朝は軽い(そして甘い)のである。

 俺は普段、朝食はしっかりとる方なので、これが苦手だった。

 1個1個が少ない分沢山食べる。なに、ここは馴染みなのだ、構うまい。


 食後のコーヒー(俺はカフェラテ)とともにフィアンが口を開いた。

「健啖家だね、アルヴィー」

「食べないと昼までの活力がな」

「わたしはこれで十分だが、ふむ」


 彼は苦い顔になる

「当分食べられなくなったものが一人いる」

「どうなった?」

「魔法でも治らない類の攻撃を受けて、入院した。この後見舞いに行くがどうだ?」

「ご一緒するに決まってるだろそんなの」

「だろうね、なら行こうか。私の車を出すよ」

「アルファロメオのジュニア・ザガードか、いいね」

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