第9話 恐怖と覚悟

「全くひどいわね。溶かされて、殴られて、焼かれて、散々よ」

 声はお気楽そうな調子だが、暗闇の中でも分かる鋭い眼光はこちらを捉えて離さない。

 実際に対面してみると強い威圧感で軽い吐き気に襲われる。僕はまだまだ弱い。

 師匠に言った通り絶対に無理はしない。コネクトができない今僕の身体能力は人並みだ。さっき飛び降りた衝撃で少し足が痺れている。

 僕の役目は師匠の邪魔をしようとするこいつを足止めすることであって倒すことじゃない。

 師匠の向かった先で何が起こっているのか気になるが、今はこの相手に集中だ。

「ふふ、あなた、実戦経験全然ないのね。私が怖い?邪魔しないならあなたのこと見逃してあげてもいいわよ」

「おしゃべりなら大歓迎だ。僕はお前の相手をするために来た」

「しょうがないわね、すぐに噛み殺してあげるわ」

 牙を剥き出しにして襲い掛かってくる奴の目前にエスクドを展開して進行を止める。

 多少でかいだけだ!怖くない!

 自分を奮い立たせ、下がりたくてたまらない足を抑える。

「セグ・トゥルエ」

 そしてエスクドの影から弓形に電撃を飛ばし相手を牽制する。

 最悪なのは路地の向こうへこいつを逃すことだ。それを阻止するためにも進路妨害用のエスクドはいつでも出せるように余裕をもっていなければならない。

 しかし相手の鋭い牙や爪での連撃をくらうとエスクドは割れてしまう。

 ジリジリと後退しながら戦う形になるがこの路地は行き止まりになっている。

 このままでは追い詰められてしまう。

 僕の役目であるこいつの足止め、それは師匠が用件を終わらせ帰ってくるまで続けなくてはならない。

 必要なのはこの状況からの脱出。

 あいつが前足を振り下ろしエスクドを割ったら足をそのまま地面につく。その隙に犬の横へ抜けるのが一番安全なはずだ。

 自分の展開した防壁だ、割れる瞬間は分かる。

 あと一回……。今だ!

 敵が右前足を防壁へ振り下ろした瞬間に振り下ろした足の外側に飛び込む。

 これで次の行動に移れると思ったのも束の間、犬がその巨体をこちらへ倒してきた。

「あぐッ」

 今まで感じたことのないような痛み。僕にはこの巨体から逃れる力がない。

「うふふ、捕まえたわよ。まずはその足を噛みちぎって逃げられないようにしてあげようかしら」

 軋む骨は今にも折れてしまいそうだ。

「フラム!」

 恐怖で精神が乱れ魔法がうまく使えない。炎は出ず、ただ汗が頬を伝う。

「あはは!あなたってば未熟者ねェ!あの女はよくもまぁこんなやつに私を……グッ」

 敵の動きが突然止まった。何かあったのだろうか。

 よくわからないが今のうちだ。

 僕は腰に刺していたマグニーチャ二十四号……師匠の杭を連魔の腹に突き刺した。

 するとこいつは悲鳴を上げ痛みから逃れるように壁に激突する。

 体の痛みに耐えて立ち上がると敵の方から何かがひらひらと飛んできた。

「平気か、アルト」

 その正体は師匠の連魔であるフローズだった。

 フローズは戦闘には向かない連魔であるにも関わらず僕を助けに来てくれたのだ。

「ゲホッ、ありがとう、助かりました」

「あいつ、まだ」

 見ると脇腹から血を流した犬の連魔がゆっくりと立ち上がっていた。

 やっぱりあいつにも血は通っているのか。

「チビが一匹増えたとこで……まとめて喰ってやるわ」

 敵は一気にこちらに距離を詰めて勢いよく前足を振り下ろす。

 僕とフローズは咄嗟にかわしたが当たった地面は爪の形に抉れ、ひび割れていた。

 あんなのが当たったら間違いなく死んでしまう。

 しかしこちらは二人、相手は一人だ。

 僕とフローズは距離を詰めたり離したり、一方が狙われたらもう一方が攻撃する連携で相手を翻弄する。

 家屋の柱をパンのように噛みちぎる牙も、硬い地面を抉り飛ばす爪も、当たらなければ脅威ではない。

 フローズは規模は小さいが師匠と同じ固有魔法、偽物の定理マリニヤーカを使うことができる。

 足元の地面をペン先のように尖らせて敵の足に少しづつダメージを与えてくれた。

「さっきからちょこまかと、いい加減にしなさいよォッ!」

 声が少し低くなった。怒っているのだろうか。だとしたら好都合だ。

 怒った相手は攻撃が大振りになりがちなのでその隙をつけば倒さないまでも機動を奪えるような決定打を狙える。

舞翼隔空ぶよくかっくう!」

 突如自分と相手を囲むように透明な膜が現れる。

「アルト!?」

 フローズはこの膜の外に出てしまっていた。

 迂闊に触れるわけにはいかないと思ったがいつの間にか脚と地面の間にも同様の膜ができている。

 踏んでみた感じかなり硬い。エスクドのようなものだろうか。

 フローズも膜にぶつかったり、魔法で攻撃したりしているがびくともしない。

「もう逃げられないわよ」

 そうだ、あいつの言う通り前後左右この膜で覆われている。この狭さではさっきまでのように逃げられない。

「トゥルエ」

 膜に電撃を浴びせてみたが膜に当たった途端にそれが消えた。

 内側からも魔法による攻撃での脱出は難しいらしい。

「覚悟しなさい!」

 エスクドを張るも爪や牙による攻撃ですぐに壊されてしまった。心なしか相手の攻撃速度も威力も強くなっているように感じる。

 敵の攻撃は苛烈を極め反撃の隙がない。

 少しづつ後ろに下がりながら僕はこの状況を脱する一計を案じた。

 師匠は僕に戦闘をさせたがらなかった。

 それは僕のことを案じてくれたからだろう。

 そんな気遣いを無視して僕は戦闘を行った。師匠に無理をしないと誓ったが僕はこれからその約束を破る。

 透明な膜が背中に当たった。これ以上は下がれない。

 僕は身を屈め、頭を抱えた。

「アルト!」

 フローズの悲痛な声が聞こえる。

 犬の連魔は僕が諦めたと思ったのだろう、最後のエスクドを振り下ろした爪で割り前進、そのまま僕の頭を噛み砕こうと口を開けた。

 痛いのは嫌だ、でも死ぬのはもっと嫌だ。

 僕は魔物の口に自分の左肩を突っ込んだ。僕の左肩や胸から真っ赤な痛みが流れ出す。

 痛い、怖い、でもこれで怯んじゃいけない。勇気を出すんだ、もう引き下がれない。

「うおぉぉぉッ!」

 痛みと恐怖を雄叫びで誤魔化し右手で師匠特性の杭のもう一本を引き抜き相手の顎の付け根あたりに突き刺した。

 すると悲鳴と共に僕の肩に食い込んでいた牙が離れた。

 痛みは感じない、ここまできたら恐怖もない。

 絶叫していた敵もこちらを決死の形相で睨みつけ、前足で払い除けようとしたがもう遅い。

「セグ・トゥルエ・レティー」

 微弱な電流が二本の杭に走ると、敵の首と脇腹は強力な力で引かれ合い、その巨大な体躯がへし折れる。

 断末魔の叫びを上げて敵が倒れると僕の周りにあった透明な膜も消えた。

 敵から溢れた血の池に僕の肩から落ちた血の滴が波紋を作った。

 左肩から血は流れるのに痛みは感じない。

 痛みだけじゃない。左腕が全く動かない。血が止まらない

 頭がぼんやりして足から力が抜ける。

 両膝をついたがその痛みさえ朧げだ。

 やがて血は僕の顔に染み、体全体の力も思考も溶け落ちる。

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