第17話 混迷の記憶
寒い寒いある日の夜、ふと目を覚ましてしまった。
ここ数日の寒さには困ったものだ。
なんて考えて布団を引っ張った時、違和感があった。
いつも一緒に寝ているはずのライラさんがいなくなっている。
トイレだろうかと思うのが自然だが、連日の調査の影響で私は神隠しではないかと考えてしまう。
寒さを堪えベッドから跳ね起きて隣の研究室に行ってみると最近ライラさんが外出する時に着ているコートが無くなっていた。
それだけならまだ良かったのだが、ライラさんの剣も無くなっている。
これは絶対におかしい。
私は自分のコートと剣、そしてランタンを取りコネクトをかけて駆け出した。
目的地はプロバットの門、まずは守衛の人に話を聞くんだ。
「えっ!リーザちゃん?」
「守衛さん!ライラさん知りませんか!?」
「えっ、ああ、ライラさんなら禁足地の調査に、ってちょっと!」
最後まで聞く前に駆け出した。
私はまだ子供だが魔術師だ。コネクトをかけていれば魔術師ではない守衛に追いつかれて止められることもない。
今まで私はライラさんの役に立てるように頑張ってきたんだ。禁足地の調査でライラさんを守れるように。
禁足地はここから東へ行ったところにある。このまま走り続けていればそう時間はかからない。
私はコネクトの力で暗い道を時折躓きながらも一心不乱に走った。
禁足地に何があるのかなんて分からない。かつてライラさんが言っていたように何もないのかもしれない。
それでも私には禁足地には恐ろしい化け物がいるような気がしてならなかった。
ライラさんを守らないと。
走って走って、ついに禁足地を囲う壁の前にたどり着いた。
呼吸を整えてただ一つの入り口を探す。
あっさりと見つかった入口はいつもならばされているはずの厳重な施錠が解かれていた。
壁の向こうには闇が広がり、その奥に仄かな光が見える。
きっとライラさんだ!
私は一刻も早くライラさんに会いたくて光に向かって走った。
しかし禁足地に入った途端足が止まる。
肌を撫でるような寒気にどこからか浴びせられる刺すような殺気、そして鼻腔を埋める血の臭い。
壁の外は寒かったはずなのにここの空気は生ぬるく、重たかった。
今なら引き返せる。
私の決意は呆気なく消え去り、ここまで誤魔化していた恐怖心が一気に押し返してきた。
帰らないと、死んじゃう。
急いで外に出たいはずなのに動くと何かに見つかりそうで体が動かない。
止まらない汗を拭うことさえ躊躇われる。
ランタンの灯りを消さないと。
「きゃあっ!」
震える体を動かそうとした時何かに足を掴まれた。
ランタンに照らされた足元を見ると誰かが私の足を掴んでいる。
ライラさん!と思ったが違う。彼女は。
「ニイアさん!?」
「ぁ……ぎ……」
「無事だったんですね!」
「ぅ……」
「ニイアさん?」
様子がおかしい、私を掴む手からは力が全く感じられず、口から出るのも呻き声だけだ。
目は虚で、まるで何かに取り憑かれているようだ。
「リーザちゃん!?何でここに」
声に驚き顔を上げるとそこにはライラさんがいた。
無事で良かった。
「ライラさん!ニイアさんが!」
「良かった!リーザちゃんすごい!」
ライラさんはかがみ込むと早速ニイアさんに異常がないかを診察しようとする。
「う……ッ!うあぁぁ!」
しかしニイアさんは今までの弱々しさからは考えられないような力でその手を振り払う。
そして立ち上がって後ずさると大きく咳き込んだ。
今の彼女には先ほどまでの弱々しさはなく焦点も定まっていた。
しかし何かに怯えているかのように体を小刻みに震わせている。
「ニイア?もう大丈夫だよ?」
ライラさんが優しく声をかけるもニイアさんの様子に変化はない。
私たちの背後に何かいるのかとも思って振り返ったが、ただの闇しかなかった。
「ニイアさん?どうしたんですか?」
「リーザちゃん!そいつから離れて!」
「へ?」
ニイアさんが指差しているのはライラさんだ。何がどうなっているのだろう。
咳き込み、血まで吐き出したニイアさんに駆け寄ったが、彼女はライラさんを睨み続けている。
「あいつは、ライラは悪だ。ここで人体実験を繰り返すゲスだ」
「ニイア?」
「何言ってるんですか?」
「これを見て」
「あ」
そう言ってニイアさんは一束の書類を取り出した。
ペラーズの中身を確認、四番十二にスケッチ。
レイビアにサンプル六の三二を投与、全身の筋肉の弛緩を確認。
新しい被験体の名はグルーム。貴重な魔術師だ。
新たな毒の完成だ。鉄も人体も溶かすこれを帝毒と名づける。
ニイアにサンプル四の八を投与、一時的な知能の低下が見られる。
何枚も、何枚も。
今までずっと一緒にいたから分かる、これはライラさんの文字だ。
今までずっと一緒にいたからこそ私の脳は紐付けを拒む。
「それ、持ってきたんだ。困っちゃうなー」
いつもと何ら変わらない様子でこちらに歩いてくるライラさん。しかしその手は剣を抜いていた。
「
「リーザちゃん!逃げて!」
ニイアさんが私の手を引いて走り出そうとしたがもう遅い。
抜かれた剣は既に私たちを捉えていた。
「
払われた剣で右足を斬られた、と思ったのだが痛みは全く無い。
しかし足が何かに引っ張られ転んでしまう。
地面に叩きつけられた後で足を見てみると枷がついており、鎖で地面と繋がれていた。
「リーザちゃん!」
「
私に手を伸ばしたニイアさんの腕を剣先が撫でる。
すると腕に錘のついた手枷が現れ、ニイアさんまで倒れてしまう。
「さーてっと、リーザちゃんはちょっと待っててね」
この人はライラさんじゃないのだろうか。顔も話し方も何もかも同じなのに。
その人はニイアさんの横に座ると剣をニイアさんの腹部に突き立てた。
「ぐッ!うわァァッ!」
二つのランタンの灯しかない暗がりに悲鳴が響く。
刺された箇所からは血が滲み出し、ゆっくりと地面に伝う。
「
ライラさんみたいな人はニイアさんの手を握った。そして静かに語りかける。
「ニイアはもうすぐ病気で死んじゃうんだよ?病気でただ死んじゃうのと私に協力して死んじゃうのだったらどっちがいいかな」
ニイアさんは弱りきった手で腹部の剣を握った。
「ゼェ、ゼェ……ゲフッ……マイナスかゼロならゼロを選ぶ、当たり前のことだ」
「……何でみんなそうなの?マイナスじゃなくてプラスだよ」
言葉を聞いて手を離したライラさんみたいな人は立ち上がると剣に手をかけそのままニイアさんを引き裂いた。
「ニイアさん!ニイアさん!」
あっという間に血は広がりニイアさんは動かなくなった。
殺したんだ、この人が、ニイアさんを。
やっぱりこんな人、ライラさんじゃない。じゃあこの人は一体誰なんだろう。ライラさんの振りをして悪いことをするこの人は。
「誰ですか。あなたは」
剣を納めたその人はこちらを見て笑う。
「リーザちゃん……いつも一緒にいたのに、忘れちゃったの?私はライラ・メネレイジェ。プロバットのギルドマスターでリーザちゃんのお姉ちゃんだよ」
嘘だ。そんなことはあり得ない。あのライラさんがこんなひどいことするなんて。
否定の言葉を浮かべるたびに頬を涙が伝い落ちる。
私の大好きな、大好きだった人がこんな人なわけない。
「ごめんね。痛かったよね?今外すからね」
足枷が消えたけれど立ち上がる気になれない。
顔を上げられない、顔を見たくない。
「うーん、そっか。ニイアならもう大丈夫だよ。ついてきて。全部教えたげる」
目の前に私をよく撫でてくれた手が伸ばされる。
もう何も分からなくなった私はその手を取り、どこまでも暗い道を顔を伏せながらついていった。
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