第2章 リーザ・エルディーレクは師を想う
第13話 萌芽の記憶
私は幼い頃、父と二人で暮らしていた。
具体的に父と何かをした思い出はない。
いつも私のそばにいてくれたこと、その温もりは覚えている。
ある日父は突然私のことを抱きしめた。そしてそのまま少しずつ冷たくなった。
目を覚まさない父を前にして怖くて泣きじゃくっていた幼い私の前にその人は現れた。
「ごめんね、パパを救ってあげられなかった。ごめんね」
何も分かっていない私に謝る彼女の頬にもまた涙が伝っていた。
彼女は天涯孤独になった幼い私を連れ帰り育ててくれた。
その人の名はライラ・メネレイジェ。技術開発ギルド、プロバットのギルドマスターだ。
しかし今私の目の前にいる彼女からはそんな威厳なんてものは全く感じられない。
「ライラさん!もうお昼ですよ!起きてください!」
「んむぁぁ〜」
布団も枕も跳ね飛ばし、お腹も出してこんな時間まで眠っている。
癖っ毛の髪に寝癖がついて、もじゃもじゃだ。よだれまで垂らしている。
これではどっちが子供なのか分かりやしない。
「起きてください!みんなもうお仕事してるんですよ!」
「もうちょっとだけ……」
「あーもう!」
ギルドマスターなのに働かずに寝てる。
どうしてこんな人がギルドマスターになれてるんだろう。
「リーザちゃ〜ん、おはようのちゅーしよ〜」
「うわあ!寝ぼけてるんですか!?早く着替えてください!」
抱きついてくるライラさんを引き剥がそうとするが相手は大人、力では敵わない。
「うひゃ〜、ほっぺ柔らか〜」
「くしゅぐっひゃいれひゅからほっへたへらいれくらひゃい!」
「ふへへへ、何言ってるか分かんないもんね〜」
「えいっ!」
「あでっ!」
あまりにもしつこいので顔に頭突きをしてしまった。
でもこれはライラさんが100パーセント悪い。
その後正座させてお説教をして、身支度をさせるとやっとのことで仕事机に向かった。
手のかかる子供をもった母親はこんな感じなのだろうか。
しかし座っただけで何もしない。初めのうちは書面を眺めていたがすぐに止め、やがては頬杖をついて居眠りしてしまった。
「ライラさん!」
大きな声を出すとビクッとして姿勢を正した。
しかしよだれが垂れてインクを滲ませてしまっている。
「あー!何やってるんですか!」
「ごめんねリーザちゃん。お腹すいちゃった」
「ライラさん!?」
ライラさんは立ち上がるとそのまま部屋を出ていった。
「ちょ、待ってくださいよ!」
私も仕方なくその後についていく事にした。
立ち止まってくれないライラさんを追いかけてたどり着いたのは案の定食堂だ。しかしそこは閑散としており、食事をしているのは三人しかいなかった。
それもそのはず、もう昼休憩の時間は終わっているのだ。
ライラさんが食堂に入ると食事をしていた人たちの注目を一斉に浴び、三人全員が食事の手を止めて駆け寄ってきた。
「お疲れ様っす!またこんな時間に食べるんすか?」
「ライラちゃんじゃん!こんな時間まで寝てたの?あっはは!」
「ライラさん、政府から例の腕輪の大量注文入りました!流石です!」
真面目に仕事しないクセにみんなに親しまれているのが不思議でならない。
私もライラさんのことは別に嫌いじゃないけど。
その上変な話だけどライラさんは仕事の成果も高い。普段真面目に仕事していないのに、だ。
陽の光を吸収できるランプ、水を簡単に浄化できる装置といった技術の開発はもちろん、薬の開発にも力を入れている。
いや、ライラさんにとってはむしろ薬の開発の方を本業にしている節があり、病に苦しむ多くの人々を救ってきた。私のところにいち早く駆けつけてくれたのも父の治療をしていたからだ。
かつてこの国を大きく発展させ、天導の発明家と呼ばれたバルデラと並べて、ライラさんを救済の発明家と呼ぶ人もいる。
失礼だけどライラさんをそばで見ていてそんなにすごい人だとは思えない。
私にとってライラさんは寝坊常習犯でサボり魔のぐうたら研究員だ。
話をしていたライラさんがこちらを見て私が微妙な顔をしていることに気づいた。
「ごめんねぇリーザちゃん。嫉妬しちゃった?」
「はい?」
しっと……?
なんだかよく分からないけれど食べるなら早く食べて寝坊した分を取り返さないと。
「おっ、ライラさん。可愛い秘書ちゃんが怒ってるっすよ」
「そうなんだよねぇ〜。朝からずっと怒ってるんだぁ」
「朝からって、さっき起きたばっかりですよね!?」
「あははは、ライラさん相変わらずですねぇ」
私の指摘に四人とも笑い出す。
ギルドマスターがこんな感じなのにみんなは文句ないのだろうか。
「おと、そろそろ何か食べよっか。みんな、また後でね」
ライラさんが言うと三人ともそれぞれ返事をして解散する。
食堂はあっという間に静かになった。
「リーザちゃんは何食べたい?」
「え?私は別に……」
ライラさんがいつまでも起きないから先に食べてしまっていた。正直言って私はもうお腹いっぱいだ。
「食べないと大きくなれないよ。すみませ〜ん、ベリータルト二つお願いしま〜す」
「ケーキですか!?」
確かに昼食には遅い時間だがまさかケーキを頼むとは。
いやケーキは好きだけど。
もう少し食事らしい物を頼むと思っていた。
いや私もケーキなら食べたいけど。
しかし結局ケーキはないからとパサパサのおいしくないパンと水を二つずつ渡された。
「うぅ、おいしくない……」
「ライラさんがいつまでも寝てるからですよ」
机にへばりついて残念そうにパンを咥えている。
八歳の私が何年生きているのか分からないライラさんにこんな感想を持つのもおかしいが、ライラさんは子供っぽすぎる。威厳の欠片もない。
「あのさぁ、リーザちゃん。私に言いたいことあるよね?」
「真面目に仕事してください。ちゃんとご飯食べてください。早寝早起きしてください。大人っぽくしてください。私にイタズラするのやめてください。部屋を片付けてください。と言うか使った物はちゃんと」
「違うちがーう!そーゆーのじゃなくてさ。なんか、危ないことしようとしてない?」
「え?」
「最近魔法の勉強してるよね」
どうして分かったのだろう。ライラさんには見つからないようにしていたのに。
私は魔法が使える、魔術師だ。魔術師は魔法も使えるし、普通の人より寿命も長いことが多い。
せっかく魔術師に生まれたんだからその力でみんなを守りたい。他の国からも魔物からも。
「エスクドだったら教えるよ。でもそれ以上はダメ。戦いなんてしちゃだめだよ」
「でも」
「みんなを守りたい気持ちは分かるよ。でもさ、リーザちゃんだって戦おうとすればきっと危ない目に遭うんだよ?」
いつになく真面目なトーンで話すライラさんは悲しそうな顔をしていた。
私は魔術師。みんなを守る力があるはずなのに。
「ライラさん、お願いします。プロバットのみんなは私の家族なんです。守りたいです」
この辺りで起こっている事件の話は私の耳にも入っている。
見たことのない魔物の出現、神隠し、隣国の宣戦布告。
いつ誰が巻き込まれても不思議じゃない。
今プロバットにはライラさんと私しか魔術師がいない。そのためここで何かが起これば戦えない私を置いてライラさんが一人で戦うことになる。
ライラさんは頼りないから一人でみんなを守れるとは思えない。あとライラさんも危ないかもしれないし。
「はぁ……やっぱりダメ?うーん……それじゃあ教えるけど……無茶はぜっっっったいにしないこと!戦えるからって一人で出歩くの禁止!勝手な戦闘は絶対しない!もし戦いになったら私のそばを絶対に離れない!」
「それじゃあ全然……」
「これ以上は譲れないよっ!……リーザちゃんだって私の家族なんだからね!」
「……分かりました」
ライラさん、なんだかんだで私のこと心配してくれてるんだ。
なんだかちょっと嬉しい。
おちゃらけている普段とは違ってライラさんが真面目な顔をしているのは新鮮だ。
「ところで家族ってことは私がお姉ちゃんだよね?」
「え?」
「よし、姉の私を敬ってもいいよ」
「何言ってるんですか。食べ終わったなら仕事に戻りますよ」
「あっはは。この間までおねしょしてた子とは思えないや」
「うわああああ!そんなことおっきい声で言わないでくださいっ!ばーか!」
「うんっ、それじゃあこれから早速教えちゃおう!」
「ああもうっ!ライラさんは仕事してくださいっ!」
ああ、おちょくられている。
このギルドマスターの師事でこれから私は力をつけることになる。
不安で仕方がない。
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