第4話 箱と魔物

「すまないが、暫し本部に戻らせてもらう。少しの間だが世話になった」

 場所はいつも通り嵐の後のような散らかりぶりの研究室。先輩が師匠に対して一時的に本部へ帰る旨を伝えていた。

「うん、分かった。ミレーネのことだから余程のことがなければ大丈夫だと思うけど、気をつけるんだよ」

 師匠が身を案じているのは先輩がフラスティエ政府の主要人物であり、事件の犯人たちに標的にされるかもしれないと危惧しているからだ。

「ふふん。我を誰だと思っている」

「ミレーネが強いのは分かってるけど、だからこそだよ。敵の実力は未知数だし、大勢に襲撃されることだって考えられるんだ。油断はしないようにね」

「ぬ、分かっている」

 このやりとりを聞くとまるで親子のようだ。それに反して話題は和やかじゃないが。

「と言うか、お前たちだって狙われてもおかしく無いんだからな!」

 ビシッとこちらに指をさす先輩。いつものマントが揺れる。

 それに対して師匠は軽く頷く。

「勿論こちらも警戒は怠らないよ。また会う日までお互い無事でいよう」

「ああ、そうだな。アルトも元気でな」

「はい!先輩、お気をつけて」

 日が昇ってからそう時間が経たないうちに先輩は出発した。

 先輩がいた昨日までの賑やかな業務も今日で一時的に終わると思うと少し寂しい。

「それじゃあ、今日の仕事を始めよう」

 師匠はそう言っていつも通り白衣と手袋を身につけ仕事に取り掛かる。

 漁師が使う銛のようなものを部屋の隅から何本か持ってきて机の上に並べていた。

 こうなってしまうとこちらの声は聞こえていないかも知れないが、一応挨拶だけして僕も業務を開始する。

 今朝は工場の仕事の監査を行うことになっていたので分厚いマニュアルを小脇に抱えて工場へと向かう。

 プロバットのみんなはもう仕事をはじめているであろう。人気ひとけのない綺麗に敷き詰められた石畳の道を歩いていると些細な違和感に気づく。

 右手前方、第一研究棟と第二研究棟の間の物陰に何か白いものが落ちている。

 近づいてみるとそれは手のひらサイズの白い直方体だった。

 持ってみたがそれは表現に困るもので、重くもなく軽くもなく、中に何かが入っている様子もなければどこかが開くようにも見えない。

 今までに見たことのない何かだ。

 軽率に触れてしまったことに後悔しつつ、一連の事件に関係のある物である可能性があるので通信魔法で師匠に連絡をしてみることにした。

(アルト?どうかしたのかい?)

(師匠、第一研究棟と第二研究棟の間に怪しいものが落ちていました。小さくて白い箱のような何かで……)

(すぐに行くよ)

 通信から程なくして、師匠は本当にすぐに来てくれた。

 白衣を着たままの師匠は箱を見つけると肩掛けの鞄のベルトを握り考え込んだ。

「これは……?なんだろう。何か分からないけど、時機が時機だからね。何かあった時のために研究員のみんなを避難させるよ」

 師匠が通信魔法で棟内の魔術師に避難を指示すると研究棟から人が何人も出てきて門の前の広場へ歩いて行った。

「アルトも避難した方がいいよ。これがなんなのかさっぱり分からないからね。危険な物だって可能性も十分にある」

「ありがとうございます。下がっています」

 いくら師匠であっても何かあった時に一人では危険だ。

 僕は魔術師で多少は自衛もできるので後ろに下がって備えることにしよう。

「何かあったら自分の身を最優先で守ってね。念のためエスクドは今から出しておくように」

「分かりました。エスクド」

 僕の魔法で目の前に半透明な防壁が現れる。

 防護魔法のエスクドは任意の位置に円形の魔法防壁を作ることができる。

 ほとんどの魔術師が一番最初に使えるようになる魔法がこのエスクドだ。

 箱に近づいた師匠は自分の前に防壁を作り白い箱を見据えた。

「それじゃあいくよ……偽物の定理マリニヤーカ

 師匠の魔法、偽物の定理マリニヤーカは手近にある物体を操る魔法だ。

 おそらく師匠はその魔法を利用してこの箱が何なのか調べようとしている。

 しかし箱には一向に変化が起こらない。

 そして師匠が視線を変えずこちらへ後ずさって来る。

「ごめん、あれが何なのか私にも分からない」

 国で一番の技術開発ギルドに所属し長年第一線で研究を行っている師匠でも分からない物体となると他の誰にも分からないだろう。

「ただ、分かったこともある。あれは誰かの魔力で形成されたものだ。普遍魔法であんな物が作れるだなんて聞いたことがないから十中八九固有魔法による物だろうね。だとしたらあれを作ったのは保有魔力の多い人物だ」

 固有魔法は保有できる魔力が極めて多い魔術師が使えるようになる、その人にしか使えない魔法で偽物の定理マリニヤーカはそれにあたる。

 当然ながらそれを使える魔術師は少なく、プロバットで固有魔法を使えるのは師匠ただ一人である。

 そのためこの箱を作った人物は外部の人間であるはずだ。

 それは何者かがこのギルドの区画に侵入した恐れがあることを物語る。

「ヤヒトに共有するよ」

 師匠は通信魔法で情報を伝達している。

 昨日侵入事件が発覚したばかりで今回の不審物だ。いつ大きな事件が起こってもおかしくはない。

 あるいは水面下では既に何かが起こっているのか。

 やがて共有を終えた師匠だが、先ほどよりも顔色が悪い。それは連日の寝不足によるものだけではないはずだ。

「今聞いた話だけどね、今日これと同じものがこの国の各地で見つかっているらしい。政府の本部前の路地、レギーレンの会長室の屋根の上、ソウォムの資材置き場にカリーエの農園。他の場所にもあるかもしれないね」

 今列挙された場所はそれぞれかなりの距離がある。本当にこの国の至る所で見つかっているようだ。

「今日見つかったってことは一晩で各地に置かれたと言うことでしょうか。置かれている場所も比較的見つかりやすい場所ですし」

「ん?なるほど。野蛮な発想だけど、この箱が爆発でもすれば各ギルドはしばらく仕事にならないだろうね……爆弾かな?」

「えっ」

 僕と師匠がお互いに顔を見合わせたタイミングで箱が光を放ち始めた。

 これがもしも爆弾だとするならこれは……。

「アルト、下がって!エスクド!」

 師匠は箱を取り囲むように防壁を何枚か展開し、更に僕たちの前にも出現させた。

 エスクドは基本的に円形にしかできないのでどうしても隙間はできてしまうが。

 それが終わった次の瞬間、光が一段と強くなり、巨大な魔物が現れた。

 大きさは二階建ての住居と同じくらい、つまりは僕達よりもずっと大きい。

 僕はこれを魔物と表現したがこんな魔物は見たことがない。人型の黒いドロドロが岩石を纏っているような見た目だ。

 恐怖心も手伝って咄嗟に腰の剣に手をかけて一歩飛び退く。

「なるほど、さっきの箱はこの魔物が変身させられていた姿だったのかな。それはともかくこの巨体は危険だね。みんなを避難させてよかったよ」

 場数を踏んでいるからか師匠は落ち着いたものだが僕はこんなに大きな魔物と対峙するのが初めてで足が震えてしまっている。

「オォォッ……」

 周囲に響く低い声で魔物が呻く。

 今すぐここから逃げろと僕の鼓動が危険信号を鳴らしている。

 魔物は研究棟と僕たちを見比べるとこちらに向けてその大きな右腕を振り上げた。

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