第2話 休息と懸念

 僕が床に散らばっていた殴り書きを拾い終わった頃、私服に着替えた先輩がやって来て、今日の仕事は終わりとなった。

 マントと同じく先輩は私服も真っ赤で派手だ。

 あんな服どこで売っているのだろう、目立って仕方がない。

 先輩が仕事をめるように促すとあの師匠が大人しく仕事を切り上げて自室へ戻っていった。

 もしかして師匠を休ませるために食事に誘ったのだろうか。

「ほら、アルトも急いで支度したまえ」

 言われて僕も部屋へ戻り制服から私服に着替え、お金だけを持って師匠の研究室に戻った。

 机に座りふんぞり返っていた先輩と一緒に師匠の支度を待ち、その後ダラダラと喋りながら出かけた。

 この辺りはプロバットの所有する区画で、研究所や工場、宿舎や食堂などが並んでいる。

 工場はほとんど明かりが消えているが、研究所はまだ灯りが点いている部屋が多い。

 それを見て師匠が「体を壊さないか心配だね」と。一晩中灯りが点いている研究所の主が何を言っているのか。

 師匠とは違って今灯りが点いている研究所の職員は決まった時間に業務をやめる。多少労働時間が長いが、これくらいなら問題にならない。

 守衛に挨拶して門を抜け区画外に出ると、食材や木材、紙などを売っているマーケットスペースになる。

 しかしこの時間に空いている店はない。灯りが点いているのは軒先の店舗ではなくその奥の住居だ。

 師匠と先輩はこのさらに奥の飲食店が多いエリアに向かうものだと思っていたが、その手前で道を逸れ、暗い路地裏に入っていく。

 暗い中を少し進むとランプに照らされた小さなボトルの看板のある店にたどり着いた。

 青銅の調度が施された扉を開けると、仄暗い部屋の奥にカウンター席がいくつか。

 その向こうで椅子に腰掛けて本を読んでいた店主が顔を上げた。

「あら、いらっしゃい、リーザに……ミレーネ!久しぶりねぇ。そっちの子は?」

「久しいな、マスター。彼は我が後輩のアルトだ!」

 女性のような話し方をする黄色いエプロンの店主は二人と知り合いらしい。

 筋肉質で肩幅が広く僕よりもずっと背が高い。

「初めまして、アルト・ケイムスです。よろしくお願いします」

「やぁね、仕事じゃないんだからそんなに堅くならなくていいのよ。あたしのことはマスターって呼んでね」

「はい。わかりました」

「あっはは、昔のリーザみたいね。さっ、三人とも座って」

 マスターに促され座るとメニューを渡される。

 お酒を中心に馴染みのあるものから聞いたことのないようなものまで多種多様な食べ物を提供しているみたいだ。

 僕がメニューを眺めている間に勝手知ったる様子の二人はすぐに注文をしていた。

 悩んでいた僕に師匠がおすすめを教えてくれたのでそれに従い注文することにする。

 僕の注文が終わると先輩が厨房に引っ込もうとしたマスターを呼び止めた。

「マスター。最近この辺りで不審な人物を目撃していないか?」

 そう言って先輩はマスターに一枚の紙を手渡す。

 それは顔や身体的特徴などが書かれた政府発行の手配書だ。

「うーん、見てないわねえ」

 マスターは一度厨房へ行き師匠にレモン酒、先輩に葡萄酒、僕に紅茶を持ってきてくれた。

 先輩の言う不審な人物とはここ一年くらいこの国のあちこちで目撃されている人物である。

 その人物が現れた場所で次々と事件が起こっているため、政府が調査を開始した。

 政府でも指折りの実力者である先輩が今回僕の指導役になったのはこの件についての調査を行うついでだ。

「最近は何かと物騒みたいだね。研究室にこもっていると分からないからその件について色々と調べてもらってたんだ。分かったことを共有するよ」

 バッグからさっき僕が拾い集めた殴り書きの一部を取り出した師匠はそれをカウンターに置く。

「って師匠、ここに来てまでも仕事ですか!?」

「ああいや、仕事というわけではないんだけどね。まずことの起こりについてだけど……あれ、これ違うな」

 雑すぎる文字だから書いた本人でもパッと見ただけでは内容が分からない。

 急ぎたいのは分かるがもう少し字をきれいに書いた方がいいと思う。

「我が話し始めておいて何だが、また後にしないか?」

 先輩が大きなため息をつく。

 資料を持ってきているあたり、師匠は初めからここでこの話をするつもりだったのだろう。

 珍しく仕事を早く切り上げたので少し安心したらこれだ。

「あたしとしてもそうしてもらいたいわ。リーザのことだからずっと働き詰めなんでしょう?いくら魔術師だからって適度に休憩しないと倒れちゃうわよ」

 マスターまで厨房から出てきて心配している。

 三人に指摘されてキョトンとしていた師匠だったが、それを振り切って一枚の資料を取り分けた。

 その資料も師匠以外には解読困難なインクの線が踊っている。

「ごめん、三人とも。それじゃあ手短に話させてもらうよ。あはは。私だって今日は休暇のつもりで来たんだ」

 作り笑いをした師匠はカウンターに置いた一枚以外をバッグに詰め直すと話し始めた。

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