藁世界の終わり

相良趣等

第1章 アルト・ケイムスは決意する

第1話 師匠と先輩

 火にかけていた片手鍋の水がぼこぼこと泡を立てる。

 使い古されて表面に細かい傷のついたポットの茶漉ちゃこしにこだわりの茶葉を入れ、沸騰したお湯を注ぎ少々。

 茶漉しを取り出せば香り高い紅茶の完成だ。

「師匠!お茶が入りましたよ」

 隣の部屋にいるはずの師匠からの返事はなし。これはいつものことなので僕はトレイにポットとカップ、それと少しの焼き菓子を乗せて師匠の研究室に入る。

 足元も机の上も相当散らかっているが今となっては慣れたもので、足を置ける場所を選んで進み、師匠のいる机に到達した。

 相変わらず師匠は机に向かいうんうん唸っている。

 薬品か何かで所々変色した白衣を着て新品のように綺麗な革手袋をしている、いつもの仕事着だ。

「お疲れ様です。休憩にしませんか?」

 ここでやっと僕に気づいた様子の師匠は長い髪をかきあげて笑みを浮かべる。

「ああ、ありがとう、アルト。そうだね、少し休もう」

 彼女はリーザ・エルディーレク。道具の開発や生産を行う『プロバット』というギルドに所属しており、ギルドマスターでありながら現場の指揮よりも開発に執心している。

 ワーカホリックなきらいがあり、なかなか自分から休息を取ろうとしないため、目下のところ僕の仕事は師匠の健康維持だ。

 凝り固まった肩をほぐすように大きく伸びをすると、師匠は目の前にあった書類といくつかの部品を除けてちょっとしたスペースを作りカップを手に取った。

「悪いね、こんなことばかりさせて。変なこと報告しないでくれると助かるよ」

 僕の所属は国の中央、いわゆるお役所だ。今はこうして幾つかのギルドに赴いてその活動を監査する仕事をしている。

 政府の就職試験でお世話になったのが師匠で、僕に勉強はもちろん、魔法や戦闘など多岐にわたって指導してくれた恩人だ。だからと言って監査の手を抜いたりはしないが。

「大丈夫ですよ。これと言った問題点はありませんし。マスターが働きすぎだという点を除いてですが」

「あはは、気をつけるよ」

「本当に気を付けてくれるんですよね?」

 普段は誰よりも信用できる師匠だがここばかりは露ほども信用ならない。

 その過剰な努力の成果として、師匠は技術開発において右に出る者がいないほどの技術者となっている。

 その上魔法、戦闘においてもこの国で五本の指に入るほどの実力者だ。

 だから師匠の健康状態が心配である旨を報告すれば確実に政府から何らかの策が執られるだろう。

 師匠にはそのことを再三注意しているのだが、熱中すると周りが見えなくなる性格のため一向に改善されない。

 僕のここでの仕事が終わるまでに改めてくれるといいのだが。

「政府はどうだい?」

「いいところですよ。先輩も優しい人ばかりで」

「先輩って……」

 苦笑いした師匠が少し言い淀んだところで研究室のドアがノックも無しに、無遠慮に開け放たれた。

 古ぼけたドアなのでそのまま壊れてしまわないか心配になる。

「そう!我は優しい!」

 ドアを開け放ち、床の物にお構いもせずにずかずかと部屋に入ってきたのは今回の仕事に指導役としてついて来てくれた僕の先輩だ。

 名前はミレーネ・セントリアス。この国、フラスティエの政府で着用が義務付けられている白を基調とした制服の上に派手なマントを身にまとっており、少々目立つ格好をしている。

 オシャレのためだけにしている片眼鏡の位置をクイッと直すといつもの妙なノリで話しだす。

「仕事が終わったぞ、我が友よ!そして我が後輩よ!」

「あはは……これが先輩、ねえ……」

「これとはなんだ!」

 先輩が来て部屋が俄に賑やかになり、師匠もやれやれといった様子で立ち上がった。

 先輩と師匠の二人は幼馴染だ。性格は似ても似つかないがウマが合うようでとても仲がいい。

 仕事の報告に来たはずの先輩だが、師匠と二人して今日の夕食はどうしようか、と仕事とは無関係の話をしている。

 仕事熱心な師匠を休ませるためには気心の知れた友人の存在が不可欠なのかもしれない。

 かと言って先輩もこれで政府ではかなりの重鎮。今回が特別なだけでいつまでもここにいるわけにはいかない。

「よし!後輩、もといアルト!今日の夜は三人で飲むぞ!」

「えっ、お酒ですか!?僕はまだ十四歳なのでお酒は……」

「十四!?まだ十四なのか!?」

 お酒を飲めるのは二十歳からなので僕はまだお酒を飲めない決まりになっている。

 因みに二人の年齢だが、魔法を使える人間である魔術師は魔法を使えない人間と比べて生きられる年数や成長の仕方などが異なるので推察もできない。

 見た目は二十代といったところだが、実は百歳、なんてこともあり得る。

 女性の歳についてあまり考えるのも失礼なのでやめておこう。

「人の歳など誰も厳格に記録してるわけじゃない。つまり飲んだってバレない」

「それがお役人のセリフでいいのかい?アルトは飲まないようにね」

「もちろんです」

 お酒を年齢で制限しているのは幼い時期からお酒を飲むと依存するようになってしまうかららしい。

 何か怪しい成分でも入っているのではないだろうか。

「っと、夕食にはまだ早いな。リーザもアルトもここにいるだろうから、刻が来たら迎えにこよう」

 ブワサァ……と小声で言いながらマントを豪快に翻し先輩は部屋を出て行った。

 カツカツと靴音を鳴らして廊下を歩く様はできる上司のようで少しかっこよかったが、それが分かるということはドアを開けっぱなしにして出ていったという訳で行儀はよくない。

 蝶番がくたびれたドアを無言で閉めると僕と師匠は仕事を再開した。

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