あとがき

大川黒目

あとがき

ここに僕のあとがきを残そうと思う


君がこれを読んでいるときに、僕がどうなっているのかは知らないし、どうなってようと知ったこっちゃない

それでも僕はただ僕のためにこのあとがきを残そうと思う


希死念慮正体見たり枯れ尾花

僕は希死念慮とともに生きてきた。僕の生活に希死念慮は遍在した。朝食中のニュース原稿に、鞄の肩紐に、汚れた事務机の表面に、アスファルトと靴底の隙間に、湯船に、暗い天井に、季節外れの羽毛布団に

僕にとってあまりに身近でありながら、正体が掴めない存在だった、半透明なに包まれた、ただ漠然とそこにあるもの

ついこの間、その正体がふいに明らかになってしまった


人生の幸福の総量と不幸の総量はどちらの方が多いだろうか

終わりの瞬間が訪れるまでは確定はしないが、結果が分かり切ってしまうことはある。選挙の当確発表のように


僕はいつもただ辛かった

この前、いままでで最も幸せだった数年間を切り取り、日記をめくり記憶を手繰ってみた

その頃、僕は確かに幸せだった。それと同時に辛かった。とても辛かった。

最も幸福な時期ですら、幸せの量が辛さのそれを上回ることはなかった。

さらに数年前の、僕がこの世で最も気楽な立場だった頃で試してみても、結果は同じだった

僕はどんなに幸せでも気楽でも、常に辛さが優位であるらしかった


幸福や幸運は僕を本質的に幸せにしない

幸福と不幸は波だ。上がったら、下がる。浮かんだ分、落ちる

僕にとって幸せとは、歩みの中で空に向かい跳ね上がることだった。上昇で、躁で、陶酔で、高揚だった

しかしジャンプすればその数秒後にはひどく地面に打ちつけられる。僕にとって不幸とは下降で、落下で、墜落だった。


僕にとって幸福とは不幸と同義だった。しかし一方で不幸は幸福と同義ではなかった。重力は常に僕の身体を引いたが、固い地面が倒れた身体を優しく押し戻すことはなかった

週末の旅行に興奮し、人と話して笑い、映画を見て涙を流す。そうして得た楽しさの分だけ、悲しみの波が押し寄せた


ああ、賢明なきみならすでにわかっただろう

僕の人生の幸福の総量が、不幸のそれを超えることはまず、無い

僕はずっと負け越してきた。そしてこれからもずっと負け越し続ける


楽しかったことは無数にあった。だが楽しかった時期は一瞬もなかった

流行りの“損得”で考えれば、こんなもの早く終わらせるほど“得”だろう



人がなぜ死を辛く苦しいものと決めつけて怖がるのか、今ならよくわかる。そうして辻褄を合わせている。その大きすぎる不幸の塊が、人生の幸福量を負かしてしまうことを恐れ、忌避する。生きるために

まあ、もう負けている僕には、関係ないけれど



そういえばこの前、会社の新人が死んだよ

嫌な上司と働くのが辛いからと書き残したそうだ

上司を責める声も、新人の弱さを非難する声もあった。でも僕は彼の決断を嘆くことができなかった。僕と彼の間には薄皮1枚分の隔たりしかなかった

幸福と不幸のバランスを知ってしまった今、合理的な判断をしていないから、僕は息をしている。ほんの些末な引っ掛かりがいつか、薄皮を破くかも分からない。

たとえば玄関で躓いたとか、ワイヤレスマウスの電池が切れたとか、0.3ミリのボールペンをなくしたとか

ああ、未来のことを考えながらも終わらせることを思ってしまう

10年債投資を検討しながら、明日死ぬことを考える。人ってそういう生き物でしょう

ブレーカースイッチを指先で弄び、弾力を感じる。バツンという音がいつ頭に響くか分からない、そんな感覚



僕は昔から訳も分からず嘯いていた。永遠に生きられないなら今日死にたいと

今やっとその意味がわかったよ

いつか終わってしまうのなら、そのときに結果が出てしまう

知りたくもないくだらない結末が

いつまでも終わらないのならば、その答えはいつまでも収束しない

幸せに永続性は無い。前へと進む歩みにも永続性はない

だが立ち止まることには永続性がある。終わりには永続性がある

始まりは始まることしかできないが、終わりは終わり続けることができる


永遠に生きられないのならば永遠に死ぬしかない

そう言いたかったのだと、今ならよくわかるよ

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あとがき 大川黒目 @daimegurogawa

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