五・〝午後の陽〟

 ――カリフォルニアが太平洋に沈み始めました。


 J - WAVE の女性DJが静かな口調で語り出した。

 バックにはハットフィールド・アンド・ノースが流れている。


 ――サンタバーバラ、ロサンジェルス、サン・ディェゴの各市はすでに完全に水没しております。今夜半から明朝にかけ、カリフォルニア半島全域が海面下に沈降する模様です。続いて道路情報……


 PCのスイッチを切って鞄を取った。

 立ち上がって別れの挨拶をすると、女の子たちはデスクに座ったまま頷き返した。 

 課長は新規発注分の資料に目を通しながら、顔を上げずに手だけを軽く振った。

 トレイに色とりどりのカップを載せてやって来た新人の娘に今月分のお茶代を渡し、僕は事務所を出た。

 根拠もなく懐かしいどこまでも明るい午後だった。事務所の前の通りをいつも右から左へと吹いている風に、どこかで嗅いだことのある不思議なにおいが混じっている。

 事務所の前の由緒ある古い公園で賑やかな声がしているので見ると、髪を染めおかしな格好をした若者たちが、子どもたちを交え缶蹴りに興じていた。

        

                  §


 河沿いの駅で電車を下りた。

 改札を出ると細い道のむこうは土手に沿った藪地で、灌木の間に川原へ降りる細い坂道が伸びている。

 坂を下って行くと視界が開け、丈の低い茂みがひろびろとした薄の群落に変わった。不意に横道から女の子が走ってきた。


 「やだ。どうしよう! もう間に合わないよ!」


 ポニーテイルにキュロットパンツの少女は立ち止まって途方に暮れ、足踏みをしながら蒼い空を見上げた。


 「どうしたの?」

 「3時の便に乗らなきゃ、お姉ちゃんと行き違いになっちゃう!」

 「それならもう大丈夫だよ」

 僕は笑った。

 「ニュース聞かなかった? カリフォルニアが海に沈むんだよ。もうなにも手遅れになんてならない」

 「そうかあ……」


 道の真ん中にぺたんと腰を下ろし、少女は広げた足の間に両手をついて空を見上げた。

 轟音とともに旅客機が低空飛行している。対岸に並んだガスタンクの上でゆっくり旋回すると、尾翼を陽炎に揺らめかせながら遠ざかって行った。

 見ると少女の姿はもうなかった。

 ぼくの顔を一度もまともに見ぬまま、せかせかと行ってしまったのだ。

 ふと彼女の取り澄ました横顔が目に浮かんだ。

 他にだれも乗客のいない巨大な客室で、行儀良く膝に手をのせて窓際の席にちょこん、と座っている。

 窓から射す秋晴れの陽が雲海に反射して眩しいらしく、少しばかり不機嫌そうだ。

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