三・〝うつせみ堂〟
西の山奥には
山中の通行が年々困難になり、近ごろでは山中を往来する行商の者でさえ、よほど昔から住人と懇意にしている老婆たち以外ほとんど集落へはよりつかない。
川辺の森を切り開いた窪地には五軒長屋が東西に二つ、間に広場を形成するように向き合っているが、部屋の大半は退色した木綿のカーテンで窓を戸を閉ざしている。
長屋の造りは至って簡素で何の変哲もないが、玄関の上の大きな羽目板に刻み込まれた透かし彫りが目を引く。
図柄はどれも笑う
この笑いが意味するところは集落の者にも不明だが、一門の宗主であった少年が常にこれと同様の笑いを口許に浮かべていた、と土地の古老は証言する。
先代宗主の一人息子にして宗門の聖者である丸々と太った子どもは、大悟を得るまで人前にほとんど姿を見せなかった。
生まれつき知能に障害があったとも言う。
広場の真ん中には上に粗末な板屋根をかけた大きなつるべ井戸があり、それと並んでかなり大きな堂が建てられている。この堂の意匠は異様を極める。
木造の伽藍は、狂気じみた正確さで
堂の内部は完全な空洞で、波打つような内壁の褶曲は外面の凹凸の完全な裏返しである。この壁にもまた漆のような塗料が塗り込められ、四季を通じててらてらと湿った光沢を失わない。
10年前のある日。
代替わりをしたばかりの宗主である少年以下、彼の家族すべてと土地の住民の大半が集落より姿を消した。
あるものは言う。ついにかれらは一切の理性のくびきを脱し羽化登仙した、と。
また別の者たちによれば、失踪した宗徒たちは堂を囲むようにして広場の地中に埋められ、胎児の姿勢を作って眠っていると言う。
浮き彫りの老爺たちと同じ笑みを満面に浮かべたまま。
しかしそこがいかなる至福の地であろうと、ぼくは彼等の召された、あるいはこれから赴かんとしている浄土へなど決して行きたいとは思わない。
集落に取り残された数少ない人々に尋ねても、同じ答えが返ってくるだろう。
引き攣った口許に妙な薄笑いを浮かべ沈黙するかれらに、そのようなことを尋ねるものがいる、と仮定しての話だが。
― 了 ―
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