第4話 保護
「終わりそうか?」
どれほど経っただろうか。
声をかけられて意識を現実に持ってくると、向坂は証拠を撮り終えたようで俺の隣に立ってパソコンを覗き込んでいた。
「あぁ。とりあえず、危険なものではなさそうだわ。これは犯罪に使おうとしたわけじゃねぇらしい。」
「へぇ。じゃあ何目的?」
「それが分かんねぇんだよ。あいつ専門の奴だし、俺が知らない専門用語だらけで全部を読み取るのは無理だわ。読み解くだけでも数日掛かる。」
「そっか。じゃあどうする?そいつ。抱えていくか?」
「いや、だるいし起こすわ。起こしても問題なさそうだし、相当金の掛かってる嗜好品だから自己分析させたほうが早い。」
アンドロイドが広く普及をした要因の一つに、取扱説明書がなくとも容易に操作が出来るというのがある。
分からないことがあっても尋ねればアンドロイド自身が答えて教えてくれる。
娯楽用ともなれば自己分析で自らエラーや不具合を見つけ出し、必要に応じて主人に報告し、修復を依頼したりする。
きっとこのアンドロイドも例外ではないはずだ。
卵形のカプセルの下側についている取っ手に手をかけ押し上げれば、ガスダンパーによってゆっくりと扉は開かれる。
ただ人間が眠っているだけのように見えるそれの首筋に手を伸ばし、微かに窪んでいるところを軽く押し込むとアンドロイドの瞼がゆっくりと持ち上がった。
シルバーの瞳に青いライトが縁取り、数回の明滅の後、日本人特有のこげ茶色の瞳へと色を変えた。
完全に立ち上がった証拠だった。
そいつの前へと座り込めば俺に焦点を当て俺の顔を捉える。
「おはようございます、ご主人様。登録を開始いたします。お名前を教えてください。」
どうやらこいつは新品のようで、初期設定の言葉を声変わりしたてぐらいの少し幼い声で紡ぎだしている。
「俺はお前のご主人様じゃない。登録を拒否する。」
当然俺はこいつの主人ではないし、なるつもりもない。
個人の登録は必要不可欠だが、後で登録することも可能なため、拒否をすれば登録を中断することができる。
登録するまで定期的にアンドロイドから登録を催促されるぐらいであり、押収しただけのアンドロイドに尋ね続けられようとも特に問題はない。
「申し訳ございません。それは出来ません。ご主人様のお名前を教えてください。」
「は?そんなわけねぇだろ。お前エラーでも起こしてんの?」
「いいえ。私の仕様です。ご主人様のお名前を教えてください。」
それは俺にとって初めての出来事だった。
今まで様々な押収品を見てきたし、初期化して動作確認のために立ち上げて登録を拒否してきたことは何度もある。
しかし、一度だって拒否できなかったことはないし、これ程までに登録を催促されたこともなかった。
登録の催促など1日に1回程度である。
こんなにもしつこいのは異常であるはずなのだが、目の前のアンドロイドはエラーではなく仕様だという。
俺は面倒なものを起動させてしまったかもしれない。
「俺はお前の主人じゃない。登録はしない。」
「登録してください。ご主人様のお名前を教えてください。」
「これ大丈夫なのか?本当に危なくねぇの?」
向坂にとっても初めての経験であり、不安そうな表情で俺の様子を伺っている。
「危険なものではねぇはずなんだけどな。困ったな。お前主人になれよ。」
「何で俺なんだよ。嫌だよ。」
「俺のほうが嫌だわ。いいから、名前言え。」
中腰で様子を伺っていた向坂を腕を引いて無理矢理座らせ、そいつの視界にきちんと収まるようにして、俺は視界から外れるように体を横にずらす。
「お前の主人になる。向坂昴だ。」
「申し訳ございません。あなたはご主人様ではありません。登録は出来ません。」
その言葉を聞き、俺たちは顔を見合わせて信じられない状況に眉を顰める。
初期設定時にアンドロイドの視界に映りこんだものは全て記録が取られ、登録時に複数人映っていようが、主人になると発言したものを認識して登録出来るようになっていた。
登録中であることは間違いはないし、エラーを起こしていると想定して誤作動を起こさないために俺は敢えて視界から外れた。
絶対に登録は完了する状況であるはずなのに、アンドロイドがそれを拒否した。
そんな話は聞いたこともなかった。
「どういうことだよ?」
「そんなの俺が知りてぇよ。」
「ご主人様のお名前を教えてください。」
そいつは向坂から視線を外し、俺の方へと向き直った。
とても滑らかな動きをするアンドロイドだと思った。
「めんどくせぇ。登録はとりあえず後にしろ。今は忙しい。」
「申し訳ございません。登録を完了しない限り動けません。ご主人様のお名前を教えてください。」
正直既に気が狂いそうだった。
何度も何度もしつこく名前を尋ねられ、俺を視界から逃がさないかのような視線に嫌悪感すら抱く。
立ち上げたことを後悔しながら、俺はそいつをシャットダウンすることにした。
電源を落としてしまえばとりあえず登録の呪縛からは逃れられるだろう。
そう思って首の後ろに手を回し、電源を長押ししたが、そいつは落ちる気配がなかった。
「登録を完了するまで電源は落とせません。登録を完了してください。ご主人様のお名前を教えてください。」
「怖くない?もうホラーじゃん。」
向坂は怪談話でも聞いているかのような不気味そうな顔をしており、俺だって逃げ出したい思いだった。
しかしこれは重要な証拠であり、必ず押収しなければならない。
俺に残された道は登録するのみだった。
俺は大きなため息をつきながら俺が座らせたまま座り込んでいる向坂の隣へと座り込む。
「
「如月湊様。登録致しました。ご協力感謝いたします。何する?」
登録が終わると、そいつは突然喋り口調を変え、甘えるように口角を少し上げて笑みを作り、目を細めて小首をかしげた。
その姿は、あまりにも人間臭い動きだった。
一気に苛立ちと嫌悪感が込み上げ、そいつを無意識に睨み上げていた。
「ごめん。そんなに怖い顔しないで?」
そいつは怯えた表情を見せ、俺に許しを請うように眉を下げながら今にも泣きそうな顔をした。
そいつの表情は、あまりにも滑らかにコロコロと変わった。
娯楽用の中でも高額な部類に入ることは直ぐに察しが付いた。
相手の表情を読み取り、こちらも表情を読み取れるほど緻密な動きをするそれは中途半端な金額では手に入るような動きではなかった。
性格までもがカスタマイズできることもあり、喋り方や相手への接し方は購入者の好みではあるが、その場合初期設定の時点から一貫してカスタマイズした通りに喋るはずだった。
しかし、こいつは家庭用でも用いられている敬語で喋っていたし、喋り方の切り替えがあまりにも唐突だった。
まるで、後から追加した機能のように、完全に区切られていた。
「こいつ、何かおかしくねぇか?」
向坂も俺と同じ違和感を感じているようで眉間のしわは深まる一方だ。
「自己分析して、犯罪抑制装置と力の制御装置に異常がないか、その他にエラーと故障がないか調べろ。」
俺のその指示に考え事をするように斜め上を見上げながら少し停止し、自己分析をし始める。
今までに娯楽用を保護したことが何度かあり、自己分析をさせたこともある。
しかし、人間が考え込む時のように斜め上を見上げながら分析をするものは初めてだった。
自己分析時は体を停止させ、少し俯き気味に下を見て分析する姿が一般的だ。
購入者がアンドロイド研究者だったこともあり、事細かな設定が出来ると知っていたから態々このような仕草を覚えこませたのだろうか。
度重なる通常とはかけ離れた動きに違和感を感じずには居られない。
「どこにも異常はないよ。」
数秒後、分析を終えて俺に視点を戻して答えたその回答に納得はいかないが、娯楽用の自己分析機能は高性能だ。
誤診をするようなものではない。
「とりあえず、お前は俺らについて来い。お前は重要な証拠だ。」
「何の?」
「説明する義理はない。あと、俺に馴れ馴れしくするな。俺はお前の主人になるつもりはない。お前は元々別の人間が作ったものだ。何かのバグでしつこいから名前を答えただけに過ぎない。俺に必要以上に近づくな。」
俺の突き放す言葉に、そいつは悲しそうに眉を垂らして頷いた。
反吐が出そうになるほど人間臭い表情をしている。
まるで感情が備わっているかのような反応を示すそれに、俺は苛立ちが積もるのを止められない。
「雨宮がインカム付けろって。」
向坂にそう言われ、俺はインカムをつけながら立ち上がり、パソコンを持ち帰るために自前の記録媒体を差込み、必要なデータのバックアップを取っていく。
「何だよ。」
『何だよじゃないよ。いつまで独断で動くつもりだよ。早くそこ離れて欲しいんだけど。刑事課が直に到着するから。』
「犯人の捕獲すら俺らに任せたくせに今更何しにくんだよ。」
『一応人間の管轄はあっちだから。取り調べも向こうがするしね。こっちの管轄のものは押収して早く出て。鉢合わせたらお前ろくなこと言わないんだから。』
「俺は今最高に虫の居所が悪い。アイツ等に俺が合わせるなんて真っ平ごめんだ。」
『いいから早くしろよ。それ、丸々持って帰ってくればいいんじゃないの?』
「バックアップぐらい取らせろよ。ここに隠して何かしてたぐらいだ、下手に触ってデータが全部飛んだら話になんねぇだろ。」
雨宮はどうやら呆れているようでため息が聞こえてきた。
『向坂は次の案件行っていいよ。バイクは外に手配しといたから。』
「それならお言葉に甘えて。如月、後はよろしくな。」
そういう向坂に俺は片手を上げて返事を返し、扉の開閉音で向坂が出て行ったことを認識する。
俺もなるべく早く切り上げたいところだが、この膨大な容量をバックアップするにはそれなりに時間を要する。
アンショウは揶揄されるだけあって他部署との折り合いはあまりよくない。
俺らが何かをしたわけではないのだが、高給取りで拘束時間が長い俺らは特別にある程度自由な規則を設けさせてもらっており、特別扱いされていると思っている奴らが俺たちを目の敵にし、陰口や嫌味をよく言われる立場にある。
雨宮は部署の代表であることと平和主義のためそれらを黙認しているが、俺や先ほどいた向坂もそうだが、血の気の多いタイプであり、言われて我慢をできず衝突を繰り返している。
特に刑事課は犯人の人間を逮捕するために現場でよく鉢合わせるので特に仲が悪い。
今回のこの現場も、リミッターを解除できるだけの知識を有している犯人相手で、人間の俺らは危ないからお前らが行って来いと、俺らをまるで人間じゃないかのように扱って犯人の捕獲も押し付けられていた。
本来の規則に則るのであれば、刑事課と共に侵入をし、俺らは護衛をしてアンドロイドの保護、破壊を行い、刑事課が人間を逮捕する流れになっている。
結成当初は規則通りに行っていたが、制御不能アンドロイドに出くわさないとは限らない現場を刑事課は嫌がるようになり、何度かその場面に出くわしたことを皮切りにその危険性がある現場にはめっきり来なくなってしまっていた。
出くわしたとしても俺らは一度だってそいつらに怪我を負わせたことはないし、自分の身を呈してでも守って破壊をしてきた。
その仕打ちが現状なのだから俺たちも相手を好まないのは当然のことだろう。
10分ほどその場でシステムを眺めながら終わるのを待ち、やっとの思いでバックアップを取り終えた俺はパソコンを落として持ち帰る仕度をする。
「おい、お前ついてこい。」
カプセルに入ったまま手持ち無沙汰のように指先を弄りながら待っていたそのアンドロイドに声をかければ、素直に従って俺の傍へと駆け寄ってくる。
座っていた状態でも感じていたが、そのアンドロイドはとても小柄に設計されていた。
顔立ちから察するに男だろうが、ショタコンの気でもあったのだろうか。
子供っぽい井出達をしている。
人間の成長で例えるなら中学生か、下手したら小学生ぐらいにも見え、176cmの平均的な身長である俺の肩ぐらいまでしか身長はなかった。
何を思ってこのような作りにしたのか気にはなったが、俺はあえて問いかけるようなことはせずに外に向かって歩き始める。
きっと、俺はこいつとあまり関わらないほうがいい。
いい結果は招かないと、過去の俺が警鐘を鳴らしているように感じる。
先ほども、暇そうに指先で遊びながら待っている姿はあまりにも人間臭かった。
娯楽用にしても緻密すぎる。
もしACGも持っていなくて、こいつが起きて動いていたなら、俺はこいつがアンドロイドだとは認識しなかっただろう。
それほどまでに人間と遜色ない動きをするこいつが心底気持ち悪かった。
仕事でなければここに置いて行きたいぐらいだ。
地下から1階に上がり、玄関から外に出たところである人物が目に入り、その人物は俺を捉えるや否や片眉を吊り上げてあからさまに嫌そうな顔をする。
俺も似たような顔をしているだろうから人のことはあまり言えないが、心底胸糞悪い。
『お前突っかかるなよ。』
雨宮は事務所で俺のカメラでも確認しながら仕事をしているのだろう。
そのような声がインカムから聞こえてくるが、そんなことで従うようなら犯人に向かって拳銃など撃っていない。
「今更刑事課が何の御用で?犯人もいなければ証拠もうちが押さえたけど?」
俺の挑発する言葉にインカムからこのバカがと雨宮が項垂れている声が聞こえてきた。
目の前に居る刑事課の男、笹山彰も俺の挑発にあてられたのか先ほどよりも鋭い目つきをしている。
よりによって一番嫌いな男が現れるとは思っていなかった。
「お前らに説明する義務はない。それに、何だその子供は?お前らは子守まで始めたのか?」
挑発に挑発返しをされ、既に虫の居所が悪い俺は苛立ちが増す。
「それこそお前らに説明する義務はない。せいぜい犯人を自白させるのを頑張るんだな。俺が真実を突き止めるのと、お前らが供述させるの、どっちが早いか競争したっていいんだぜ。」
「勝手にやってろ。化け物を相手にする暇はない。邪魔だからさっさと行けよ。」
「本当にうぜぇ野郎だな。お前が化け物扱いする俺はお前らが恐れる化け物を作れること、忘れんなよ。」
「脅しか?警察が聞いて呆れるな。」
「現場から逃げるような奴に言われたくねぇな。腰抜けが。」
あと少しで殴りあいにでも発展しそうな一触即発状態で俺たちはすれ違い、笹山は犯人の家の中へ、俺は家の前に止めてあったアンショウ所有の車へと乗り込む。
あの笹山はアンショウに対しての敵対心が強く、ことあるごとに突っかかってくる鬱陶しい男だ。
何に対してそこまで俺たちを敵視しているのかは知らないが、過去にアンショウに志願したことがあると聞いたことがある。
身体能力が足りずに落とされたが、それで逆恨みでもしているのかもしれない。
何にせよ、俺らを化け物と言うような奴と仲良くする気は更々ない。
「助手席に乗っても大丈夫ですか?」
連れてきたアンドロイドは俺に馴れ馴れしくするなと言われたせいか、運転席に乗り込んでいる俺に敬語で助手席の扉を開けて尋ねてきた。
「どっちでもいいからさっさと乗れよ。」
先ほどから感じている苛立ちからきつい言葉が口をつき、そいつは慌てて助手席へと乗りこみ、シートベルトをして大人しく前を向く。
それを確認して俺は警視庁へと帰社した。
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