20031217―少女の革命―

 彼女は自分に、王道破りの能力紋を分けてくれた。

「それに、オレの力を多少封じてある。それを持っているだけで、君の周りの王道はきっと破られる。その強さがあるなら、君は切り開いて行けるだろう」

 小さな、十字架の形をしたネックレスだった。

 今、それを首からかけて舞は、世界の裏側にいる。

 システムに巻き込まれたのでは無く、単身ここまで歩いてきた。正確には歩いたのではなくて、――の――を――って――のようにした――を――する反動で――が伸びる瞬間の――を一歩とみなして前進する、例の動き方だけで随分と長い時間進み続けた結果、ここまで辿り着けたのだ。

 目を開いても何も見えない。

 目を閉じたら何かが見える。

 虚像でしかない全てに惑わされずに『動く』。

 そうすると全てが把握できる。闇に似た質感を持った、それは広い空間だった。世界でいうところの床や壁や天井や、扉などがしっかりと設けられていて、それに沿って進めば、個室のような場所に行き当たることがある。

 扉に『触れる』。吸い込まれるように、抵抗無く飲み込まれて個室に入ることが出来る。中は、相変わらず闇で作られた、システム管理者の居住区になっていたようだ。

 最初に侵入したのが、『警告のヒューズ』の部屋で本当に良かった。

「いらっしゃい。待っていました、あなたを」

 と、その女は闇の中に立っており、舞は思わず小さく悲鳴を上げて、集中を乱して『動き』が解け、突然周囲の把握が全く出来なくなってさらにパニックになった。

「落ち着いてください。『切り開く者』、山上舞さん」

 目を開ければ無が広がり、目を閉じると虚像が所狭しと視界を埋める。そんな中、ただ声だけは全く変わらず、舞の耳に届いた。

 世界でいうところの二時間という膨大な時間をかけて、舞は落ち着きを取り戻し、それからヒューズが敵ではないことをようやく理解した。別に、舞が特別物分かりが悪いというわけではなく、世界の裏側は本質的に元の世界とかけ離れすぎており、把握が出来ているのが奇跡的、というくらいの代物なのだ。

 そして、システムの本質と現状を、片っ端から教えられた。『動き』のお陰でシステムの存在に早い段階から気付いていた舞ではあったが、基本的なことは何も知らなかったのである。勿論、天城のことや自らが一度世界を渡るきっかけになった『デューイットの逃走』についても全てを忘れており、ヒューズは超越者として根気強く、意図的に天城のことについては避けながら、彼女を導いて行った。

 時折、ヒューズの元にシステムの管理者と思われる誰かが訪ねて来たりすると、ヒューズはそれまでの大人しさが嘘であったかのような動きで舞をクローゼットのようなところへ放り込み、何事もないようにその彼または彼女を出迎えるのだった。クローゼットの中で舞は、息を顰めて部屋の様子を窺うが、元より闇が形をとったような世界であり、しかも狭い所に閉じ込められるというその圧迫感は、気が狂うのではないかと思えるまでに彼女を追い詰めたが、ヒューズはその客人を大抵は早々に追い返し、舞をぎりぎりのところで救出してくれた。クローゼットの中にかけてある洋服もここでは闇のようにしか見えず、舞はしかしその中に一つよそ行きのドレスがあるのを見つけ、ひどく意外に思った。システムの管理者も、ファッションに気を遣うのだろうか。

 『動き』を洗練させ、世界の裏側、システムの把握に努めた。どんなに狼狽しようが動揺しようが、痛みで気を失いそうになろうが、決してこの世界への把握を緩めないように毎日ヒューズの部屋で特訓した。ヒューズは管理しているシステムの都合上、向こうの世界に出かけている時間の方が明らかに長かったが、その間も勝手に部屋は使わせてもらっていた。

 最初に葬り去ったのは、因縁の相手であるデューイットだった。

 完全に不意をつくタイミングで、ヒューズのいない時に部屋を訪ねて来た彼は、だいぶ世界の把握に慣れてきた舞にはかなりの二枚目に見えた。呆気に取られた表情で対峙した一瞬の後、デューイットの顔面が歪み、鬼神の如き表情へと変わって行く様を、舞は自分でも恐ろしくなるほど冷徹な瞳で見ていた。彼が大声を上げるためか、あるいは何かを口から吐き出す能力があったのか、大きな口を広げたところまでは認識していた。その後は、手加減も何も無かった。世界の裏側は舞にとっては完全にアウェーであり、向こうの世界では誰にも破られなかったこの『動き』も、こちらではただの動きに過ぎないわけで、パターンAしか持たない彼女はまるっきり素人と同じ能力しかなかったのである。そんなことを言えばデューイットも、システムの管理者に肉弾戦闘が必要だなどとは完全に考慮の外の出来事であって、格闘術を学んでいるという一点でのみそれを上回った舞に、この時はかろうじて軍配が上がった。

 戦い自体は見苦しいことこの上なく、それは、連続婦女暴行魔に襲われて激しく抵抗した被害者が、その結果、誤って相手を殴り殺してしまった、というような惨憺たる様相にも似た終焉を向かえ、戻ってきたヒューズを絶句させた。服も身体もぼろぼろになって床にへたり込み、放心したように涙を流す舞と、隣で倒れ伏し、ぴくりとも動かなくなっている首の折れたデューイットを見た時は、事実ヒューズもその最悪の展開を考えないではなかった。が、形ばかりに水を飲ませ(こちらの世界では原則的に飲食は全く必要ない)、あやすようにしながら話を聞き出すと、そこではただ戦闘があっただけで、放心状態も人を殺したショックのせいであるらしいことが判明した。ヒューズは可及的速やかに遺体を処理し、当然既にレイトゥが代打に立っていたユリウに出来る限りの辻褄合わせを依頼して、今度は舞にこの世界で戦う術を教えた。言葉にすれば陳腐だが、要は殺人拳といったような代物で、ヒューズが向こうの世界で仕事をしていた時に、最後の手段としてしか使ってはいけない技として習い受けた、どうしようもないものだった。

 何故なら、それは本当に必殺であり、手加減出来ず、使った時に相手に掠りでもしたら即死に繋がるような、伝授の段階で不慮の事故死を遂げても誰も責任を負えないこと請け合いの技だったのだ。

 舞は、師匠から習った格闘術とその殺人拳を融合させ、『人喰い』という身も蓋もない名称の最強必殺技を編み出すに至り、その頃からヒューズは軽々しく舞に近付かなくなった。

 そして、今。

 時は流れた。

 少しずつ、わかってきたことがある。向こうの世界に対して干渉する時、システム管理者のほとんどは直接出向いたりしない。こちらに居ながらにして、遠隔操作によって向こう側の世界に目に見えない気配を現出させ、それを操ることで自由にことを起こすのだ。モニターを見ながら手元のスティックを使いこなすその様は、明らかに何かに似ていたのだが、通常の高校生だった頃の記憶を書き換えられている舞には、該当するその何かは思い至らなかった。

 その背後から、気配を消して忍び寄る。鼓動は爆発しそうなほどに高鳴っている。今や闇色ではなく、向こうの世界と同じくらい色彩豊かに見えるその部屋の中を、裸足で歩く舞。その胸元で揺れる十字架が、王道を、破る。被害者が忍び寄る魔の手に気付いて振り向き、悲鳴を上げる余地など与えない。

 『人喰い』!

 飛ぶように動く。右手右足と左手左足が奇妙なことに一遍に攻撃行動に移り、その全てが相手の背中側から体に喰らいついて、どこをどうしたものか、四肢と首が転げ落ちて一滴の血も流れずに相手が絶命した。舞が部屋から出て、次の標的を捜し求めて右往左往し始める頃にようやく、切断面というか、捻り切られたその身体の各部分から血液がとくとくとゆっくり流れ出し、真っ白の床を汚して行くのだった。

 システムは、一人の少女により、恐ろしいほど迅速に破壊されて行く。

 そこには何の容赦もなく、人の命を奪うことに抵抗を覚えていたはずの舞が大した葛藤も無くこの有り様になっているのが、王道破りのせいなのかどうなのかはよくわからないが、とにかく彼女は、圧倒的な強さで世界の裏側を蹂躙した。

 とはいえ、どこの世界にも手錬れはいるもので、エラスティオンという青年との戦いは、壮絶な死闘となり、舞は二度ほど死を覚悟し、二度ほど相手に惚れそうになったが、クールで物静かな修行僧といった様子の彼に対して、どうにかこうにか無事に勝利をおさめることには成功した。

 そして、今。

 よくよく考えれば、ただ元の世界に戻りたかっただけであるはずの自分が、一体何をやっているのかと我に帰って、ヒューズに良いように操られていたことに気付く。

 呆れて物も言えない。

「舞さん、もう少しです。たぶん、あと、二人」

 どこからか、ヒューズの声が聞こえてくる。館内放送のような設備があるのか、それとも自分にだけ話し掛ける特別な技術があるのか、その辺りは全くわからない。システムとは無関係な部分で、管理者と世界の裏側には謎が多い。

「あのさあ、今更なんだけど、まだ私がやんなきゃ駄目なの?」

 胸元のネックレスを弄くりながら、ぼやく様に言った。

「お願いします。救うためなんです、世界を」

「そりゃあ、あんだけ聞かされたから、多少は状況理解してるつもりだけど……」

「お願いします。ある程度話したでしょう。あの人のことについても。あなたしか居ないんですよ、あの人の意志を継ぐ者は!」

「うーん、いや、聞いたけど……」

 困ったように、首を捻る。

「あの師匠ってこんなことして欲しいと思ってたのかなあ……」

「やめて下さい、あの人を悪く言うのは」

「いや、悪く言ってるつもりはないんだけどね」

 偽らざる舞の本音が、吐露される。

「何だかんだで、人並みの幸せが欲しかっただけなんじゃないかなあ、師匠は……」

「…………」

 ヒューズが、押し黙る。沈黙を嫌って、舞が背伸びをしながら後を続けた。何気ないこんな動きも、本来なら人間の手の届く行為ではない。

「私も、あんまり覚えてないあの元の世界に戻って、普通に暮らしたいだけだし」

「……なるほど」

 得心したような声の後に、溜息が小さく聞こえてきた。

「負けました」

「は?」

「つまりはそういうことなのでしょうね、あなたがあなたらしくある、というのは。良いでしょう。動いてください、後はご自由に。押し付けすぎたのかもしれませんね、私は、あなたに。こんなにもシステムを潰したいと思っているのに、まるでシステムのように、好き勝手に操りたかっただけなのかもしれません。すみませんでした」

 ヒューズの言葉を受けて、しかし今度は舞の中に迷いが生じる。

 切り開く者。

 何度となくヒューズにそんな風に呼ばれた。自分に与えられた、役割。

では一体、切り開く者、なのだろうか。

 懐かしい顔が頭に浮かぶ。曖昧な記憶の中の、曖昧な誰か。書き換えられた記憶が、ユリウの消滅以降、メッキのように剥がれていったりするが、克明に思い出すには至らない。

 嫌いだったり、好きだったり、わけのわからないことを本気で悩むその横顔をいつまでも見つめていたかったり。ずっと、一緒にいたかっただけの、男の子。

 十字架をくれた彼女は、自分を魔王だと言った。勇者を騙って楽に暮らしていることに罪悪感を覚えていて、恋人が死んだことを本当に嘆いていた。その目が、綺麗だった。根は優しい人なのだろうと思う。

 師匠のことは、よく覚えている。そのお陰で世界を渡ったことに気付いたのだし、相談にのってくれたし、ここでの『動き方』をさりげなく教えてくれていた。あの人は自分にとって、何か特別な存在なのだろう。

 宿屋で働かせてくれた女将さんや、毎日放課後までお喋りに興じた学友達。全く別の世界で、それでも自分と関わってきた様々な人間。

 そして、システム。人々の運命を容易く弄ぶ、世界の裏側。

 全ての想いが、ここにある。

 素足で踏みしめるこの床。この冷たい感触が、裏と表を結ぶ小さな境界線。目を閉じると見える極彩色の楽園。把握を誤ると今すぐにでも落ちて行ける。この『動き』。世界中の誰もが届かなかった、こちら側の世界。殺してきた、管理者達。

 おそらく、緻密に張り巡らされていたはずの、終わりまでの道のり。

 …………。

「ねえ、ヒューズ」

「何ですか?」

「名前、教えて、最後の人の」

「カザミと、アリアです」

「ううん、そうじゃなくて」

 こちら側に残っているシステム管理者の名前はわかっている。そうではなくて、舞が聞きたいのは。

「どこかに、いるんでしょう? 私が最後に倒さなければいけない、相手が」

 切り開く者。

 運命を、でもなければ、自らの道を、でもない。

 全てを、だ。

 最初から、最後まで。

 きっと、自分は、そんな風な位置付けに、居たのだ。だからこその、今。

 自分の役割は、こなして、それで、本当の、終わりにしよう。

 ヒューズの返事が戻ってくるまで、ひどく時間がかかった。

「よく、気付きましたね。……こちらでどうにかします、あなたがカザミとアリアを倒した後、おそらく姿を現すだろう黒幕については。あなたが倒すべきはその次です。次の黒幕になり得る存在。黒幕の意志を継ぐ可能性のある、人間。ユドリフマーカスとユリウは、候補者として同じ名を挙げました。止めなければなりません、その人を、どうにかして」

「……どうすればいいの?」

「わかりません。だからこそ、任せます、あなたに、全て」

 舞は、苦笑した。

 全てを切り開く者。

 こんな言い回しは好きではないが、これも、運命なのだろう。

 とりあえず、『カザミの権謀術数』の管理者の元へと向かって走る。どこにいるのか、具体的な場所はあまり知らないが、彼女は別に困らない。きっと、道も切り開けるから。

 研ぎ澄まされて行く。戦いのための瞳になる。

 人並みに、普通に暮らしたい。

 たかだかそれだけのことを、きっと世界中の皆が願っていて、そして誰かが発端になって、これだけの大騒ぎが起こった。数々の悲劇と、数々の犠牲の果てに、牙城は崩れ落ち、だが結末は、まだ紡がれていない。人は、出来ることだけを黙々とこなすしかない。

 『人喰い』を揮うしかない。王道を破りつつとにかく圧倒するしかない。

 自分にはそれしかない。

 否。

 そんなにも、出来ることがあるのだ。やらない手は無い。

「それで、肝心の、最後の人の名前は?」

 返事は、今度は短く、すぐに返って来た。名前だけ言い捨てるように、告げられた。

 聞き覚えの無い名前。運命の名。

「ゴズドラム・ハムラフィ」

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