20031216―最期の戦い―

 裏切るとは、つまりこういうことだ。

「覚悟は、出来ていたんだろう?」

 ユドリフマーカスが隣に立つローブの男を見下ろした。ユドリフマーカスに比べて一回りほど小さいその男は、真面目な顔に悲愴を滲ませて、苦痛に耐えるように答えた。

「勿論だ。僕は、そんなに責任感の無い人間じゃない。君についてきた以上、システムの管理者も、そしてその黒幕も、全て敵だ。世界のシナリオを描いていた者として、本来の世界の姿を描くために必要とあらば、僕は今までの全てをすら否定するよ……」

 弱々しい、だが確固たる決意に満ちた声。

 それに対し、向かい合う人間が思わず叫びを上げる。

「それが、あんたの答えなわけ……? システム管理者をやめることなんて出来ないって私に言っておきながら、自分はやめて、システムを裏切って、で、私のことはシステム管理者だからって殺すわけ? ふざけないでよ! あんた、無茶苦茶言ってるわ! あんたの何処に責任感があるって? 笑わせないで」

 それはネイファだった。すっかりこの世界に馴染んでいた彼女を見つけるのに、ユドリフマーカスとユリウは相当の苦労を要した。ようやく見つけ出し、広場のようなところに呼び出した後、再会の挨拶もそこそこに最初に告げたのが、宣戦布告だったのだ。

「確かに、僕は無茶苦茶言ってるだろう。だが、これが僕の責任の取り方だ。世界は今、継ぎ接ぎだらけのどうしようもない代物になっている。それは、システムによってそうなるように導かれていたとは言っても、シナリオを書いていた僕のせいであることは否めない。だからこそ、僕はそれを崩す必要がある。そのために、システムに関する全ての遺恨を断つ」

「そんなの! 私だって、もう、こっちで平和に暮らしてる。殲滅はこれ以上起こらないし、この世界の人々は安寧の中で暮らして行けるじゃない! 遺恨なんて、何も残ってない!」

「……だ、そうだが?」

 ユドリフマーカスが、肩を竦めながら背後に視線をやると、大きな木の裏側から三人の人間が現れた。そのうち二人は既に剣を抜いており、残りの一人も、穏やかな顔に厳しい表情をのせている。

 ただ事ではない雰囲気に、単なる町娘と言った風情のネイファが、二、三歩後退った。

「だ、誰よ、あんた達……?」

 やけに物々しい装備をした容姿端麗な女が、鼻で笑うようにそれに答えた。

「女勇者キヨカを、知らないのか?」

 一瞬呆気に取られたような顔になって、ネイファはまじまじとキヨカの顔を見つめた。

「オレは一度、お前に会っている。何百年も前の話だ。お互い仮面をつけていたし、ほんの一瞬だったし、お前が憶えているかどうかは知らんがな」

「……そのオーラ……、憶えているわ。ううん、思い出した。何とかいう国を滅ぼした時、一つの村だけ攻撃対象にすることすら出来ずに守り切られたのよね。そう、あれをやったのがあんただったの。勇者ってのも伊達じゃないのね」

「いや、オレは勇者じゃない。偽物だ。オレの正体は、魔王」

「……え?」

 ネイファが混乱の極みにあるのを見て、ユドリフマーカスがにやにや笑っている。

「本当の勇者は、俺だ」

 それまで黙っていた、引き締まった体躯の少年が良く通る声で告げた。

「そんなの、自分で言ったら駄目ですよ……」

 呆れるようにそれを諌める、隣に立つ清楚な女性。

「な、何なの、あんた達は?」

 キヨカが、すっと隙の無い動きでユドリフマーカスやユリウと同じ列に並んだ。

「魔王と、勇者と、巫女。この世界の裏側にいる本当の敵を倒すために旅をして来た。理解できたか?」

 ネイファの目が、徐々に鋭く変わり、ユドリフマーカスを睨みつけた。

「私を倒すための、助っ人ってわけ?」

 ユドリフマーカスが、首を振る。

「いいや、むしろ俺達が助っ人さ。この世界の総意として、お前を倒したいという意見があるってことがわかった。俺達はその手がかりを持っていた。だから、手を貸してやった」

「……だって、ちょっと待ってよ。そうだ、あんた達、私はご覧の通り、今はただの飲食店で働く町娘なわけよ。全然無害でしょ? ここは見逃してくれないかしら?」

「……それでも、貴様の罪が消えたわけではない」

 勇者が、光のオーラを纏うのが見えた。流石に自ら勇者を名乗るだけあって、なかなか様になっている。

「それは、そうだけど……」

「お前、オレと同じなんだよ」

 魔王が、自虐的とも言える笑みを頬に貼り付けて、静かに告げた。

「世界を壊すだけ壊しておいて、それが駄目になったら安寧の中に逃げ込もうとする。単なる卑怯者さ。お前は、そんな風な全然無害な飲食店で働く町娘を大勢殺してきた。もっと無害な赤子も幼児も、のべつまくなしに殺してきたんだ。今更、自分の番になって、見逃せ、とはどういうことなんだ?」

 ネイファが、一瞬だけ言葉に詰まる。

「……あ、あんただって、本当は魔王なのに、嘘ついて勇者ってことにして悠悠自適に暮らしてきたわけでしょ? そんなあんたに、そんなこと言われたくないわ」

「オレだからこそ、言えるんだよ」

 キヨカはちらりと、すぐ後ろで今にも飛び掛らんばかりに身構えている勇者を見やった。

「オレは、こいつを一度殺した。お前らシステムのエラーによって、こいつは偶然生き返り、そして戻ってこられた。だが、こいつに殺されたオレの恋人や部下達は、一人足りとも戻って来ない」

 勇者の眉が、ぴくりと動いた。巫女が、息を飲む様子が伝わってくる。

「それでも、オレは文句を言うことは出来ない。何故ならオレは、それ以上のことをしてきたのだから。村を焼き、街を潰し、国を滅ぼし、勇者を騙り、楽に楽にと生きてきたのだから。虐げられた者を嘲笑いながら、今日まで生を謳歌し続けてきたのだから!」

 渦巻くように、闇のオーラが吹き上がった。感情の昂ぶりをわかりやすく現出させながら、キヨカは続ける。

「オレの罪が、こんなことで贖えるとは思えない。だが、オレは、お前を倒すことで、世界に対する償いとしなければならない! それがオレの責任の取り方だ。お前が、少しでも世界に対して申し訳なく思い、少しでも責任を感じているのであれば、オレ達から逃げるな! 見逃してもらおうなどと思うな! 戦え。闘え。そして、心に刻み付けろ、お前が成したことが、一体どういうことだったのかと!」

 その言葉は、ユリウの胸にも突き刺さった。

 ユドリフマーカスの胸にも突き刺さった。

 ネイファは、何も言えなくなった。

「キヨカ」

 勇者が、静かに、仲間である魔王の名を呼んだ。キヨカが振り向くと、ばつの悪そうな顔をした、青年の顔があった。珍しいことだと思った。

「その……、すまなかった、な。恋人のこととか、知らずに、俺は……」

「気にするな、キュール。勇者のすることは、正義だ」

 キヨカが、どこか吹っ切れたような笑みを浮かべた。

「フランシスカ」

「はい?」

「こいつを、これからも支えてやってくれ」

「…………え?」

 フランシスカがその言葉の意味を理解するよりも早く、キヨカの振り向きざまの一歩はネイファを間合いの内に入れていた。闇のオーラを纏った導きの聖剣が、凄まじいスピードで横合いから町娘の身体に叩きつけられる。

 それが左の脇腹に喰らいつくかと思われた次の刹那、

「逃げないことが、それだけで償いになるというんなら、いくらでも相手してあげるわ」

 甲高い金属音が響き、導きの聖剣の刀身が真っ二つに折れて、砕け散った。無造作に伸ばされた左手の甲が、あろうことか剣を叩き割ったのである。

 殲滅の、ネイファ。

 キヨカの両手が折れた剣の柄から一瞬で離れ、腰の横で捻り合わされてから、真っ直ぐ前へ、ネイファの胴へと叩きつけられる。その動きに合わせ、練り上げられた闇のオーラが肩から両手、そしてその前方へと放出された。だが、零距離から打ち出されたそれを、ネイファは顔色一つ変えずに受け止める。

「!?」

 キヨカの顔に焦りが生まれる。咄嗟に後ろに飛ぼうとしたその顔面に、相手の打ち出した気功か何か、目に見えない波動のようなものがぶつけられ、彼女はありえない程の勢いで吹っ飛んだ。

 空中でバランスを立てなおし、地面を滑るように着地する。巻き込まれそうになったユドリフマーカスが、慌ててそこから離れた。十メートル近く地面を抉り、キヨカはようやく止まった。額が割れて、鮮血が流れ、鼻梁を伝っていく。

 もはや、格好はともかく雰囲気は全く町娘から一線を画した存在となったネイファは、右手でずっと抱えていた鞄の中に、左手を突っ込んだ。

「あんた達、調子にのらないでね。私を誰だと思ってるの? 『殲滅のネイファ』よ。あんた達が束になっても敵うわけないでしょ? ユリウ、あんたなら知ってるはずよね? 私が気をつけなくちゃいけないのは、他のシステムに引っ掛かることだけなのよ。それ以外の方法で、私を追い込むことなど不可能。システム全てを否定するなら、私にはむしろ好都合。私に死角は無くなる」

 鞄から取り出されたその手には、キヨカにも見覚えのある仮面が握られていた。

「もう二度と付けることはないと思っていたけどね。今だけは、『殲滅のネイファ』として、あんた達の挑戦を真っ向から受けたげる」

 仮面をつけて、そして、鞄を足元に置いた。闇でも光でもない、虹のようなオーラを後光のように纏いながら、ネイファはふわりと宙に浮かび上がる。

 殲滅の、ネイファ。

――

「おいおい、まじかよ。俺は、こんなに凄まじい力を持っているなんて聞いてなかったぞ」

 実のところタイミング的に世界の裏側では全く面識の無かったユドリフマーカスが、神々しいまでの彼女の様を見て、ぼやいた。

「それでも何でも、彼女は倒さなくちゃならない。裏切るってのは、そういうことだろ?」

 ユリウが、静かな覚悟とともに、そう言った。

「その通り。破滅こそが、システムの必定。システムは、滅びなければならない。俺は、そのためにシステムを作ったのだから。ユリウを生み出した黒幕をおびき出し、徹底的にそれを打ち破るために、システムを壊さなければならない!」

 ユドリフマーカスが、頷く。システムを巡る最大の矛盾。世界は、ユドリフマーカスが生まれるより前から、一人の黒幕と、それに生み出された『語りのユリウ』によって弄ばれていた。彼は、それに気付き、そしてそれを打ち破るシステムを思いつく。システム自体を思いつく。ユドリフマーカスはそれを実行に移し、破綻を来たしていずれ必ず崩壊するシステムを作り上げることに成功した。……そのシステムのために、黒幕とユリウによって弄ばれる世界が出来上がってしまった。

 システムの意味。最終目標。それは、システムによって支配されている世界をその支配から解き放つこと。存在自体が既に自身を裏切っているというシステムの根幹が、築かれた。そして、その通り、ここまでこぎつけた。

 後、もう一押しなのだ。今や騙りのユリウとなった、張本人のユリウは自分と同調し、新たなユリウとなったレイトゥは、ヒルスとともに粛清にあって消えた。ヒューズは元々自分と同じように、システムを崩すために内側に入り込んだ超越者だし、盟友松倉天城の意思は山上舞にしっかり継承されている。世界の声を聞けたアイニゲが復活したらしいこともヒューズから報告されているし、システムを破る動きは、全世界で進みつつある。

 だからこそ、ここで殲滅のネイファを消しておく必要がある。現在この世界は、便宜上とはいえ『殲滅のネイファ』の渦中にある扱いとなっている。そこから、解放してやらなければ先へは進めない。

 全てのシステムを壊した後に、黒幕を、討つ。全ての遺恨を断つ。

 ユドリフマーカスは、この世界で出会った三人を見回した。

 魔王キヨカ。勇者キュール。巫女フランシスカ。

 『アリアの梃入れ』に見つからずに、ここまでシステムに近づけた三人。『殲滅のネイファ』を倒すための切り札となる、最後のカード。

 ここでの失敗は、許されない。

 システムを全て壊した後でなければ、黒幕を倒してはいけない。システムがある限り、そして黒幕の意思がある限り、その意思は誰かに継がれ、ユリウが復活し、再び世界は回されるだろう。それだけは防がねばならない。

 これで、全てを決着させるのだ。黒幕の意思を完全に断つことさえ出来れば、おそらく世界はあるべき姿に戻る。ユリウが重ねてきた辻褄あわせも、罪も、全部消えて、過去を取り戻せる。ユドリフマーカスの狙い通り、全てが解放される。

 自らシステムに身を捧げた、この忌まわしき自分の生き様からも。

 空中のネイファを見上げる。あいつを、ここで、倒さなければ、ならない。

 そのためには、どんなことだってやらなくてはならない!

――

「キヨカ……!」

 ユドリフマーカスが、魔王である女性を睨むような目で見つめた。このメンバーの中で一番強く、しかしそれでも『殲滅のネイファ』に全く歯が立たない彼女の、パターンFのその能力紋の名は――――。

 王道破り。

「覚悟は、出来ている」

 キヨカは、静かに告げた。額からの流血で、しかし、その落ち着き様は、彼女の雰囲気と合わせて凄絶なまでの美を印象付けた。

「世界は、こんなオレに対しても、優しかった。受け入れてくれた。天罰を下さなかった。楽に楽にと、生きてこさせてもらえた。罪は償わねばならない。そして、恩は返さなくてはならない。ここで、このオレに出来ること。そして、このオレにしか、出来ないこと」

 ネイファは、自ら進んで手を出そうとはせずに、相手の出方を待っている。その、油断にも満たないような僅かな油断によって、世界は救われるのだ。絶対的強者が多少油断したところで、本来なら絶対に負けることは無い。

 本来なら。

 闇のオーラを練り、キヨカは自らの能力紋、つまり、自分では消すことの出来ない呪われた憑依能力の形を現出させた。

 それは、十字架の形をしていた。キヨカの能力紋は、彼女の背中側に吹き上がり、まるで磔にするかのように、キヨカを束縛した。

「ま、まさか、そんな……」

 キヨカのやろうとしていることに気付き、フランシスカがふらふらと座り込んだ。全てを聞かされているユリウは歯を食いしばり、ユドリフマーカスは爪が食い込むほどの強さで拳を握っている。

 キュールだけが、魔王の様子を不思議そうに見守っている。

「自明だった。ここまで来て、オレが出来ることなど、明らかだった。勇者が最後の敵と戦って、勝つ。そんな簡単な構図の中に、邪魔な奴が一人混じっていたんだ」

 顎を伝って、血が地面に落ちた。地面に触れるや否や、蒸発するかのように掻き消える。見れば、地面には闇よりも深い黒で、不気味な方陣が描かれて行く。磔にされたキヨカを囲むように、それは生き物のようにうねり走る。

 キヨカの顔が、苦痛に歪む。

「簡単な話。オレは、足枷でしかなかったんだ。運や逆転の要素を廃し、実力のみで展開を決めさせる能力紋を持つオレは、ここに居てはいけないんだ。勇者の王道を、破ってしまうオレは、最後の戦いに立ち会ってはいけないんだ……!」

「……キヨカ、やめろ!」

 ようやくキヨカのやろうとしていることに気付いたキュールが、咄嗟に近寄ろうとするが、しかし、キヨカの周りに渦巻く闇のオーラが、全くキュールを近付かせない。

「キヨカ!」

「キュール、道中何度も言ったが、お前は、本当に本当の勇者なんだ。王道破りで完膚なきまでに殺したお前が復活を遂げられたのが、何よりの証拠だ。お前は、運命に愛されている。世界に愛されている。英雄の器だ。こんなところで、負けるわけがないんだ」

 足元の地面を蠢く闇が、方陣を描き終える。それは、魔王の特権でもある、特殊能力だ。自らに使うような代物では決してなく、肺腑を抉るような苦痛に、キヨカは歯を食い縛って耐えた。

「いいか、キュール。お前は、強い。そして、この、方陣は、オレの力を、全て、吸収して、オレを、殺す、から、お前は、ここから、力を、得て、あとは、それに、勇気とか、根性とか、友情とか、足して、お前、お得意の、大逆転を、決めれば、それで、王道――」

 キヨカの全身から突然、凄まじい勢いで闇のオーラが噴き出した。キヨカが絶叫を上げる中、それらは全て地面の方陣へと吸い込まれて行き、彼女を磔にしていた能力紋だけは、溶ける様に消えて行く。

「キヨカ……!!!!」

 最期に、魔王が笑ったように見えた。

 それはまるで、普通の人間のような、屈託の無い表情だった。

 ガラスが割れるように、キヨカの身体がひび割れ、そして軽い音をたてて砕け散った。灰のように細かな破片が、きらきらと周囲を舞って、方陣の上に降り積もり、全てが大人しくなった。

「うあああああああああああ」

 次の瞬間、呆然としていたフランシスカと元システム管理者の二人の前で、二つの出来事が同時に起こった。キュールの光のオーラが爆発し、今までとは比べ物にならない力強さで天を突くほどまでに膨張したのが一つ。

 そして。

「王道なんて、いつの世でも存在しないのよ!」

 ネイファが、空中から一気に突撃を仕掛け、凄まじい勢いで地面に降り立ったのがもう一つ。

 フランシスカは、絶句した。

 ネイファは、あろうことかキヨカの残した方陣の上に降り立ったのだ。

 王道破り破りのための、奇策。

 自らが死んで王道破りの能力紋を消し、キュールの勇者的展開に全てを託すこと。

 そしてさらに、死んだ自分の力をキュールに上乗せすること。

 その内の、片方が、破られた。

「あはははは、まだ、あんただけの力では、全然足りて無いわ!この方陣さえ封じれば、私の勝ちよ!」

 ネイファの足元へ、方陣が吐き出した闇のオーラが絡まりあって殺到して行く。キュールは、爆発させた光のオーラを、全て導きの聖剣に流し込んで行く。リアルカスタム家の初代が作り上げた、それは至宝の剣。

「王道、破れたり! この方陣から、凄まじい力が溢れてくるわ! 腐っても魔王よね。この力が私のものになる以上、あんたが何をやったって――!?」

 ぬらり、と闇のオーラがその質を変えた。纏わり付くようにネイファの全身を包み込み、そしてその体内に向かって入り込んでいくのだが、それは彼女に力を与えているというよりまるで――

「ぐああああああああ」

 ネイファが頭を抱えて絶叫した。仮面を掻き毟る。細胞という細胞全てに、闇のオーラが入り込み、内側から多数の棘を突き出しているかのような、全身のあらゆる部位に走る激痛。次から次へと、もう入る隙間も無いところから無理矢理入り込み、そして痛みを生むための存在へと変わる。ゆらゆらと噴き出しては、闇のオーラがネイファを包み込む。

 ……これは、罠!

 それに気付き、虹のオーラで残りの闇のオーラを打ち消すが、既にほとんどは自分の体内に入っているため対処の仕様が無い。激痛にのたうつネイファを見て、ユドリフマーカスが冷や汗を流す。

 そうだ。

 ここまでは、だったのだ。仮にキヨカが自らの力を託すための方陣を描いても、それは実力差から見て間違いなくネイファに取られてしまう。それが、死ぬ直前まで王道破りに囚われていたキヨカの必然。だからこそ、罠を仕掛けた。力を託すための方陣などではなかった。自らの残した力で最大限のダメージを与えられる、そういう方陣にした。

 王道破り。

 ネイファが油断無く、その方陣を押さえようとすることを見越しての、最期のイカサマ。最後の敵が勇者にのうのうと反撃の余地を与えるわけがないという、それ。

 強者であるからこそわかった、その王道破り。

 駒は、揃った。

 フランシスカの歌が聞こえる。鎮魂歌。本来、おそらくはただの歌でしかないはずの、その歌声が、しかし、今は、勇者の最後の戦いを後押しする。その歌こそが、死んでいったキヨカの魂の救済を叫び、その遺志を遂行する勇者の力に変わる。力を与える。

 王道破りは破られている。

 今はもう、勇者の、王道!

 光のオーラを纏った聖剣は、全てを切り裂く。

 勇者の絶叫がこだまする。光り輝く剣が、痛みで悶絶するネイファに届く。虹のオーラを食い破り、その全ての思いを断ち切って、ただ、終わりを告げる。

 一閃。

 胴体を、完全に切断されたネイファが、しかし最後に仮面の奥で笑う。勇者による一撃は、いかなる状況であっても正しいのだ、と。そこには慈悲があり、自分は殺されたのではなく救われたのだ、と。気味の悪いほどの清々しさが後に残り、最後の敵は幸せに打ち震えながら朽ちて行く。

 ――終わった。

 キュールは、何故か一滴の血も付いていない導きの聖剣を鞘にしまい、そして呆然と空を見上げた。

 ユドリフマーカスも、ユリウも、それを見た。

 フランシスカは、鎮魂の歌を歌っている。

 それに合わせるようにして、雲間から黄金の光が差し込んで、彼らの周りを照らしていた。ふわり、ふわりと何かがゆっくり落ちてくる。真っ白く、小さなそれは、天使の羽根のようだった。

 鎮魂歌は朗々と、天国の素晴らしさを謳い、安らかな死をキヨカとネイファに届けた。

 天使の羽根が、キュールの手の中に落ちる。そこに一粒の雫が落ちる。

 キュールは、声を上げて泣いた。


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