20031211―罪と罰、そして安寧の  ―

 全てが終わった後の、それは虚無感にも似た脱力だった。

 ゴズドラムは、見慣れたこの場所で行われたであろう血生臭い出来事を思い、そして、目の前に転がっている最後の生き物に心から同情した。

「……とどめを、刺せ」

 その最後の生き物は、赤黒い液体を体内から吐き出し続けており、顔の半分も崩れていた。露出した眼球が、ゆっくりと動いてゴズドラムを捉える。

「とどめを、刺せ。全てが、終わったんだ」

 どうしてその生き物が喋れるのか、つまり、どうしてその肉の塊がまだ生き物であり続けられるのか、ゴズドラムには不思議であった。既にそのヒューマンは、傍目にも明らかな致命傷を負っており、ゴズドラムが直接手を下さなくても、その死はもう不可避であろうと思われた。

「放っておいても、お前はいずれ死ぬだろう」

「それでは駄目だ。殺せ、俺を殺してくれ」

 声を無視しても良かった。何かに導かれるままにここまで来てしまったが、間に合わなかったようだ。ここで、確かに何かが行われ、そして、おそらく何人かが死んだ。ただ、それだけが事実。ゴズドラムは、間が悪かったのだ。事件当時現場に居合わせることが出来なかっただけでなく、よりによって、こんな役回りが回ってきた。

 血の匂い、そして、夕焼けの空。

「これが、報いというわけか……?」

 静寂の中、やけにはっきりと響く、そのヒューマンの声。

「何を言ってるんだ? 俺には、この状況がとにかくよくわからん。ただ言えるのは、きっと、お前は敵だったってことだ」

 ゴズドラムは、落ち着いた様子だった。血の海の中に片足を置く。波紋が走る。

「……そうか、ゴズドラムか。強さにこだわりを持ち続けるヒューマン、か。必ずどこかで破綻をきたすと思っていたが、無事にそのままここまで来たか。そして、お前まで俺を敵とみなすのか」

 不意に自分の名前を呼ばれ、ゴズドラムは首を傾げた。

「……俺とお前は、どこかで会ったことがあるのか?」

「……ああ、あるさ。あるとも。勿論、今と場所も時間も違う。世界も違うし、お互いの立場も違う。俺は、こんな風に黒幕としての喋り方をしていなかったし、お前も、今よりさらに堅苦しい妙な喋り方だった」

 意識したつもりはなかったが、口調が変わっているとは、よく指摘されてきた。

「悪いな。……俺には、お前が誰か、わからない」

 それは、黒幕の生々しい傷や、潰れて上手く出ていない声のせいでは決してなく、世界を何度も渡っている途中で、消された記憶の内の一つなので、致し方の無いことなのだった。ただ、それをゴズドラムは知らないため、必死で思い出そうとする。

「……皮肉だな。また、そんな言葉を聞くことになるとは……。これは報いなのか。こちら側も、向こう側も、その全てを秩序立てて統治するはずだった俺は、世界にとっての悪ですらなかったというのか……?」

「名前を言え」

「ああ、全てが、空回りして、あいつに踊らされただけで、こんなにもあっさりと終わってしまうのか。過去も現在も未来も、俺が書いた設計図から逸脱し、混沌と破滅に満ちた世界が到来するというのか」

「名前を言え」

「肉を抉られ、削がれ、断たれ、斬られ、刺され、焼かれ。誰一人に理解してもらえぬ地獄の苦しみの果てで、見えず、聞こえず、嗅げず、触れられず、味わえぬ身体へと、肉質を変えていくのか」

「名前を言え」

「それが俺への罰だというのか、ゴズドラム?」

「知らん」

 直近まで黒幕に迫ったゴズドラムは、真上から見下ろすように、黒幕の二つの視線を受け止めた。大きく顔が抉られた方の目は、焦点を結んでいない。

「ゴズドラム、俺は、死にたくない……」

「だが、お前は助からん」

「だからこそ、とどめを刺してくれ。いっそ、楽に死なせてくれ。お前ほどの力があるならば、それも容易なはずだ。俺を、苦しみから解放してくれ……」

「…………」

 善か悪か、ここではそれは、さほど関係の無いことだと思った。敵か味方か、それすらも、この段階まで来ると、もはやどうでも良かった。

 そいつは、きっと、ここでは黒幕に過ぎず、そして、自分は、ここでは通りすがりのゴズドラムに過ぎない。あるいは、決戦に出遅れたゴズドラムか。

 それでも名前が、気にかかった。

 自分が知っているはずの、少なくともゴズドラムはそう思い込んでいるはずの、名前。

 知り合いであるはずの、ヒューマン。生き物。まだ生きている、その

 黒幕。

 ゴズドラムは、目を逸らさない。

「誰かが、言っていた気がする。『決定』という言葉を、使っていた気がする。あれも、こんな、不可解な邂逅だった。場所も、時間も、状況も、何もかも違っていたし、相手もたぶんお前じゃなかったが、だが、今ならわかる。決定、だ。あの瞬間、確かに決まってしまったんだ。全ての物語の結末と、そして、それに連なる全ての物語の過程と始まりが。一本の線路を行く夜汽車のように、暗闇の中、誰にも見えないが確かにレールは存在し、幾つかの積荷を溢してしまっても、多少到着予定時刻をオーバーしてしまっても、始発駅から終着駅まで、間違いなく走り続けて来たんだ。皆が」

「…………世界を回す者は、ユリウだ」

「そんな奴は知らないよ。万が一、そいつが本当に世界を回していたのだとしても、俺が、俺であることは絶対に変えられなかったはずだ。どれだけ何があっても、皆は皆であり続けたはずだ。そうやって、走り続けてきたはずだ」

「……シナリオを、書き直せば、過去も、未来も、何もかもが、思い通りに」

「ならばどうしてお前は、ここでこうして死にかけているんだ? どうして書き直さない?」

「俺は、ユリウじゃない。……それに、ユリウは、裏切り、裏切り、そして、――消えた。消えてしまった。そうだ、消えたんだ……。この世界は、あいつを必要としていたのに」

 ゴズドラムは、小さく首を横に振った。

「そいつが居てもいなくても、世界は回るんだ。俺達が、俺達であるという、それだけで、良かったんだ。誰にも支配されなくても、ヒューマンは、歩き続けられる。だからこそ、お前は、死ねるんだ。いや、お前だけが特別じゃない。皆、いつか、死ぬんだ。それが、走り続けられた証」

「……綺麗事は、いい。早く、殺してくれ。それだけの強さがお前には――」

「強さという言葉は本来、人を蹴落とすためにあるらしい。まさに今のように」

 随分と弱々しくなってきた黒幕の声に、ゴズドラムははっきりとした口調で告げた。

「だからこそ、強いか弱いか、ただそれに拘泥することが、ひどく意味のある行為に見えた。実際のところ、生き残りゲームのようなこの世界では、一つの戦略としてそれは非常に有効なのかもしれない。だが、俺は、間違っていると言われた。俺が弱かろうが強かろうが、それは俺が俺であることを何ら邪魔するものではなかったんだ」

 わずかに、黒幕が身じろぎした。未だに無事に残っている体の部分が、若干震えるように動いた。目玉だけが、ぎょろりと、大きく移動する。

「俺には、お前が誰なんだかわからないし、ここで何があったのかもわからない。ただ、俺は俺だということと、何故かお前が敵だったんだろうということはわかる。だから……というわけでもない、論理的に辻褄が合っているかどうか、自分でも良くわからない、だが、とにかく」

 黒幕が、辻褄という言葉に激しく狼狽した。

「俺は」

 そして遥か昔、まだ一般人の仮面を平気な顔で被っていた頃の記憶が、黒幕の中で錯綜する。ゴズドラムに、密かに惹かれていた自分。……誰にも言わなかった。ユリウにすら。

 思い通りに物語を綴ってくれるはずの相棒にも言わず、その感情を、自分の中で温め続けた。思い通りにならなくても、幸せな気持ちになれるのだと、その時確かに――

「お前にとどめを刺さない」

 ただの感傷だった。黒幕の目には、それはそのように映った。どんな理屈を並べても、強いだの弱いだの、その理論武装の全てが、嘘に見えた。自分の中にある、全ても。

 焦りが、信じられないほどに加速していく。

「待て。待って、ゴズドラム、ゴズドラム。俺を、私を助けて。お願い。助けて、ゴズドラム、私を助けて。殺して、殺して、殺して」

 ゴズドラムが、無造作にポケットを漁り、何かをそっとこちらの胸の上に載せた。

 それは、十字架の形をしたネックレスに見えた。

 それは、――――――――

「あ、ああああああああああああ」

 決定、だったのだ。

 黒幕にも、わかった。全てが必然であったように思われる。ここまで来ると、笑いたいほどに。ただ、そのため本当に自分は報いを受け、こうして苦しみながら死んでいく。

 安寧の、日々は、無く。

 逆転の道は、断たれていたのだ。最初から。

 こうなるために、全ての時間が、存在していたのかと、錯覚させるほどに。

 自分が、何もしなくても、世界は、上手く、回っていた。

 本当に、上手く。

「さよならだ、名も知らぬヒューマン。せめて最期まで、傍にいよう」

 ゴズドラムは、目を閉じ、祈りを捧げた。祈る相手は、神のようでいて、あるいは何か、死者の魂を救ってくれるような何らかのシステムがあるならば、まさにそれだった。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、ああああああああ」

 哀しげに響くその音は、涙と共にしばらく続き、やがて、何も聞こえなくなった。

 一つの悲劇がここに終わり、そして、百の悲劇がその色を塗り変えられていく。

 ゴズドラムは、しばらく、その場に立ち尽くしていたが、やがて、何事もなかったかのように、その場を辞した。

 放課後の学校は、どこか神秘的だった。

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