20031210―解れた横糸の物語―

 杞憂は杞憂に過ぎなかった。

 天城は、ただそれだけを認識した。

「君が、システムの超越者というわけか」

 焦りも何もなかった。このような生活を送っている関係上、大抵の奇妙なことは体験してきたか、あるいは予想してきたつもりだった。

「そうです。同時に、システムの管理者でもあります、今の、私は」

 勧められたお茶に口をつけず、その女は表情のわかりにくい顔でそんなことを言った。

「裏側にいなくてもいいのかい?」

「構わないようです。私は動いています、あえてこちら側にいることで、反乱分子を処理しやすいだろう、という考えのもとで」

「懐柔された振りをしていたわけか」

「そう単純でもありません、これは。本気でした、少なくとも、このシステムを思いついて管理者になった時点では」

 天城は、ゆっくり湯呑みに口を付ける。八畳の和室で座卓を挟み、正座して向かい合う。

「どうやって、私の居場所を突き止めた?」

 『ユドリフマーカスの雑談』と『アリアの梃入れ』に同時に引っ掛かりながら、こんな状態でそれを切り抜けた自分。だからこそ、あの頃の気概を捨て、自分でシステムを破ることから逃げ出した。システムのことを調べるよりも、システムに見つからないことを一番優先した。

 次にシステムに見つかった時が、自分の最後、そして、世界の最後だと思っていた。

 ……杞憂は、杞憂に過ぎなかった。

「向こう側で、有名です、あなたは。ユリウを発狂寸前まで追い込んだそうですね、『ユドリフマーカスの雑談』で彼女と対面して、会話して」

「そこまで大層なことをしたつもりもないけどね」

「だから、捜していたんです、皆、あなたを。神懸り的な確率でした、私が、あなたを最初に発見できたのは」

「……そうか。幸運だった。やはり、まさか世界から弾き出されて、とは、君達も思いつかなかったか」

 話し相手、つまりヒューズを名乗る女は、静かに頷いた。

 着物に身を包んだ天城は、溜息をつくようにして腕を組んだ。

 あれから二〇年近く経って、今ようやく、あの時に戻ってきている。

「後の祭りでした、気付いた時には、もう。修正できる部分と、修正できない部分があります、システムには。不可能命題でした、これは」

「あの時ユリウにも言った。過去を全て書き換えていけば、一見問題は起こらないように見える。何せ、矛盾が起こった時に、その過去を全部辻褄が合うように直せばいいのだから。だが、このシステムは、万能すぎたがために、過去を書き換えるだけでは辻褄を合わせ切れない。異世界同士の間で時系列の一致が成されていないから、ある者にとっての過去と、ある者にとっての未来が混在するケースが生じてしまい、そのある者が同一人物であった時、システムの解れは最大になる」

 世界は、緻密に織り込まれた織物に似ている。織物を構成する一本の横糸の両端を切って、それを抜き取っても、安静にしていれば多少の解れだけで織物全体には大きな影響を与えない。あるいは逆に、機を織り進めるように横糸を増やしたりすることも可能である。技術さえあれば。

 しかし、一本の横糸の両端を切って抜き取り、すぐさま同じ場所に戻そうとし、その過程で多くの縦糸と絡まりあってしまったならば、修正は難しくなる。ただでさえ織物自体の見栄えは悪くなっている。だからといって、今度は一箇所や二箇所切るだけでは、その糸は抜けそうに無い。絡まりあった縦糸にも鋏を入れるしかなく、そうすることで、織物はさらに崩れ果てる。

「最初に来たのが君でよかった。無理矢理私を修正しようとすれば、きっと、この世界は壊れてしまったはずだから」

「……そこまでの力はないかもしれません、今のシステムには。気付いているでしょう、あなたも。崩れます、システムは近いうちに。勿論、それは私が来た時間からの換算なので、この世界ではまだしばらくの時間がありますが」

 天城の瞳が、鋭く光る。

「……少なくとも、この世界の綻びをどうやって修正するつもりかは、私にも見えてこない。今のこの世界にはまだ、舞もいるし当時の私もいる。あの時ユリウのところから手に入れた情報が確かならば、そろそろ『ヒルスの三択』で舞と私が仲良くなるはずだ。そして、そのしばらく後に、『デューイットの逃走』で舞が消え、さらには『ユドリフマーカスの雑談』と『アリアの梃入れ』で私が消える。そして、それを知っている私がここにいる。どうとでも転びうる。一見、私も手を出せる。……だが、随分前に、舞と話をしてわかった。舞は既に、今の私の領域を遥かに越える場所を歩いている。私が当時の私ならば、まだ対策の余地もあっただろうが。間違いなく、このままではシステムが彼女を捕える。……過去は、やはり変えられてしまい、この世界での彼女の存在が無に帰す」

 天城は、舞に向けるのとひどく良く似た視線をヒューズに投げかけた。つまり、舞の師匠として知られる、今の立場の目で。

「……また、ここでも逃げるのですか?」

 ヒューズは、その天城の瞳とひどく良く似た視線を彼に返した。つまり、システムの超越者として知られる、彼女の本当に望んだ立場の瞳で。

「聞いたはずです、ユリウに。彼……いえ、今は彼女だったことになったのですが、とにかくユリウが、何度あなたの過去を書き換えたのか」

「……ああ、聞いている。だ。私はいくつもシステムを思いつき、そのたびに『ユドリフマーカスの雑談』で世界から消される羽目になり、しかしして来た。結果、私の周りには矛盾や不条理が溢れかえり、記憶を消されたはずなのにシステムに迫ろうとする姿勢だけは変わらなかった。『アリアの梃入れ』で有無を言わせず強制的に世界を変えられた時も、それでも私は私であり続けた」

「チャンスは山のようにあったはずです、システムの管理者になって、内側からシステムを崩す。……察しの通り、その作戦を取りたかったがために、あんなシステムを自ら作ったのです、ユドリフマーカスは。ああ、正確にはまだ作っていませんね、この時間軸からすれば。……何故ですか、あなたが逃げたのは?」

 天城は、目を逸らした。そして、湯呑みを手にする。温い茶を口に含む。

「向こう側でシステムの管理者と話した記憶は、過去一六回分に関しては消されている。だが、自分の考えの経緯は手にとるようにわかる。私は、杞憂が杞憂であることを一番望んでいたんだ。システムというものが実在して、そして自分の妄想がシステムに組み込まれるかもしれないという現実があっても。自分がシステムの内部の人間になるために、システムを一つ増やすなんて、私には、耐えられない。それは、全く根本的な解決じゃない。たとえそれが、『レイトゥの話』であったとしても、それを本当の本物にして残すことは私には出来なかった。自分がこちら側からアプローチしてこそ、システムを破るということに意味があると思ったんだろう」

「だったら……!」

「わかるだろう? 今の私は、下手に修正されるような態度を取れない。君だから、こんな話をしているんだ。他の人間相手だったら、自分がシステムのことを知っている様子をほとんど見せたりはしない」

「……否定、しないのですか、逃げていると言われて?」

「私は、舞を精神的に支えてやることしか出来ない。それが、今の私の手の届く範囲だ。だが、幾ばくかの手は打った。向こう側の世界の把握の仕方を、視覚化できない格闘技の動きと称して伝授した。ユリウという名前を刻んだ。当時の私を重要な人物として遠回しに伝えた。これから、システムに巻き込まれるだろうことも覚悟させた。それでも舞は舞らしくあるように、その気概だけは捨てぬように、そうやって歩いていくように、言い聞かせた。あと、何があったか。私が逃げる代わりに彼女を戦闘の真っ只中に放り込む算段は、いくつ打ったか。本当に、私の弟子は、出来過ぎた人間でね。私は逃げているかもしれないが、絶対に、あいつならどうにかしてくれるという確信がある。私の意志は、彼女が継いだ。……確かに、彼女の過去は変えられてしまうだろう。まもなく舞はこの世界から消え、そして私は彼女を忘れるかもしれない。だが、舞は必ずこの世界に戻ってくる。システムを破って……!」

 にやり、と、天城は不敵に笑った。その顔は、師匠として歳を経た彼の顔でもなければ、世界の裏側に迫ろうとして杞憂ばかり考えていた昔の彼の顔でもなかった。

 山上舞が、自信に満ちた時に対峙した者に見せる、堂々たる表情に似ていた。

「もしも君が舞に会うことがあったら、彼女を導いてやって欲しい」

 くすり、とヒューズが笑う。彼女らしく、かつ最も好意的な視線で、おそらく今現在世界で一番システムを出し抜いているだろう男を、見つめる。

「素敵です、前向きに逃げることは」

 すっかり冷めてしまった茶を残して、ヒューズが立ち上がった。

「……また来ます、近いうちに」

「私の所に来ても、もう話すこともないだろう」

「人間なんです、システムの超越者も。それだけのことです」

「は?」

 わけがわからないという顔をする天城に、ヒューズは軽く会釈をした。

「万が一ということもありますから、舞さんが消えれば」

「…………?」

 能力を使って消えたりせずに、大人しく襖を開けて歩き去るヒューズの後ろ姿を見送り、天城は首を傾げた。

 そしてとりあえず、この危うい会話によっても何のシステムにも巻き込まれていないことを確認する。

 今、全てが、動き出しつつある。

 長かった。この二〇年は、きっと無駄ではなかった。

 システムを、破る。


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