20031209―魔王の歩く道―
説明が、大変だった。
キュールが旅に出てから、十余年も経過していたにも関わらず、当の本人は出発した頃とあまり変わらぬ年齢で戻ってきたのだから。村人に騒がれたくなかったので、教会まで、キヨカもキュールも顔を隠して歩いた。
久しぶりに会うフランシスカは、清廉で物静かな美しい女性になっていた。キュールより一つ年下のはずの大人びた少女は、そこには居なかった。
壁に飾ってあった導きの聖剣を手入れしていた彼女は、キュールの姿を見るなり泣き崩れ、キヨカは戸惑うキュールの背を押して、自らは部屋を出て二人きりにしてやった。
そしてフランシスカがだいぶ落ち着いた頃、キヨカとキュールはこの不自然な状況を彼女にも納得できるように説明することを余儀なくされ、殴り合い寸前の口論にまで発展しながら、どうにかこうにかその説明を終えたのだった。
それからはもう、冗談のようにトントン拍子に話が進んでいった。キヨカが元魔王だと知っても、フランシスカは何も変わらなかった。怒りもせず、悲しみもせず、ただ、壁にかけてあった導きの聖剣をキヨカに手渡して、
「お返しします。華麗な剣捌き、期待しておりますよ」
とだけ優しい口調で言った。キュールも同じ剣を持っているので、世界で唯一本のはずの導きの聖剣トリプルジャスティスは、ここに来て二本になり、
「それでは、早速参りましょう」
と、目的地もわからないのにあっという間に旅支度を整えたフランシスカの一声に思わずのせられて、その旅は始まってしまった。
当ても何もないので、キュールは迷宮を抜け出したのと同じ方法を使った。つまり、導きの聖剣を地面に立てて、それが倒れた方向に向かったのである。村から、北だ。
教会の管理など、巫女としての仕事を全て放り出してきたフランシスカは、傍目に見てもご機嫌の様子で、まるでピクニックに出かける子供のようだった。彼女はやたらとキュールと腕を組みたがり、顔を赤らめた彼はそれを振り払うのに必死だ。
「……オレ、邪魔みたいだから消えようか?」
魔王が冗談めかしてそう言うと、勇者は悔しそうにそれを睨みつける。
「黒幕を倒したら、次は、絶対に貴様を殺す」
「……楽しみにしてるぜ」
本当に、キヨカはそう思った。黒幕を倒したら……。
簡単に言ってくれる。黒幕を。倒すと。
魔王だったキヨカを防戦一方まで追い込んだ、仮面をつけたあの人間を、倒す。
正直なところ、キヨカにはそのビジョンが描けない。実際に手合わせしたからこそわかる、あの、圧倒的なまでの強さ。純粋戦力において、どうしようもない歴然とした差。直接戦った日から、何百年という月日が流れたが、実は、キヨカの強さのピークは、もう過ぎている。仮面の黒幕が、もしあの頃と同じ強さを維持していれば、それだけで勝機は薄い。キュールも勇者であるだけあって、使い物にならないという程ではないが、それでもしっかりした戦力として期待できるほどの実力ではない。むしろ、フランシスカの方が、いざとなったら反魂の儀を本当に執り行えるらしいので、役に立つといえば役に立つ。
どこにいるのか、そもそもまだ存在しているのか、そんなことすらわからない敵。
そして、それを想像の上ですら打ち破れない自分。
どうしようもない。キヨカは歯噛みする。自分は、本当に楽をして生きてきたのだと思う。いざという時、それに対応出来るだけの力がない。パターンFの能力紋、王道破りによって、頼れる者はほとんど自分だけだというのに、その自分がこんなことでは――
「!?」
キヨカは思わず立ち止まった。
「どうした、魔王」
「名前で呼べ。……どうして今まで忘れていたのか……。もう一人、仲間にしなければならない人物がいた! いつだったか、勇者を名乗って世界を回っていた時、オレより強い女に逢った。そしてオレは、自分の正体を明かして、それから――」
キヨカの顔色が、一瞬で変わる。
「それから、どうしたんですか?」
心配そうに、キヨカの様子を窺うフランシスカ。
「……オレを裁いてくれ、と言ったら、あいつは、舞は、オレを許せないと言って、一度だけ強く殴った」
「まあ、当然の処遇だな」
途中で口を挟んだキュールを、フランシスカが黙らせる。
「その後、そうだ、舞は、オレに、手伝えと言った。元の世界に戻りたいから、その手伝いをして欲しいと、そう言ったんだ……」
どうして忘れていたのだろうか。いや、むしろそれは全く逆の疑問を持った方がいいのかもしれない。どうして、思い出せてしまったのだろうか?
「システムと、舞はそれをそう呼んでいた……。それは、この世界だけじゃなく、異世界を含めた全ての世界を牛耳っていて、システムに気付いた者に容赦をしない。そいつをその世界から完全に消してしまう……。舞は、それと戦っていた」
「……落ち着け、魔王。慌てるな。冷静になって考えろ。単純に考えてもその意見は二つほどの点で矛盾している」
キヨカは、キュールの言葉に強く反駁した。
「矛盾などしていない! 間違っていなかったんだ。オレの能力紋は『王道破り』だ。パターンF、つまりは三二次元に渡って王道を破る。その意味は、三二次元の評価軸から事象を評価し、その優劣による純然たる結果のみに左右される世界を構築する。オレだけでは、きっとそのシステムとやらには到底太刀打ち出来ないのだろう。現に、今の今までこの事実を忘れさせられていたのだから。だが、そう、あいつは、舞は、勝てたんだ……! 運も奇跡も何もない状況下で、システムに立ち向かえば勝てるだけの力を持っていた。しかし、紙一重の差で、相手の、悪あがきのような辻褄あわせみたいな攻撃が邪魔になって、実行に移せなかった。それを、オレの能力で乗り越えたんだ。あいつには、見えていたわけだ、オレの能力さえあれば、自らが切り開いていけるという、そのビジョンが!」
ざわつく心を押さえて、キヨカは興奮気味に告げた。
……舞は、今頃、どうしているのだろうか。
システム。その名を持つ何かと、戦い続けているのだろうか。
それは、キヨカ達がまさに今から立ち向かおうとしている黒幕と同じなのだろうか。
キュールが、難しい顔をしながらこちらに尋ねてくる。
「で、もし仮にそれが事実だとして、だ。貴様が手伝った結果、その舞とやらはどうなったんだ? システムに勝ったのか? 無事に元の世界に戻れたのか?」
「わからない」
「あ?」
「舞の強さの理由、それは、相手の把握能力の限界を超えて動くことで、全く知覚出来ない行動が可能であるという点だ。いきなり見えなくなって、それっきり戻って来なかった」
「……言いにくいですが、それは、この世界から消されてしまったんじゃありませんの?」
「あるいはそうなのかもしれない。オレが把握したのは、あいつが消えたということだけ。どんな可能性だって考えられる……」
「……とりあえず確かなのは、その貴様より強いらしい奴は、今回の俺たちの仲間には加わらなさそうってことだな?」
キュールが、頬を引き攣らせるように、不機嫌そうな声を上げた。基本的に、この少年は気が短い。
「……いや、まあ、そうだな。しかしほら、参考になっただろ。オレたちの求めている黒幕ってのと、そのシステムとやらに、何らかの関係があるのは間違いないだろうし……」
「…………行くぞ」
ずんずんと勝手に先に進むキュールの背を追いながら、キヨカはゆっくりと歩き出す。
舞。
……本当に強かった。
おそらく、彼女ならば、あの仮面の人間にも匹敵しうるだろう。
だが、その彼女の助力は望めない。
……手がかりと、仲間と。
今必要なのは、その二つ。全くの手探り……いや、運命を導くという逸話のある、導きの聖剣だけが頼りで、黒幕に出会い、さらにそれを打ち勝つのは不可能だ。
ただでさえ、『王道破り』という能力紋を持つ自分が――
…………!
そこまで思い至って、初めて一つのビジョンが見えた。
……そうか、そういうことか。……おそらく、それが、オレの役目。
キヨカは、当然の帰結としてその結論を得、自分の役目を認識し、覚悟を決めた。前を歩くキュールと、それから彼に楽しそうに纏わり付くフランシスカを見やる。
良い生き方をしてきた者達に送られた、安寧の日々。
多くの罪を重ねてきた自分に下される、因果応報という名の罰。
……王道破り、か。
皮肉なものだ。おかしくなってきて、少し笑った。
木々の緑が眩しい。焼き払うことしかしなかった自分に、しかし自然は温かい日差しをくれる。十二分の、扱いだ。彼らはこんな自分でも邪険に扱ったりしない。
……前を向くしかない。舞のように、立ち向かうしかない。
生まれて初めて、心が軽くなったように感じた。
運命は、彼女らに味方する。
三日の後、彼女ら三人は、重要な足がかりとなる二人の人間と出会う。
終局は、近い。
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