20031208―ユリウの岐路―

「最初から最後まで、辻褄があうわけ無かったんだ。少し考えればわかるだろう? 過去を捻じ曲げることによって、人を動かしたり記憶を消したり書き込んだり。そりゃあ、どんなに無茶なことをやったって表面上は矛盾が出ないだろうが、修正に修正を上塗りしていったせいで、世界は元あった姿と全く違ったものとなってしまっている。根本的に正しくないことをしていたんだから、当然だ。辻褄をあわせるために修正すると、それを上回る問題が生じて、それを修正するからまた同じことになる。泥沼化している」

「……そんなことに、今更気付いたのか? それは、俺が随分前から指摘していたことじゃないのか? お前は、それを承知でシナリオを書いていたんじゃないのか?」

「それは、そうさ。ただ、もう限界だ。無理がある。正直、やりすぎなんだ。君がこちら側に来たあの時に、嫌な予感がしていた。君がこちら側に全く馴染んでいなかった時、もっと警戒しておけば良かった。一言で言おうか、僕の負けだ」

「……何を言ってるんだ?」

「今更とぼけなくてもいい。もう、わかっていてもどうしようもないところまで来たんだ。『レイトゥの話』の時点で気付いていれば良かった。システムの本質に気付いていれば良かった」

 ユリウが、蒼ざめた顔で、悔しそうに机を殴りつけた。衝撃で、右手に持っていた愛用の筆が折れる。

 話の相手は、それを見て、ゆっくりと笑った。

「昔から、これは実に疑問だったんだ。お前も考えたことがあるんじゃないのか? 『これらのシステムには結局、一体?』と。何故、妙なゲームのようなルールの中で、一定の数の人間が世界から消えなければならないのか。そして、その人間を、過去の歴史を変えてまで別の世界にいたことにしなければならないのか。つまるところこれは、何を目指しているんだろうか?」

 その人間の余裕の様を見て、ユリウは、頭をかきむしった。その瞬間、どこかの世界で誰かが消えることになったらしい。受け入れ先の世界でのシナリオを要求する誰かの声が聞こえたが、ユリウはそれを無視した。

「システムに意味などないと思っていた……。だからこそ、君は僕達に対して怒りを覚え、内側からこのシステムを崩そうとしているのだろう、と。……確かにそれは一面を見れば正しかった。戯れに人々の運命を弄ぶ僕達に、君は良い感情を持っていなかった。そして、だからこそそれを打倒すべく、君はこちら側に来てしまった。『レイトゥの話』という置き土産を向こうに残して」

「今更、悔やんでも遅い。お前は、俺に負けた。いや、俺達に負けた。これは俺だけの力じゃない。何重にも何重にも重ねられた網の目のような罠を死に物狂いで掻い潜ってきた先達や、そしてこんな本末転倒な状況に耐えてくれた全世界の民や、あるいは何も知らずに世界を回していたつもりになっていた、お前達自身の力だ。そう、今こそ言おう。俺に従え。あるいは、私に協力してくれ……!」

 それは、大勢の人間を従えさせるような、ひどく彼らしい説得力のある言葉だった。

 だが、ユリウは首を横に振った。何度も何度も、全てを認めまいとして、半ば自棄になっていた。

「世界で最初のシステム……いつ、どこで誰がどのように始めたものなのか、ずっとずっと気にはなっていた。どんなシナリオを書いていても、どんなに過去を調べてみても、その部分にだけは引っ掛かることが無かった。……当然だったわけだ……。君が、そうであったように作ったのだから……!」

 真実に近付いたわけでも何でもなく、ユリウは、ただ気付いたのだ。

 同じように、気付けば早くもシナリオの要求が五件溜まっている。本来の仕事をも無視して、世界を回すことを放棄して、ユリウは絶望の中で喚くように続けた。

「巧妙だった。確かに、極めて巧妙だった。『ヒルスの三択』『カザミの権謀術数』『ロシューのすれ違い』『デューイットの逃走』『エラスティオンの孤独』『アリアの梃入れ』『警告のヒューズ』『語りのユリウ』『殲滅のネイファ』そして『レイトゥの話』こと『自己矛盾のレイトゥ』……! この僕がきちんと把握しているシステムですら、たったこれだけだ。なのに人々はああも簡単に世界からいなくなる。『語りのユリウ』の仕事が減ることは無かった。……根本的に、もう一つ、あったわけだな。君の仕掛けたシステムが、向こうの世界、いや、この世界には根付いていたわけだな」

 相手の人間は、ゆっくりと溜息をついた。

「……そうとも、本来ならお前も良く知っているはずだ。お前は、その瞬間に立ち会ったのだから。俺がそのシステムをこの世界に根付かせる瞬間、お前と対面したのだから。さあ、だからこそお前は来い。俺と一緒に、来るんだ……!」

 その人間はユリウを強く説得したが、ユリウは全くそれを聞かなかった。

 聞きたくなかった。

 自分の全てを否定されたような、そんな気がしていた。

 否。

 そんな気がしていた、のではない。まさに、そうなのだ。

「何らかのシステムを最初に思いついた者は、その瞬間にその世界に元々いなかったことになる。そして、そのシステムに名前を付け、現実化させることが出来る。その際、その名前を持つ『システム管理者』がこちら側の世界に現れる。もしも自分の名前を付ければ、自分がシステム管理者となり、それ以外の場合は架空の誰かがシステム管理者として現れ、自分は別の世界へ渡る」

 ユリウは、予想に過ぎないが、おそらく間違いの無い、その話し相手の考え出したシステムの発動条件を口にした。最も根本的な、そしてそれゆえに誰もが見失っていた、システムのルール。否。見失わされていた、ルール。

 ユリウの話し相手は、静かに頷いた。

「その通り。さらに続きもある。『ただし、思いついたシステムに名前を付けて現実化させるか否かを決めるのは、公正な立場にある第三者的なシステム管理者と本人の話し合いであり、そのシステムを現実化させないと決まった場合、話し合いに加わったシステム管理者かあるいは本人にまつわる何かに、ひどく不可解な矛盾が現れる』。ご理解いただけたかな? この世界は、元々矛盾だらけになるか、システムだらけになるか、そのどちらかの選択を迫られていて、そのどちらにしてもシナリオ書きのお前が全てを処理するしかないわけで、修正に修正を重ねて――そう、今のようになることは必然だったわけだ」

 負けたのだ、ユリウは。

 初めから、こいつの考えたシステムには、手も足も出ていなかったのだ。

 そもそも、このシステムが矛盾しているのだ。このシステムが存在する以前には、どんなシステムを思いついても、それはただそいつの杞憂とか妄想とかいう言葉で片付けられただけの代物のはずなのだ。しかし。この人間が、このシステムを考え出した瞬間。無理も道理も通して、それが現実化しようとしてしまった瞬間。全ての世界において、過去が大幅に書き換えられ、当時は杞憂や妄想で片付けられていたはずのその突拍子も無いアイデアたちが、システムという言葉を与えられて蘇り、顕在化し、当然のように、元から存在していたかのような振る舞いを見せ始める。だからこそ。この人間がこのシステムを現実化するか否かをシステムのルール通りに話し合う段階で、ユリウがシステム管理者としてその場に立ち会うことが出来たのだ。昔から、そこにいられたのだ。

 こんなことは、本来起こりえない。辻褄が合っていない。嘘を本当にするかどうか決める段階で、既にその嘘が本当になっているという前提がある。

 順番が逆だ。

 手段と、目的が、一緒だ。自己矛盾を起こしている。

 ユリウが、向こうの世界の過去を塗り替えて辻褄を合わせていたのと逆。過去が塗り替えられたからこそ、辻褄が合ったように見えたに過ぎない。

 ユリウは泣いていた。

 自分がこの世界を回している。そのはずだった。

 シナリオ書きの要求は、一二人分に膨れ上がっている。それだけの人数が、様々な世界で元々いなくなったことにされ、辻褄合わせを望んでいる。自分がいなければ世界はうまく回らない。そのはずだった。

 だが、真実は違った。

 自分が得意げな顔で世界を回せば回すほど、世界は綻びを隠しきれなくなっていって、最終的には駄目になるのだ。

 そう仕組まれていた。元々、問題だらけだったのだ。自分の手腕であるとか、そういったものは無関係だった。

 叫びたい衝動に駆られながら、ユリウは、その話し相手の方を見た。忌々しい、向こう側から来た新入りだったはずの少年を見た。

「このシステムには、当然ながら俺の名前が付いている。改めて紹介しよう。これが、『』だ」

 ユリウの話し相手、ユドリフマーカスは誇らしげにそう語った。

「どれだけ絶望していても過去は戻らない。だから、俺と一緒に来い。俺と一緒に来れば、過去が取り戻せる」

 ユリウは、ぼんやりとユドリフマーカスを見た。自分は、絶対にこの少年には敵わないのだ。いくらシナリオを書いてきた自分にも、これは無理だ。

 、松倉天城発案のシステム『レイトゥの話』。ユドリフマーカスは、目の前で天城が消えた後にもそれを覚えておくことに成功した。そしてそれを自ら口にすることで、『』という不可解な矛盾を作り上げた。まさに、『ユドリフマーカスの雑談』のルール通りに……。作られるべくして、『自己矛盾のレイトゥ』は作られたのだ。

 巧妙過ぎる。

 こんなに巧妙に、だが無制限にシステムを増やしていって、一体彼は何をするつもりだったのか。今はまだどうにか辻褄があっているが、しかしその内、どうしようもなく噛み合わなくなって行くその世界で、彼は――

 …………?

「ま、まさか……」

 ユリウがその理由に気付いた時、ユドリフマーカスは強く頷き、そして、顔の前に一本指を立てて口止めしてきた。

 確かに、それを口に出すわけにはいかない。黒幕が、黙ってはいまい。ユリウは、折れた筆を、闇よりも深い黒壁に向かって投げつけ、一三件に増えたシナリオの要求を全て無視して、ユドリフマーカスに近付いていった。

「もし僕が君に付いて行ったとして、僕の後継はどうなるんだ?」

「さあな。何にせよ、今の段階では『語りのユリウ』が消えることはない。お前がいなくなった事自体が無かったことにされるか、替え玉が立つか、あるいはその両方か……。心配はいらない」

「……とりあえず、これから僕は、ユリウではなくなるというわけか。または差し詰め、『』とでも名乗るべきかな」

 皮肉げに、呟く。少し、悲しそうな眼をしていた。

 ユドリフマーカスと、ユリウだった者は、まるでいつものようにそこから出て行き、そのまま二度と戻って来なかった。

――

 同時刻、同じ場所、ユリウ、否、は、いつものように世界を回していた。別段、変わったこともなく、昔からそうであった通りに。

 ただ、だった。昔からそうであった通りに。

――

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