20020501―裏切りの初撃―

「率直に聞こう」

 ユリウの前に現れたそいつは、名をヒルスというが、それ以外のことをユリウは全く知らなかった。そいつがそんな風にユリウのところに現れたのも初めてなら、口を利いたのも初めてだった。

「何かな?」

 ユリウは、丁度シナリオ書きが一段落して珍しく手があいたところだったので、ヒルスへの応対をしっかりと行ってやることにした。生来の性格として、ユリウは他人と話をするのが実は好きなのだ。

「この前こちら側に来た人間がいるだろう。あいつのことだ」

「え? ヒューズのことかい?」

 そんなわけはない。わかっていたが、それでいてユリウはとぼけて見せた。それに対しヒルスは一向に感情を表に出さず、ただゆっくりと首を振った。もしかしたらこいつはこんなわかりきったユリウの演技に全く気付いておらず、本当にユリウが勘違いしているものと思っているのかもしれない。

 ユリウは全くヒルスの性格や性質を知らなかったので、正確なところはわからなかった。

「じゃあ、一体誰のことだい?」

 こいつが感情を露にするのを見てみたい。それだけのために、ユリウはさらに一度すっとぼけた。ヒルスが、小さく溜息をつき、そして舌打ちをした。表情は変わっていなかったが、明らかに苛立っていた。くつくつと、小さく押し殺したようにユリウが笑う。

「何がおかしい?」

 本気で怒っているらしいヒルスの様子を見て、こいつは意外と気が短いのだと認識し、それからユリウは手を振って全てを否定した。

「いや、何でもない何でもない。で、結局あいつのことで聞きたいことって何?」

 話を本題に戻したことで、ヒルスはある程度落ち着いたようで、もう一度溜息をついた後、こんなことを言った。

「あいつがこちら側に来たことに今更文句はない。だが、あいつが最後に向こう側にばら撒いた『レイトゥの話』に解せない点がある。一つ、その時に、他人の中にあるあの話に関わる記憶が抹消されなかった理由。二つ、あの話が現実化してシステムの一部に組み込まれている理由。三つ、システムの一部にも拘らず都市伝説として一般の間にも広まってしまっている理由。四つ、そのせいで明らかな齟齬がいくつかの世界で表出しているにも拘らずそれが修正されない理由。五つ、これが致命的だ。が、どうして、昔から全世界のシナリオを一手に引き受けていた者であったことになれるのか、その理由」

 ヒルスは、おそらく向こう側の人間であった頃からこのような人間であったのだろう。ユリウにはそれがわかった。物事を一面からしか捉えることが出来ず、自分の立っている場所が安全なものだと信じて疑わない、良く言えば幸せな、悪く言えば不注意な人間。

 そして一方では、好奇心が強く、それでいて沈着冷静。ただ、無論その好奇心や冷静さも、自分が安全だからこそ発揮できるものなのだ。ヒルス自身にはわかるまいが、それは極めて独善的であり、周囲の様子が見えておらず、はっきり言って

「答えてもらおうか。『』さん」

 目障りであり邪魔者であり鬱陶しく煩わしくそして消えてもらいたい対象のランキングを作ったら必ず上位にランクされる類の存在だ。

 ユリウの計画は、この瞬間、頓挫したのだから。

「世界は回り続ける」

 ユリウは、いや、は、一言そんなことを言った。そこには全く慌てた様子もうろたえた様子も逆鱗に触れて暴れ出す様子もなかった。当然だ。そいつはそんなことをするつもりなど毛頭なく、別段普段の、シナリオを書いている時のユリウと変わらぬまま、そこにいて、そこにおらず、世界を見つめながらその実何もその目に捉えず、ヒルスと話をしているのだから。

「世界は回され続ける」

 ユリウという名前の人物だと思われる何か、は、もう一言そんなことを言った。そいつは、その瞳に映る闇の色を聞かれても間違いなく光の名前を叫んでしまいそうな、そんな極めて不条理で不可思議な視線をまさに今ヒルスに向けた所だった。ヒルスは、特に何を思うわけでもなかった。ユリウの思っていた以上に、ヒルスは割と根底の部分から冷静な方だったのだ。

「システムの本質を考えたことがあるかい? このシステムは、決して全貌を現さない。君も、私も、あいつも、ヒューズも、デューイットも、ロシューも、カザミも、ネイファも、そして仮に私が思いつく限りの者の名を挙げて、全員を招集したとしても、それ、そしてそれらはいずれにせよ、何らかたった一つのシステムの管理者に過ぎない。システム全域を構築する細部のパーツについて言及することしか出来ていない。このシステムの全体像など決して見えてこないのさ。わかるかい? わからないかい? 例えば、このシステムを全体として動かしている何者か、つまりシステムの元締めみたいな者がいたとして、そいつがこちら側にいることがあり得るかどうかということを考えてみたことはないかい?」

 その時、ユリウが一体何をしたいのか、ヒルスにはわからなかった。だが、言っていることは残念ながらわかってしまった。全てのこちら側の者がいずれもシステムの一部であるのなら、誰がシステムの全てを把握出来るというのか?

 ヒルスは実は、向こう側の、という意味で、世界が好きだった。そしてその世界にシステムという形で、つまり『ヒルスの三択』という形で関わることが出来て、ある程度満足に過去現在未来と暮らしていたし、暮らしているし、暮らして行く予定だった。

 結局、足元を見誤っていた。

 世界を回しているこちら側も、安全なことなど全くなく、ただ脆いだけの腐りかけの木の枝のようなどうしようもない代物であり、さらに今まさに『腐りかけ』が『腐り果てた』に変わってしまったところだということか。

「システムには、盲点があれば齟齬も生じれば矛盾も現れれば失敗もしてしまえば感知もされてしまうという欠点らしい欠点が、そして向こう側の人間が言う所の『抜け穴』が数多く用意されている。もちろん故意に用意しているわけではないけど。その点で、実は、向こう側の人間の方がまだましなことがわかるだろう?」

 ヒルスの頭に浮かんだのは、絶望や悲観といった類の言葉ではなく、偶然にも、そう、抜け穴を発見した時の向こう側の住人の反応と同じものだった。

 すなわち。

 現状からの脱却への渇望。

「私は、どうにかしたかったのさ。世界を回す世界をすら回している、システムのさらに裏にあるはずの『』の存在をね」

 宣戦布告にも似ていた。

 ユリウは、苦笑した。

 そういえばどうして自分はこんなにも無事でいられたのだろう。それどころか、長きに渡って優遇され、過去を捻じ曲げられてまで、シナリオ書きという重要なポストにおさまり、歪んだ形とはいえ生みの親であるあいつにはかなり嫌われて罵倒されたが、それなりに楽しんで生きてこられてしまった。

 裏切りを黙認されていた。

 その理由を考えようとしてふと止めてしまったユリウだったが、ユリウがユリウとしてユリウであるうちに最後に考えたことは、結局はその理由のことだった。

 しかも、ユリウに残された最後の人間性に賭けた様な、ひどく馬鹿馬鹿しい、

 らしくもない内容の。

――黒幕は、意外と面食いなのかもしれない。

 そして。

 静寂が破られる可能性が、この場において次の瞬間完全に消滅した。

 わずかな波紋だけをそこに残して。

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