20020302―躊躇される打開への一歩―

 テリアハムラフィ罠設計担当に言わせてみれば、これは全くもって大したことではなかった。ただ、あれだけ発言権の大きく、社内でも極めて重要なポストに就いていたユドリフマーカスが、ある日突然、そもそもこの世にいなかったことになっただけのことであり、また、本来絶対に気付いてはいけないその事態に、あの切れ者のマイゼルグラフト警備主任が何故か気付いてしまったというだけのことでもあった。

 勿論、その事態に気付いてしまっていたのは、すでに世界から弾かれつつあるテリアハムラフィ罠設計担当も同じだった。

 究極の選択の時が来たのかもしれない。

 彼女の目の前では、ラルフリーデス見張り担当の張った絶対空間が、中の様子を把握することを遮断していた。一度、それがほんの僅かの間開いたのだが、その時、彼女はキルトカルテット警備担当……否、順路変更担当の額から角が生えているのを見ていた。あの彼女がどうやら不死種族だったらしいことには非常に驚いたが、しかし、逆に言えば、大きなチャンスが到来したともいえる。

 この世界で最も閃きの鋭い男、マイゼルグラフト警備主任。

 この世界で最も能力に秀でた男、ラルフリーデス見張り担当。

 この世界で最も強い不死種族の一員である、キルトカルテット順路変更担当。

 これだけの面子が一堂に会しており、世界を外から掴んでいるこの謎のシステムに直接的に関わりかけている。

 立ち向かうなら、今が好機には違いない。

 いかにも足がかりとなりそうな、ルイや自分といった人材を餌にしてシステムをおびき寄せ、何らかの反撃を行ってそれを潰すことが、彼らの力を借りれば可能かもしれないのだ。この、事件にならない事件に、根本的な解決をもたらすことができるわけだ。

 だが一方で、これは極めて危険な行為でもある。今、絶対空間の内部にいる彼ら三人と自分は、はっきり言って、もはやいつ消されてもおかしくない危険分子に過ぎず、どのような理由で猶予が与えられているのかは知らないが、不穏な動きを示した途端に消されてしまう可能性が高い。

 そうなると、彼らにシステムへの反撃の話を持ちかけるや否や、何の計画も対抗手段もできない内に相手の急襲を受けることにも成りかねない。三人には三人で何らかのアプローチをしてもらい、自分は我が身可愛さで黙っていた方が、よほど得になるというものだ。

 絶対空間が開くまでに、決めなければならない。

 対抗のために彼らに協力するべきか。

 自衛のために知って知らぬふりを貫くか。

 ハイリスクハイリターンか、ローリスクローリターンか、それだけのことだ。

「ねえ」

 これは、自分のためだけの問題ではない。この世界の全員に関わってくる、重要な問題なのだ。安易な答えは出せない。

「ねえってば」

 二択なのだ。簡単な二択なのだ。ただ、この問題には今の時点で正答など存在せず、それがために自身の選択はいずれにせよ誤りであるかのような気になり決心がつかないのだ。

「ちょっと、聞いてるの? テリアハムラフィ罠設計担当」

 肩をゆすられて我に帰ると、少し怒った顔で、ルイが自分の横に立っていた。彼女は他の社員と同じように、つい先ほどまでは呆然と絶対空間を見ていたはずだったが。

「あ、ああ、ごめん。ちょっとぼおっとしてた」

「さっきからのこれって一体何なの? あなた何か知ってるんでしょ?」

 一瞬、核心を突かれたのかと思って肝を冷やしたテリアハムラフィ罠設計担当だったが、どうやらルイが聞いているのは、この絶対空間自体のことらしかった。よくよく考えてみれば、普通の人間でも絶対空間のことを知っているものは多くないのだ。彼女がこれを疑問に思うのも仕方がない話だ。

 それを、何か知っているはずだという見当をつけた上でテリアハムラフィ罠設計担当に尋ねてくる辺りが、恐ろしいが。

「これは絶対空間って言う、能力の一種。外の世界と完全に隔絶した場所を確保する効果があって、たぶんこれはラルフリーデス見張り担当が作ってるんだと思う」

「どうして?」

 一瞬、返答に窮したが。

「さあ。それはよくわからないわ。空間が開かれた後、当人から説明があるでしょ、きっと。それを待ちましょう」

 ルイは、明らかに納得出来ていない表情をしていたが、それ以上深くは追及してこなかった。ただ、不意にこんなことを言った。

「わかるかわからないかわからないけど言っておくと、何だかこの出来事は、後々になってひどく裏目に出てしまう何かと密接に関わっているような気がするの。もしかしたら、それにはあなたも関わっているんじゃないかしら。自覚があるなら、あなたは自分が最も安全だと思う行動をとっておいた方がいいと思う」

 何が何だかわからなかった。

「あなた……何を言っているの?」

 どこまで知っているの、と訊きたかったが、訊けなかった。

「わからないならいいわ。でも、きっと、裏目に出るわ……」

 告げると、彼女はようやく馴染み始めた他の社員にも話を聞くのか、遠くで話している三、四人のグループに近付いていった。

 忠告だったのか、何なのか。よくわからなかったが、とりあえずやけに説得力のあるルイの言葉に困惑しながらも、テリアハムラフィ罠設計担当の心は半ば固まりつつあった。

 それが、なんだかんだでルイの言葉にそそのかされたものなのか、彼女の助言より前に決めていたことなのかは全くわからなかった。

 とにかく、しばらく様子を見ることに、彼女は決めた。

 絶対空間が目の前で開いていく。

 中から出てきた三人は、すぐさま他の社員から状況の説明を求められた。マイゼルグラフト警備主任が、迷宮否定主義者の精神攻撃などをスケープゴートにしたもっともらしい説明を始める。

 それは、明らかに嘘だ。

 わかっている。

 テリアハムラフィにはそれがわかっている。

 彼女だけにはわかっている。

 だが。

 彼女はそれをおくびにも出さない。

 いつものように。

 知らぬ顔で、その場に溶け込んでいる。

 いつものように。

 …………。

 仮初の日常は、今しばらく続きそうだった。

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