20020301―付随する運命の序章―

 彼女の名前は、ヒューズと言った。

「困っているでしょう、あなたは、とても。それを助けに来たんですよ、私はここに」

 何故か倒置法を使って話す彼女は、その口調とは裏腹にやけに冷たい印象を振りまいていた。笑顔なのか真顔なのかわからない表情は、整った顔立ちを不気味にすら見せている。

「どうしたんですか? やけに不思議そうな顔ですね」

 キュールは、自分は確かにそんな表情をしているかもしれない、と思った。

 しかしあえて表情を動かそうとは思わなかった。

「何者だ? お前は」

 どうもここしばらく不自然かつ不可思議な出来事が連続している。彼には、どうしても警戒を解くことは出来なかった。いつでも抜けるように、導きの聖剣の柄に手をかける。

 女は、それを見ても特に何のリアクションも見せず、相変わらず何の武器も持たずに何の構えも取らずに、ただ相変わらずの表情で平然とそこに立ち続けていた。

「言いませんでしたか、ヒューズです、と」

「名前などわかっている。何者なのかを訊いているのだ。魔王の手の者か?」

「どうするのです、訊いて」

「何?」

 女が動いた。体の横に真っ直ぐ下ろされていた両腕を、すっと体の前にかざしたのだ。

 キュールは反射的に導きの聖剣を抜き、構える。

「私を殺すチャンスは、あなたに、今まで、七回あったはずです。そして、いくらでもあります、あなたを殺すチャンスなど、私には」

 女の腕が青い光に包まれ始め、キュールは少し距離をおいた。

「ですが、なされていません。気付いてください、この時点で、私が敵ではなく、あなたも私を味方かもしれないと思っていることを」

 ヒューズは、光に包まれた腕を大きく広げた。するとそこに、一枚の大きな映像が投影された。キュールは、息を呑んだ。その幻想的なスクリーンに投射されていたのは、彼の幼馴染である少女の映像であったからだ。彼女は、いつものように神殿で祈りを捧げているところであるようだった。

「こ、これは……」

「あなたの大切な人であると聞いていますが」

「…………」

「祈りを続けています、この娘は、あなたが戻ってくるように。帰りたくないですか、あなたのことを想う彼女のところに。ならば信じてください、私を。こんなところでこんなことをしている場合ではないはずです。導くことが出来ます、私なら、あなたを」

 光のスクリーンは、ヒューズが腕を下ろすとあっさり消えてしまった。

 キュールは、彼女を静かに見据えている。

「このままでは絶対に辿り着けません、あなたは、あの娘のところに。全く理解していないからです、あなたは、今の状況を」

 ヒューズは、ただやはりあくまでも淡々と語った。

「取り残されています。魔王の手の者か、と尋ねる時点で、あなたは、明らかにこの状況から。どうしようもないほどです、はっきり言って」

 キュールはそれに対し、すぐには何も言わなかった。ただ、導きの聖剣を鞘に戻すことをしただけだった。

 返答するまで、しばらく時間がかかった。

「では、俺を助けてくれ。頼む」

 頭を下げた。

 ヒューズはそれを見て、ようやくそれとわかる笑みを零した。

「ここはどこなんだ? どうして誰一人として魔王のことを知らないんだ? 魔王はどこにいるんだ?」

 矢継ぎ早に質問を浴びせるキュールに、ヒューズは困った様子もせずに、ただこう言った。

 最も恐ろしい事態を引き起こすことになるその言葉を、何の気なしに呟いた。

 こんなにも早く、動いた。

「ここは、あなたの知る世界ではありません。魔王のいない世界。迷宮のある世界。名前はありませんが、そんな世界です」

 鼓動が、一つ高鳴った。

 それは自分のものか。

 それとも聞こえるはずのない相手のものか。

 それとも存在するはずのない、この世界のものか。

 わからない。それはわからない。

「世界を越えてしまったのです、あなたは」

 世界を越える。世界を超える。せかいをこえる。セカイヲコエル。

 その意味をすぐに理解出来るほどキュールは賢くなく。

 この事態を放っておくほどシステムは甘くなかった。

 一瞬だった。

 時間など存在しないレベルでの話だった。

 ただ、始まりと終わりが同時に訪れるその儀式は結果的に遂行されていた。傍から見れば。梃入れだった。

 世界は、修正を受けるのだ。

 ヒューズとキュールは修正を受けたのだ。

 何もかもが作り変えられて行き、それこそが実はヒューズの狙いであり、結果としてヒューズとキュールは、それぞれ実に奇妙な道を辿ることとなるが。

 それはまた、別の話である。

 今はただ、運命は彼と共にあった。


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