20020221―システムの失敗―

「何かがおかしいとは思わないか?」

 マイゼルグラフト警備主任は、ラルフリーデス見張り担当に問い掛けた。

「何かって何がですか?」

 ラルフリーデス見張り担当は、不思議そうに返す。

「わからない。漠然と、そう、本当に漠然とだが、違和感がある」

「だから、何がおかしいんすか? 主にどんな分野っすか? 部屋の様子なんすか、それとも人の様子なんすか」

「…………。人だな。気のせいか、いつもより人数が少ないような、いや、違うな、それ以前にどこかがおかしい」

「何言ってるんすか」

 マイゼルグラフト警備主任は、きょろきょろと周囲を見渡した。

 そこでは十七人の社員がデスクワークを行っている。その人数は、ここにいるべき人数として、確かマイゼルグラフト警備主任の記憶が正しければ、問題ないはずだ。

 しかし、何かが足りていなかった。

「君は何も感じないか?」

「ええ」

「能力を使っても?」

「……ええ」

 ラルフリーデス見張り担当の探査能力をかいくぐることの出来る人間など、おそらくほとんど存在しないだろう。

「やはり気のせいなのか?」

「疲れてるんじゃないすかね」

「そうなのかもしれん」

 ここしばらく、連続して問題事が起こっていて、マイゼルグラフト警備主任はその対策に忙殺されていた。疲労はピークに達している。

「少し休んだ方がいいんじゃないすか?」

「そうしたいのは山々だがなあ」

「あの」

 後ろから声をかけられて、二人は振り返った。

「お茶を入れたので、飲んで行って下さい」

 そこにいたのは、キルトカルテット順路変更担当だった。

 ある重要な書類を取りに、現場から戻って久々に事務所を訪れていたマイゼルグラフト警備主任とラルフリーデス見張り担当に、気を利かせてくれたらしい。

「あ、ああ。どうもありがとう」

 マイゼルグラフト警備主任は、キルトカルテット順路変更担当がお盆に載せている湯呑みを手にし、そこでふと、何気なく尋ねた。

 本当に、何気なくだった。

「君、順路変更担当だったかな?」

「え?」

「いや、何となく、警備担当だった気がしたんだが」

「はあ」

「何言ってんすか、警備主任」

 ラルフリーデス見張り担当が笑った。

「彼女が順路変更担当じゃなかったら、誰が順路を変更するんすか。彼女、この会社唯一の順路変更師なんすから」

「そうですよ。一瞬、私も考えちゃいましたけど、私が警備担当だったりするわけないじゃないですか。何より、そんな危ない仕事向いてないですよ、私には」

 しかし。

 ここで、何故か違和感が、増大した。

 それは、ラルフリーデス見張り担当にもわかった。

 彼は咄嗟に能力を完全に開放したが、それでも違和感は違和感でしかなく、本質が見えてこなかったので、初めてこの場に自分の能力を凌駕する力が働いていたのだと気付いた。

 一方。

 マイゼルグラフト警備主任は、その違和感の正体を、瞬間的に、何の能力の手を借りることもなく、その天性の閃きのみで垣間見た。

 把握してしまった。

「そうだ」

 そして、口に出してしまった。

はどうしたのだ」

 空気が変わった。

 全てがおかしくなった。

「やばい!」

 その変化に対応できたのはラルフリーデス見張り担当のみであった。

 パターンLの能力で彼は絶対空間を作り出し、自分の周り半径七メートルを領域として確保し、外部からのあらゆるアプローチを遮断した。

 だが。

 力は、絶対空間をも超越して干渉した。

 システムこそが絶対中の絶対であり、その中で作り出された絶対空間はすでに相対化される対象でしかなかったからだ。

 マイゼルグラフト警備主任には、何が起こっているのか全くわからなかった。

「警備主任!」

 ラルフリーデス見張り担当には、マイゼルグラフト警備主任を掴もうとしている巨大な手が見えていた。その手は、時間も空間も何もかもを超越していたため、本来は見えるような代物ではない。ラルフリーデス見張り担当には、それに掴まれた人間がどうなるのか、まるで見当がつかなかったが、おそらく無事ではすまないことは間違いなさそうだったので、警備主任を守るべく、パターンKの能力で時間を止めて対処のための時間を稼ごうとした。

 無駄だった。

 システムは止まらなかった。

 巨大な手は、マイゼルグラフト警備主任を掴み、絶対空間の向こう側、さらにはこの世界の向こう側に引きずって行こうとしていた。

「ま、待て」

 システムは待たなかった。

 このようにして、まさに世界にとっての異分子が駆除されようとしていたその時、

「絶の波紋」

 という静かな声が聞こえ、巨大な手は砕け散るようにして消え去った。

 同時に、マイゼルグラフト警備主任が、何故か、凄まじいスピードでデスクに激突し、血を吐きながら動かなくなった。止めたはずの時間も動き出し、絶対空間は割れてしまい、辺りには元通りの事務所が普通に広がっているに過ぎず――

「!」

 ラルフリーデス見張り担当は、再び絶対空間を展開した。

 そして、横にいるキルトカルテット順路変更担当の様子をもう一度見る。

 額から小さな角が生えていた。

「……不死種族っすか。全然気付かなかったっすよ」

「はあ。あんまり驚かないんですね」

「ん、まあ、知り合いにもいるっすからね」

 キルトカルテット順路変更担当は、額の角をいつものように能力で隠し、マイゼルグラフト警備主任のもとに駆け寄って、その様子を診断し始める。

 ラルフリーデス見張り担当は、絶対空間を維持したまま、

「さっきの技。『絶の波紋』って、あんたがやったんすよね」

「はあ、まあ」

「時間止めても動けるんすか?」

「はあ。不死種族ですから」

「で、あの巨大な手も見えてたんすか?」

「はあ。不死種族ですから」

「あれ、何すか?」

「知りません。私はただ、警備主任が危なかったから助けようとしただけですから」

「何で警備主任がデスクに激突したんすか?」

「時間が止まっている時に移動すると、その速度は無限大の扱いになりますから、その慣性を消しきれなかったんです」

「……俺じゃあ、あの手に勝てないすよね」

「……はあ。私にも勝てませんよ。『絶の波紋』は、本当は境界線を壊す技ですから。ちょうど今回は、この世界とその向こう側のどこかとの境界を破壊した時に、あの手が巻き込まれて砕けただけで、いつもいつも使える技というわけではないんです」

「境界を破壊?」

「はあ。一瞬で修復されましたけど」

 ラルフリーデス見張り担当は溜息をついた。

「じゃあ結局どうしろっていうんすかね」

「どうしようもないのかもしれませんね」

 傷の治療が終わる。

「これから、厄介なことになりそうですね」

 キルトカルテット順路変更担当は呟いた。

 絶対空間が解かれる。

 仮初の日常に戻って行く。

 事態は、どうしようもなく移ろって行く。

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