20020217―キュールの超克―

 キュールは、困惑していた。

「こ、ここはどこだ?」

 どこか屋内であることは間違いなかった。が、それにしてはあまりにもおかしい。広い建物なのだろうが、自分が立っている廊下らしい場所の至る所に曲がり角が用意されていて、迷わずに目的地まで行くことはまず不可能だろうと思わせたし、何より肝心の部屋自体が見当たらない。この建物の存在理由を疑わずにはいられなかった。

 そしてそれ以前に。

 自分はたった今まで魔王と戦っていたのではなかったか。

「まさか、魔王の作り出した幻影か!」

 そうだとすると、つまり、精神防壁を突破されて相手の精神攻撃に屈してしまったということで、この風景は全て嘘であるはず……。

 が、壁も床も、その質感や温度をそのまま自分の手に伝えてくる。これほど正確な幻影を作り出すことなどおそらく出来はしないし、何より作る意味が無い。

「では……俺は、俺自身の精神世界に閉じ込められたということか?」

 そのような能力を持つ者がいると教えてくれたのは、今は亡き賢者クロガネであった。精神世界は混沌に満ちていると彼は言っていたし、なるほど、この複雑怪奇な通路が混沌かと言われれば、首を縦に振らざるを得ないし、これは本当にそうなのかもしれなかった。

 そうとわかれば、こんなところでぐずぐずしてはいられない。一刻も早くここから抜け出して、魔王を倒さねばならない。

 キュールは、とりあえず、導きの聖剣トリプルジャスティスを床に立てて、手を離した。剣はもちろんすぐにバランスを失って倒れ、金属音を響かせる。そして、キュールは剣を拾い上げ、柄が向いた方向に歩き出した。

 曲がり角に来るたびに、同じことを繰り返す。

 しばらくの間は、何事も無く進んだ。しかし、延々と続く通路に不安がいや増した頃、三十五個目の曲がり角で、キュールは不気味な気配を感じた。それは、自分が来た方向から右に折れる方向で、すこし上り坂になっているその道の遥か向こうから、恐ろしく強い何かが急速に接近してくるという、彼のパターンCの能力が伝えてきていた情報だった。しかし、相手が強いことが不気味な理由ではない。不気味なのは、その相手が、明らかにこちらに気付きながら、そしてこちらを敵だと認識しながら、それでもこちらに向かっており、だが戦闘する気など全く無く、ただ挨拶して通り過ぎようと考えているかのような印象を与えてきたからだ。

 キュールは、迷った。迎え撃つべきか、逃げるべきか。

 否。それ以前に、そもそも、ここが自分の精神世界なら、一体自分以外の何者がここに存在していると言うのだろう? 確か、クロガネの話では、精神世界には無論自分の他には誰もおらず、それ故に一度迷い込んだら誰の助言も受けられず、孤独と戦いながら脱出を模索せねばならないということだった。

 つまりここは、自分の精神世界ではないということか……?

 だとしたら、一体何だというのか。

 と、右手方向からやって来る者の姿が見えた。

 キュールは、とりあえず相手を迎え撃つように、そちらを正面に見据え、道の正面に立ち塞がった。相手が、近付いてくるのをじっと待つ。何者かわからない上に、向こうがこちらを敵だと思っている以上、警戒は怠ることが出来ないが……。

 その何者かは、女だった。特に何の武器も持たず、キュールからすればかなり遅いスピードで近づいてくる。しかし、その強さは、そのゆっくりとした身のこなしとは裏腹に、恐ろしい気配として十二分に伝わってくる。

 こちらとの距離が縮まったところで、女は立ち止まり、自分の服の左胸を指差した。何事かと思いそちらを見やると、

「!」

 そこには、この導きの聖剣トリプルジャスティスの作り手を輩出した、刀鍛冶一族リアルカスタム家の家紋が刺繍されていた。この女は、リアルカスタム家の者だということだろうか。リアルカスタム家は代々、魔王と戦う姿勢を貫き続けている。つまり、これにより彼女は自分が魔王の手の者でないことを示すつもりなのかもしれなかった。

 そして同時に、キュールのことを魔王の手の者と思っているのかもしれなかった。

 キュールは、少し慌てて、聖剣の柄の裏側にある同じ紋章を見せる。相手は、何故か一瞬敵意を増大させる気配を感じさせたが、

「あ、それでは私も任務を続けますので」

 と、取り繕ったようにこちらにはわからないことを言って、キュールの横を通り過ぎようとした。

 だが、キュールには聞きたいことが山ほどある。

「待て」

 キュールが振り向きざまに制止の声をかける。驚いたことに、一瞬前に真横を通り過ぎたばかりのはずなのに、かなり急速な加速を行ったらしい彼女は、すでにかなり向こうまで走り去っていた。

 呼び止めたその声に女は何故か過剰に反応し、傍から見てもあからさまに狼狽しているのがわかる様子でぎこちなく立ち止まり、こちらを振り向いた。

「な、なんでしょう?」

 明らかに引き攣った声で尋ねてくる。彼女の気配には、やはり不可解な点が多かったが、とりあえず今は一刻も早くここから逃れたいと思っているらしいことはわかった。

「つかぬことを聞くが、ここはどこだ?」

 単刀直入に聞いてみたところ、相手はかなり困惑したようだった。自分が、魔王との戦いの途中に気付いたらここにいてそのためにこの場所がどこかわからない、というようなことを補足しようとしたその刹那、相手の気配が、そうかあの人たちはそんなことまで知らされてはいけないんだ、という、こちらには理解できない納得の仕方をしたらしいことを伝えてきた。

「言ってもいいんですか?」

 だからなのか、そんな、よくわからないことを大きな声で言ってくる女に、

「ああ、是非頼む」

 と返す。

「ここは、迷宮ですよ。正式には、ゼイルガイルリオン第三番迷宮」

 少し思案した後、女は、これくらいなら適度に相手に情報を与えることになるから一番厄介だろう、というこれまたよくわからない気配とともにそう答えて来た。

 迷宮? そんなものがこの世界にあったとは初耳だった。様々なダンジョンを突破してきたが、どうやらまだまだ自分の知らない場所があるらしい。しかも第三番迷宮であるという。少なくともあと、第一番と第二番が存在するということになる。

 ……魔王は、そんな自分の知らないようなダンジョンに強制ワープさせ、時間稼ぎを狙ったのだろうか。

 とりあえず、ここが自分の知らない場所であり、精神世界や幻影などではないのだということがわかっただけで、もう十分だった。相手も、早くこの場所から去りたがっている。

「ありがとう。引き止めて悪かった」

「はあ。それでは失礼します」

 女は、やはりキュールからすれば遅いスピードで走って行った。どうやら、彼の見ている前では、何故か力をセーブしているらしかった。

「さて。ここが迷宮という以上、おそらく出口くらいはあるだろう。探すしかあるまい」

 そして、彼はまた、導きの聖剣トリプルジャスティスに従って道を進み始めた。

 迷宮の出口を求め、勇者は歩き出した。

 彼は、何があっても希望を捨てない。何があっても諦めない。

 そして。

 運命も彼に味方した。

 三十時間後、彼は――

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