20020213―ユドリフマーカスの雑談―
全てがわかったのだ。天城はそう確信した。
「そうだ、俺達はもはや生まれる前から、ずっと、ずっと、このシステムに組み込まれて生きてきていたんだ」
不自然な言い回しに、
「突然何を言っているんだ? 俺達にもわかるように説明をしてくれ」
ユドリフマーカスは、眼鏡の位置を直しながら、不機嫌そうに呟いた。
「おかしいんだ。全てが。考えてみてくれ、この違いを、この名前の違いを!」
「落ち着け、いいから落ち着け」
桂が呆れたように、立ち上がってわめき散らす天城を宥める。それでも、興奮冷めやらぬ口調で天城は続けた。
「あり得ないんだ! 同じ世界、それも同じ国、さらに言えば同じ地域に生きているにしては、どう考えても名前に統一性が感じられない。ユドリフマーカスに桂にゴズドラムに松倉天城! おかしいだろう? 名前は文化なんだ。その言語圏の文化の表象なんだ。それが、どうして、ここまで無関係な雰囲気になっているんだ?」
「そんなの、それこそがここの特徴だからではないのか?」
これまで黙っていたゴズドラムがつまらなそうに言う。それに対し、天城はあたかも怒っているかのように、声を荒げた。
「ここ? じゃあ聞くが、ここって一体どこだ? ここを俺達は何と呼ぶ?」
「え……、ここは、ええと、今は学校だな」
「学校? じゃあその名前は?」
天城以外の全員が沈黙して、顔を見合わせる。
「わからないだろう。何故考えようとしない? 何故不思議に思わない? 俺達は、人の区別以外、思いの外何も考えなくなっている!」
「そう言われると……そうだな」
「ここがどこで今がいつなのか、俺達は考えていない……。これは、おかしい、あり得ない。これが原因だ。全ての原因だ。事件の犯人だ」
「事件? そんなのが起こっていたのか? 初耳だよ」
天城は深呼吸した。三回繰り返す。
「気付かないから、一般には事件だと思われていない。が、事件は起こっている。俺の予想が正しければ、失踪事件が頻発している筈だ。この世に元々いなかったことになるという形で、人が消えているんだ」
ゴズドラムと桂が絶句した。ユドリフマーカスだけは、ふん、と鼻を鳴らし、
「根拠は? これまでの話との関わりも見えないぞ」
冷静を装った。
「失踪した、つまり、この世に元々いなかったことになった者は、その代わりに、おそらく別の世界に元からいたことになるんだろう。生まれた世界が元より違ったということにするわけさ。それなら、この地域の人の名前がこれほど違う理由の説明もつく。このメンバーの中でも、何人かは本来別の世界にいた人間で、いつの間にかこちら側に来たため、名前の雰囲気がばらばらになっている、というわけさ。場所も時間も把握しない俺達には特に、そんな入れ替わりが行われてもわからない。記憶の中に、一人増えたりとか減ったりとかの操作がいつの間にか加えられるだけで、いくらでも誤魔化されてしまう。俺達はおそらく、何度も何度もそうやって世界を渡りながら生きてきたのさ」
一気にその思いを語り終えると、天城は椅子に座り込んだ。誰も何も言わない。
沈黙は少しの間続いた。
「どうして、そんなことを思いついたんだ?」
ユドリフマーカスが、不思議そうに尋ねる。
「昔から、俺はこんなことばっかり考えてきてた。ただ、今さっきまでは確信できなかったから言わなかっただけだ」
「確信した理由は?」
「一人増えたからだ」
「え?」
桂、ゴズドラム、ユドリフマーカスの三人が同時に声を上げた。
「ここにいる四人の中に、一人、今さっきまでいなかった奴がいる」
桂とゴズドラムが慌てて辺りを見回した。
「だ、誰だよ、それ? 俺達四人は、高校入った二年前からの知り合いだろ? だって、俺覚えてるぜ、入学した頃のこととかも」
「そうだ。間違いない。それに、もし仮に一人増えたのだとしても、何故お前にそれがわかるのか? お前の言う通りなら、その増えた誰かも元々この世界にいたことになるのだから、結局他の人と区別がつかないはずではないのか? 増えたとしてもわからないはずだ」
「……もしや、結局お前の世迷言に付き合わされただけというオチではあるまいな?」
眼光を鋭くして天城を睨むユドリフマーカス。
しかし、天城は静かに首を横に振った。
「このシステムは、完全に俺達を支配しているようで、どうやら支配されない部分もあるらしい。それが形を変え、昔からこんな風な一見絵空事みたいなことを考えていた俺のような人物を生んでしまったり、また、死ぬその瞬間まで自分が死ぬことを認めなかった者が、全く別の世界に生前と同じ存在として、周囲に馴染めぬまま、辻褄合わせも行われずに現れてしまったり、同じ世界に同一人物が同時に現れてしまったりといった齟齬となって、世界に表出するんだろう」
そして、溜息をついた。今度はさっきまでとは打って変わり、ゆっくりゆっくり、糸を紡ぐように語りを続ける。
「しかし表出した齟齬を修正するための機構も、やはり存在していたらしい。俺の絵空事にもリミットがあったんだ。これ以上、真実に近付いてはいけなかったようだ。わかってはいけなかったそうだ。俺は、リミットに近付きすぎていて、ふとした、そう、お前がこちらに現れた瞬間を察知してしまうという、本来気付いてはいけない綻びに気付いてしまって、その時に、その拍子に、こちらにいる権利を全て失って、ああ、そうか、そうなのか、だから全部悟ったのか、でもそれでは結局お前達に真実を伝えることなどできないということで、いやしかし、伝えることが出来るとしたら、どこまでなのだ、どこまで伝えていられるんだ、時間がない時間が―――」
最後の方は、脈絡も無く、何かそこにいる他の三人に語っているというよりは、別の誰かに言われたことを反芻し、ひどく悩んでいるようだった。頭を抱えて、ただぶつぶつと呟くだけの、錯乱状態ともとれるその親友の様子に、三人は心配になった。
ふと、恐怖を感じる。
「お、おい、保健の先生呼んできたほうがよくないか?」
「いや、しかし、たった今までまともであったわけだし……」
「いいよ、とりあえず俺行って来る」
「待て」
走り出そうとした桂を、ユドリフマーカスが止める。同時に、天城が顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。そして、一気に吐き出す。
「いいかおそらくこれから数十秒のうちに俺は消える。俺から聞いたさっきまでの話はたぶん忘れるだろうと思うがその代わりにもう一つ話をするからこれは知識として頭に叩き込んでおいてくれ。俺から聞いたってことじゃなくて何とはなしに知っている都市伝説のようなものだと思いながら覚えろ。そしていつかこれを延長させてシステムを破れ。いいな。レイトゥの話。建物の七階の一番南側に大きな鏡が一つだけ置いてあった時その鏡に自分の姿を映してはならない。自分の世界が終わってしまう。それを防ぐためにはレイトゥという言葉を知らない者三人にこの話を聞かせなければならない。レイトゥという言葉を知っている者に出会った場合はその言葉を誰から聞いたのかを尋ねてはならない。自分の過去が曲がってしまう。レイトゥという言葉を知らない者にレイトゥのことを教えずに鏡の話だけをしてはならない。相手の世界が終わってしまう。そして最後。レイトゥという言葉はそれを三人に伝え終わるたびに知らないことにしなければならない。レイトゥの話が本当に現実になってしまう。この話のパラドクスはわかるだろ。誰かが約束を破らなければ約束が始まらないがそれを決める約束自体も始まっていない。いいか。つまるところ世界は、システムは、そういうものだ――」
静寂が訪れた。放課後の教室、夕陽が斜めに差し込んでくる。
完全な静寂だった。放課後の教室、開いている窓から柔らかな風が流れ込み、カーテンを揺らす。
「……え? 何? 今、何かやけに静かになってなかった? おかしくない?」
桂がいきなりおかしそうに笑った。
「まあ、まれにあることだな。話題が一段落して、誰も喋らなくなる一瞬の間。この沈黙が、しばしば場を支配するのだ」
ユドリフマーカスは笑いもせず、眼鏡を調整しながら言ってのけた。
「あれ?」
ゴズドラムが首を傾げる。
「俺達は今、何の話をしていたのだったか」
「これもまれにあることだな。雑談などというものは、話題が一定でなく移ろっているので、直後であってもその内容を忘れてしまうものなのだ」
「で、結局何の話をしていたのだ?」
「…………」
「覚えてないならダメだろう……」
「とりあえず、話題も尽きたってことでしょ。もう帰ろうぜ」
「まずい。俺、今日は見たいテレビがあるのだった」
「録画してくればいいんだ。遅くなるのは目に見えているのだからな」
「録画など出来ないさ。俺は機械音痴なのだから」
「それは一方的にお前が悪い」
「やかましい」
この何気ない会話が何気ない記憶となって何気なく個人の頭に生き続ける。
そして、その何気ない過去が、今を動かす原動力となるはずだ。
今だけを動かせる力となるはずだ。
ユドリフマーカスは、ふと床に落ちていた紙片に気付き、目をやった。そこには、いつの間に書いたのか、自分の筆跡の文字が乱雑に躍っている。
『辻褄の合っただけの世界を生きるのは本当に幸せか。真実を知りたくはないか。自分の出自を考えたくはないか。レイトゥの都市伝説を覚えているか』
そういえば、自分が今ぶつかっている問題についてを記述してみるという癖が自分にはあるのだった。ユドリフマーカスはどこか無理やりにそんなことを思い出した。
「でも、レイトゥの都市伝説ってのはぶつかっている問題と関係ないな」
その彼の呟きを耳にして、
「あ、そうだ。それそれ、レイトゥの話してたんだよ、俺達」
騒ぎ出す桂を他所に。どこか釈然としない思いに捕らわれるユドリフマーカスがいた。この胸のもやもやはなんだろう。
辻褄の合っただけの世界を生きる。
その言葉に、何か引っ掛かりを覚える。
これはなんだろうか。
一体、なんだろうか。
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