20020211―桂の絶望―

「助けたかった、というわけか」

 桂の懺悔を聞き終えたゴズドラムは、重々しげにそう呟いた。

「いや、そうじゃない。俺はあくまで、自分であいつを殺したかった、と言っているんだ」

 すぐさま桂は否定する。その目に浮かぶ色から、それが嘘だとも思えないが、どうも彼には、自分で気付いていないところで自分を偽る癖があるようだ。

「……では、どうしてそれを俺に話したというのか」

「それは……、ただ、お前にも言っておくべきかと思って……」

「お前の恋人が実はお前の親の仇で、それを告白するや否やお前の目の前で自殺したということをか? 俺と関与する部分は皆無に見えるが」

 桂はしばらく黙り込んだ。

「お前は、言っておくべきだと思ったのではなく、誰かにこの話を聞いてもらいたかったのではないのか」

「ち、違う……。俺は、そんなことは思わない」

「目の前で恋人に死なれたショックよりも、あくまで親の仇を殺し損ねたショックの方が大きいことを誰かに言い、自身もそう思い込むことによって自分を保とうとしたのではないのか」

「……いや、違うんだ。俺は……」

「泣いたらいいのではないのか」

「!」

 桂は、驚いたように顔を上げ、ゴズドラムを凝視した。ゴズドラムは、いつものような表情を浮かべていたが、しかしこちらを見てはいなかった。壁にかかる高級絵画のレプリカに視線を注ぎ、あたかも上の空であるかのように繕っていた。

「恋人が死んだのなら、泣けばいいではないか。悲しみ尽くして、泣き疲れて、情緒の安定を失って、何をする気もなくして、呆然と座り込めばいいではないか。それの何が悪い? それだってお前だ。親の仇を討つためにずっと生きてきて、その目的を見失って少し困っているお前は、どこかで無理をしている。シャーリーを自分の手で殺したかったと言っているお前は、どこかで無理をしている。他人の前で、お前はいつもいつも、どこかで無理をしている。いかにも自分らしくあろうとして、どこかで無理をしている。お前は、それに気付いていながら、自分ではどうすることもできない。だから、俺に相談に来たんだ」

 ゴズドラムは断定した。桂は、しばらく呆然としていたが、不意に、笑い出した。

「ははっ、お前、何言ってんだ? 見当違いにも程があるだろ? 妙だよ。おかしいよ。俺は俺じゃないか。無理なんてするはずないだろ? 俺は、どこまで行こうが何時であろうが、俺自身なんだ。なあ、そうだろ?」

 一息で言い切る。ゴズドラムは、そんな桂をちらりと見やり、そして、

「そうだな」

 ただそれだけを告げて、静かに部屋から出て行ってしまった。

「そうさ……、俺は俺だ」

 後には、溢れ出る涙を止めることが出来ず、右手で顔を覆って嗚咽している桂だけが残された。悲しみが止め処なく零れ落ち、感情がうまく制御できない。

 どうして気付けなかったのだろう?

 どうして我慢していたのだろう?

 どうして抑え込もうとしていたのだろう?

 自分は今、こんなにも悲しい。こんなにも哀しい。

 大粒の涙が頬を伝って流れ落ちる。

 愛しい者を失って、自分は今、こんなにも苦しい。こんなにもつらい。

 誰かにわかって欲しかったのかもしれない。

 誰かにかわって欲しかったのかもしれない。

 自分の気持ちを自分で受け止めることが出来なかったのだ。

 今ならわかる。

 自分は、それを誤魔化そうとしていた。

 逃げようとしていた。

 強くあろうと思い、最も弱い選択に走ってしまっていた。

 悲しみに直面することをひどく恐れていた。

 そうやって、無理をしていた自分に迎合しようとしていた……。

「シャーリー……」

 いくら名を呼べど、死者は戻って来ない。

 愛する者は、もう戻って来ないのだ。

 たとえ彼女が親の仇であったとしても、胸を押しつぶされそうになるほどのこの感情の奔流は、悲哀と絶望以外の何物でもなく。

 引き攣るように、泣きながら笑い、恋人の死を悼んでいる自分は、これからその中で生きていかなければならないのだ。

 もがきながら、先に進まねばならないのだ。

 だから、そうだ、今は。

 今のうちだけは。

 泣けるだけ、泣いてみようじゃないか。

 情緒のバランスを崩すほどに悲しみに浸っていようじゃないか。

 生きる気力も無くすほどに、落ち込んでみようじゃないか。

 その後、友人に励まされながら、悲劇のヒーローでも気取って、健気に生きてやるさ。

 そうとも、それだって俺だ。

 誰が何と言おうと、俺だ。

 桂は笑いながら泣き、泣きながら笑い、痙攣するように喉を震わせた。

 世界は今日も回る。

 悲しみも喜びも葛藤も、絶望も希望も妥協も、その全てを抱えて、明日へと回る。

 回り続ける。

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