20020209―勇者の王道―
血まみれの男は、実は勇者だった。
「だから、何かこう、死ぬ直前に仲間の誰かが助けに来てくれて、間一髪救出されるような展開を考えているわけか?」
返り血にまみれたマントを翻し、足元で横たわる勇者に嘲るようなそのセリフを叩きつけたこの人物は、実は魔王だった。勇者はそれに対し、苦しげに顔を上げ、
「違う! 俺は、一パーセントでも可能性がある限りあきらめたりはしない! 助けてもらうことなど考えたりはしない! ただ、お前に勝つことだけを考えているんだ」
血と共に心の内を吐き出した。先ほど遠くへ弾かれた自慢の剣に這い寄るように手を伸ばし、しかし手首を魔王の靴で力の限り踏み砕かれる。苦痛の叫びは、もう出なかった。
「またはあれか、何かこう、仮に死んだ後も神殿の巫女の反魂の儀で生き返らせてもらえるんじゃないかって考えているわけか?」
巫女という言葉で、勇者の頭には一人の少女の顔が浮かぶ。別れ際に、絶対に魔王を倒して帰って来てね、というようなことを、こちらを励ますように何度も言ってくれた。
「……俺は、負けない。お前を倒して、帰るんだ……。故郷に……。そして……」
全身にかけて、痛みの感覚が何故かない。もはや限界を突破した体で、勇者はそれでも立ち上がろうとした。折れた右手首と左足をかばうようにし、大きくばっさりと斬られた腹部を押さえながら、よろよろと、左手と右足だけで体を持ち上げかけた。魔王は危なげなくその背中に向かって目に見えぬ波動を叩き込む。この技は魔王の特権であった。勇者は、またも苦痛の叫び無きまま、どさりと大きな音を立てて再び地面に崩れ落ちた。そして、大きく咳き込んで、血の塊を吐く。すでに完全に致命傷だ。
「そんなにがんばるなよ」
魔王はマントの内側から煙草を取り出し、一服し始めた。
「お前、たぶん死んでも伝説に残るだろうから、そんなにがんばらなくてもいいって。この四百年間、いくつもの試練を乗り越えてオレの元までたどり着いた奴なんてお前が初めてだからさあ、それだけで十分だろ? お前、よくがんばったって。何ならオレがそういう話広めてやるから、もうあきらめろ。オレさあ、抵抗してくる生き物殺すのは苦手なんだよ。だから、早々にあきらめて欲しいのね。お前、たぶんどんなに致命傷を受けても気力だけで生き続けるタイプだし、しっかりとどめを刺しときたいのよ」
勇者の頭の中に、魔王の手下によって理由も無く殺された数多くの人々の姿が蘇る。ひとたび村に襲撃が始まると、家屋は燃やし尽くされ、住民は女子供に至るまで容赦なく皆殺しにされるのだ。人々の多くは、魔王から隠れるように、山間の里などでひっそりと貧しい暮らしをせざるを得ない。安全で大きな町に住むためには、莫大な金が必要となるからだ。全ての民が安心して暮らせる世界を造る。そのために、勇者は今日まで旅をしてきた。同行していた仲間三人は、皆途中で命を落とした。それでも、たった一人になっても、彼はここまでやってきたのだ。
自分は全ての人の想いを背負っている。負けるわけにはいかない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
勇者は腹の底から絶叫した。精神障壁を完全に復活させて体の周りに展開させ、『光のオーラ』を纏う。折れている右腕も左足も気にせず、一気に立ち上がり、堂々と魔王と対峙する。剣は無くとも、自分には最大の武器がある。
それは、あきらめない心だ!
「どこにそんな力があったというんだ!」
魔王は、心底驚きながら、直前まで咥えていた煙草を右手に持ったまま、勇者に向かって大きく振り下ろした。煙草の先端から闇の炎が吹き上がり、揺らぎながら剣の形をなして、勇者のオーラをあっさりと突き破って左の肩口に叩きつけられた。勇者の左腕が、肩から切り落とされたその反動で宙を舞う。焼け焦げた切断面からは、血も出なかった。彼は苦痛の表情を浮かべながら、しかしどこか呆気にとられた様子で、バランスを崩し右側に向かって転倒した。オーラが、かき消える。
「何度も言うけど、正義が勝つとか、友情と信念で強くなるとか、そんなレベルの話はオレには通用しないから。たぶん、今この場面を見ている奴がいたとして、普通の吟遊詩人はお前を主人公として詩を読むだろうし、オレはその敵役って扱いになるんだろうけど、勝負はそんなことと関係ないと思うわけね」
魔王は、もはや意識の消えかかっている勇者に向けて、自分の、パターンFの能力を目に見える形まで現実化させてやった。
「この紋章は、たぶん見覚えないと思うけど、『王道破り』っていう能力紋なのな。これがあるから、もう、お決まりの展開っていうのはオレの前では一切行われなくて、運の作用する部分も完全に消えて、自分の力のみでしか未来を切り開けなくなるのね。だから、今も、お前が正義でオレが悪かもしれないけど、そんなことは勝敗に一切影響しないから、強い方が勝つわけ。お前、悪いけどオレの足元にも及ばないんだ。何かこう、お決まりの展開なら逆転の要素もいっぱいあるんだろうけど、オレの前ではそれも無理だし」
魔王は、武器としても使える煙草を、一度大きく吸い込んだ。白い煙を、足元の勇者に向けて吐き出す。
「だから、早く諦めてくれると、オレとしても殺しやすいのでとてもうれしい……って聞いてるか?」
聞いていなかった。魔王が足で小突くようにして勇者をひっくり返すと、見るも無残な姿の彼は既に事切れていた。腹部からの出血も止まっており、血の気の無い顔には苦痛の表情が刻み付けられていた。
「…………」
果たして、彼は最後には生きることを諦めたのであろうか? それとも、最後まで希望を捨てなかったのであろうか?
そんな疑問を抱きつつ、魔王は能力を使って勇者を灰すら残らぬまで燃やし、向こうに転がっている彼の剣を取りに行った。勇者の使う剣、というだけで興味が引かれる。
かなり良質であることは、戦っている最中から気付いていた。刀身は長さが魔王の身長の半分ほどで、表面が鏡のように磨き上げられている。柄には無駄な装飾が無いが、グリップエンドに三つ首の犬の紋章が彫られていた。
「貰っておこう」
とりあえず、魔王はその剣を武器のコレクションに加えることに決めた。そして、今後の対策を考える。何せ、勇者一人に、居城の最上階まで侵入されるほど、こちらの軍勢は壊滅的な打撃を受けているのだ。せっかく任命した四天王も、何故か逐次一対一で勇者に勝負を挑み、結果、全員が殺されてしまっている。
「もしかして、魔王もそろそろ潮時なのかなあ」
呑気に呟き、そういえば恋人である見張り役のテスラが果たして無事なのかどうか無性に気になり始めたので、階下へと向かった。マントのせいで非常に歩きづらいが、しかしこれは我慢しなければならないことなのだと思っている。マントの着用は魔王の義務であるので。
「やりたいことだけやって生きるのって、楽なんだけどなあ」
溜息を吐き、階段を下りて各フロアを律儀に見回って、生存者がいないか捜す。元より多くの者がいたわけでもないので、どうやら全滅させられたらしく、結局一人も見当たらなかった。
敷地内も全て調べ終わって、自分の仲間が本当に全て殺されているのを確認した魔王は、能力を使って全員分の遺体を土に埋め、墓を作り、弔いの言葉を一人ずつに向かって静かに語りかけた後、二時間に渡って泣き、そして、自分以外誰もいない、廃墟の様相を呈してきた城の中庭で、おそらく地獄にいるであろう仲間達に向かって、
「オレ、どうしていいかよくわからなくなった。お前達がいないんじゃ、これからも魔王を続けていってもやりがいがないような気がするし、かといって普通の人間として生きていくのも何か違ってる気がする。だから、すごい迷ってた。でも、今決めたよ。これからオレは、魔王を倒した勇者という名目で生きることにする。幸い、ここ二百年くらい一般民衆の前に姿を見せたことなんてないし、まあこの外見だから、オレが魔王だってことはばれないだろうし、退治した魔王の首として偽物も用意すればいい。お前達の命を背負って、これからは人間達の中でちやほやされながら生きていこうと思う。相変わらず、自分勝手だけど、これがオレだ」
と宣言した。
そして。
それから二週間の後には、世界全土にわたって、『たった一人で魔王を打ち破りし勇猛果敢にして眉目秀麗な女勇者キヨカ』の噂が広がることになるのだった。
世界はお祭りムードに包まれ、キヨカは、各地で熱烈な歓迎を受け、そのたびに自慢の剣や、魔王との対決の話を披露して、大いに周囲を喜ばせた。
彼女の過去を知る者はもちろんおらず、世界全体が、平和な時代の到来に酔った。
そして時は流れ、
恒久に続くような安寧の世界の中で、
勇者は伝説となった。
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