無名の街都での暮らしは十年以上に及んだ。

 鳳の復元技師としての技量はすぐに認められ、おかげで生活に困ることは無かった。破竹は家で家事をこなした。掃除や洗濯、調理に追われる日々はそれなりに楽しかった。

 ただ、死を内包しているという究極的な引け目があって、おいそれと表に出る気にはなれなかった。路地を一本違えば、怪しげな店が居並ぶ治安の悪い通りだ。ごろつき連中に角の無い姿を見せるなど、文字通り致命的だった。無軌道な彼らには、破竹を「乱暴するに値しない」と見なす最低限の善意も無い。出自を知って屈折していた水魚とはまた違う、正真正銘の悪意と相対することになるだろう。

 五年経って成長期が過ぎた頃、破竹は鳳に一つの提案をした。いつまでも子供ではいられない。鳳の帰りを待つだけの生活に終止符を打ちたかった。

 額に穴を開け、角の偽骸を埋め込んで、無価値を韜晦することを依頼した。

 鳳は無言だった。

 肉体の一部のみ偽骸化するケースはざらにある。骨格が固まれば技術的には可能だ。だが、原則的に角はありえなかった。再生力が最も強いため、必要とされないのだ。破竹のような無価値な人間は角を欲しがるだろうが、死ぬために生きている彼らを相手に手術を行う技師などいるはずもない。代価が得られない。

 鳳が迷っているのは、勿論そんなことではなかった。

 長い沈黙の後、重々しく口を開いた。

「お前は、そのままでいいのではないか」

 現状で破竹に価値を認めていた鳳にとって、角は虚飾以外の何物でもなかったのだ。

 鳳は言葉を尽くして説得したが、破竹は折れなかった。

 二人の主張には根本的なずれがあったので、妥協点は見つからない。侃侃諤諤の議論の果て、鳳が根負けした。破竹に価値を認めているという弱味につけこまれれば、折れるしかなかった。破竹は死を盾に取り、自分の命と偽骸手術を天秤にかけさせたのだ。

 死を内包する者に価値を与えた際生じる、典型的な弊害の一例だった。

 手術は夜半を過ぎてから隠密裏に行われ、無事成功した。

 破竹の額には、水魚の角が生えていた。大切に保管してあったので傷みもない。思いのほか違和感無く膚に馴染んだ。二度、距離感を誤って扉にぶつけた以外、特に問題は生じなかった。

 世界が一変した。

 破竹は食堂で給仕の職を得た。価値を認められることに飢えていた破竹はよく働いた。忽ち店で評判になった。破竹目当ての客すら現れる始末だった。昼休みに何気なく店を覗きに行った鳳は度肝を抜かれた。多くの客に持て囃され、笑顔を振り撒いている破竹に複雑な視線を向けた。それは最早、痛みを誤魔化すために覚えた曖昧な笑みでなかった。

 幸福な時間が過ぎた。

 破竹は多くの友人に恵まれ、安定した職とかなりの評判を得て、偽りに依拠した自らの価値を高めた。

 鳳は街都随一の復元技師として名を馳せ、三人の弟子を取るまでになった。破竹を除いて誰一人、鳳が無価値な妻と無価値な息子を喪失した奇特な人間であると知らない。

 二人は家族同然ではあったが、家族ではなかった。良きパートナーではあったが、伴侶ではなかった。破竹は何度か独立を示唆しようとしたが、きっかけを掴めず言い出せなかった。だから一緒に暮らしていた。不可思議だった。

 破竹が女であり、鳳が男である。出会った時から変わらないその事実が、時を経て二人の関係に不均衡をもたらした。親子ほど歳の離れた二人に、不本意な膠着が訪れていた。

 破竹も鳳も、最後の一歩を絶対に踏み出せない。二人の事情を鑑みればそれは明らかだった。

 『今』だけに価値を見出すには、代償として失うものがあまりに多過ぎた。

 破竹は運命を呪うのに飽きて、愛と献身の二つに絞り、恨み言をぶつけていた。人間の悩みはいつだって人間関係に決まっていた。

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