七
官憲が手出し出来ない場所は三つしかない。異邦か聖域か神の国だ。最後の一つは問題外として、異邦か聖域かで言えば、圧倒的に前者が安全だった。
だが、鳳も破竹も国境を越える術を持っていない。なし崩し的に逃げ込む先は聖域に決まった。
第六聖地の直轄地を離れ、南西に進路を取った。官憲の防衛線を縫って進んだ。街道から離れ、宿場町も避けた。食糧は孤立した農家や牧場から簒奪して得た。野宿が続いた。角の偽骸を抱いて寝た。
進入禁忌の境界線に到達したのは、出発から三ヵ月後だった。徒歩であることを考えれば驚異的な速さだった。
これ見よがしに赤く塗られたラインを踏み越えた。破竹は極度の緊張から一気に解放されて膝から崩れ落ちた。酷使してきた全身が急に痛みを訴えた。疲れ果て、二度と立ち上がれないかとさえ思った。
「奥に背信者のコミュニティがあるはずだ。もう少し頑張れ」
要するに聖域とは、神にとっての不穏分子を隔離するための装置なのだ。あえて不干渉の領域を設置することで背信者の自治を認め、楽園や聖地でのテロルや暴動の芽を摘む。聖域、と名付ければ信心深い者は決して足を踏み入れないため、危険思想が広まる心配も少ない。
見通しの悪い森の中を分け入って進むと、突然拓けた場所に出た。下手な宿場町より断然大きい。無骨な人工建築の群れが自然の中に不思議と調和していた。
見張りと思しき人間が、二人寄って来た。銃を向けていたが、動きは洗練されていなかった。万が一目の前でトリガーを引かれても避けられる、と破竹は思った。
「無名の街都へようこそ。この街で名乗りたい名前と職業を教えてくれ」
「そんな適当でいいのか? 不審者を警戒する必要は無いのか?」
見張りの男はげらげらと笑った。
「ここはむしろ不審者の街だ。亡命者だろうと迷子だろうと密偵だろうと、皆、無条件で受け入れる。むしろ、拘禁してでも一旦は街に馴染んでもらうことになる。ただで帰すわけにはいかないからな」
「なるほど。好都合だ」
鳳は名乗り、職業を復元技師と説明した。破竹については家族と紹介した。見張りの男は破竹の顔を一瞥したきり興味を失ったようだった。聖域ですら、破竹の価値は認められない。
難しい審査は無く、入り組んだ路地の先にある一軒の小さな家を与えられた。廃屋も同然で、家具も揃っていない。それが、何の後ろ盾も持たない鳳と破竹の価値だった。
「復元技師なら、今日からでも中央通りの診療所に行ってみるといい。万年人手不足だから、仕事には困らないはずだぜ」
見張りの男はそう告げて去って行った。鳳の能力はどこに行っても必要とされる。
「当面の食糧と家財道具が必要だろう。俺は早速働きに出る。破竹は休んでいろ」
鳳は旅の疲れを感じさせない足取りで部屋を出た。残された破竹は、見捨てられたような心地で、足の折れそうな椅子に座っていた。
無力な自分に嫌悪を覚えた。無価値な自分を憎悪さえした。
水魚の代わりに自分が死ねばよかったのではないか。益体も無い考えがぼろぼろの体を蝕んだ。暗く湿気た思いが逃げ場の無い心を苛んだ。今も昔も破竹は死に向かっている。
突然、道路に面した窓が開いた。破竹は飛び上がらんばかりに驚いた。鳳が室内を覗き込んで言った。
「かなり埃っぽいな。一休みして疲れがとれたら、掃除しておいてくれ」
鳳は返事を待たなかった。
破竹は返事をしなかった。
角の偽骸を握り締めた。汗ばんだ手が応えを返した。
破竹は破竹の中に価値を見なければならない。水魚の代わりに。あるいは水魚のために。生きている人間を貫かねばならない。
元々、出来ることなど多くない。
破竹は溜息を吐いて眠りに落ちた。
目が覚めたら箒を探そうと思った。
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