よく似た街⑫

 こみ上げる胃液を何とか押しとどめた。もう一人の私の目が、煮詰めすぎたおでんのようにとろんととろけて落ちた。もはや原型をとどめることも難しいようで、椅子を飲み込みながら、重力に身を任せている。

「見られていたのか。ぬかった。ぬかった。はてさて。どうしよう」

 よく見ると、口は動いていない。首に空いた穴から息が漏れているようだ。それが人間の声のように聞こえている。月明かりのもと見ると、どんなに人に似せていても、彼らは泥人形だった。ぼとぼとと身体を垂らしながら、私に手を伸ばした。

「待ち合わせ場所に来ないと思ったら」

 大きなシャベルを持ったSが立っている。Sはためらうことなく、泥人形の顔にシャベルをたたきつける。泥人形の顔は肉体を離れて、アスファルトに投げ出された。切り離されたはずなのに、まだうじうじと動いている。残った本体も独立して意志を持っているようで、気後れすることなく、こちらに向かってきた。

「本物。本物だ。貴重な。本物。手に入れなければ」

 Sもまた、彼らに気圧される様子はなかった。機動力を削ぐよう、的確に足を削った。泥をひっくり返すのに、シャベルはおあつらえ向きだ。駄菓子屋にまで泥がはねた。思い出まで汚されたようで悲しい。商品はまだ売り物になるだろうか。もう一人の私がこの中で溶けている以上、もう手遅れかもしれない。

「ぼうっとしてないで逃げよう」

 Sに手を引かれ、私は駄菓子屋を離れた。泥人形たちは一瞬追うようなそぶりを見せたが、追いつけないと悟ったのか、すぐに動きを止めた。電灯の光に誘われる羽虫のように、駄菓子屋の中に戻っていく。私はSの手を振りほどく。この手もまた、泥でできているかもしれないのだ。また同じように、崩れてしまうかもしれない。思い出が壊れていくことが、何より恐ろしい。

 Sは目を丸くする。振りほどかれた手が、やけに物寂しげだった。私は後悔に苛まれた。友人の手を振りほどいてしまったことが、いつかの縁を切るようで、悲しかった。私はこうやって、この街を離れた。それなのに、何事もなかったようにまた街を訪れ、手をつなごうとする。どれだけ虫のいい話だろうか。

 通学路だった。幼少時代、何度も駆けた道だ。転んだこともある。大概かすり傷で済んだ。大人に近くの公園に連れていかれ、水道で洗わされた。戦隊もののばんそうこうをもらった。覚えている。身体に染みついている。それなのに、どうにもこの街と合わない。私がこの思い出を持つにふさわしくないとでもいうように、街は懐古することを拒絶する。

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