よく似た街⑧

「なんだよそれ、そんなことあるわけないじゃん」

 Sは取り繕うように笑った。事の異常さは私にも理解できた。彼がそれをごまかすために笑顔を作っていることも。周りの人間がこちらに目を向けているのが、見なくてもわかる。それほどまでに鋭い視線が刺さる。私は狼狽するばかりだったが、冷静にふるまおうとするSの様子に圧され、同調する。男二人のたわいない日常の一コマに映るように、ココアを一口すすった。

「だよな。八年ぶりに帰ってきたから、そう感じるだけかもしれない」

 Sはうんうんとうなづきながら、紙ナプキンを一枚とった。ボールペンでさらさらと文字をかく。私はそれを気取られぬよう、今までと同じような会話を装う。ただ意識は、彼の書く文字に集中している。

 まわりの人たちの視線は、まだこちらを向いている。何をしたというのだろう。私の発言に、何か誤りがあっただろうか。彼らの関心を引くような言葉があっただろうか。心当たりは何もない。私が感じた違和感に触れるのが、この街ではよほどの禁忌なのだろうか。ともすれば、私が持っているこの違和感は、決して気のせいではなく、核心に迫るものなのかもしれない。

『それ以上はここでは口にするな』

 口元が引きつる。思いのほか強い口調に、発話することもためらわれた。察したかのようにSが会話をつなげる。私の心の内さえも、もはや手玉に取られたようだ。彼の立場が読めなかった。彼もこの街の一員で、私が違和感を覚えた人間の内の一人だ。彼はなぜ、私の「暴走」を止めようとするのだろう。疑念と信頼が交互に降って私を惑わせる。私はどちらのスタンスと取るべきか、決めあぐねていた。同時に、彼の正体もまた不明瞭になった。私の知らないS──そう片付けてしまうには惜しいほどの影が、時折彼の背後にちらつく。

『午前一時、中学裏の雑木林の中に、誰にも見つからないように』

 私が読んだのを確認した後、彼は紙ナプキンで鼻を噛んで、くしゃくしゃに丸めてしまった。気づけば、周りの人々の視線は元に戻っていた。ココアは味がしなくなっていた。また元通り、思い出話に花を咲かせる。何事もなかったかのように、過去はよみがえっていく。

 私の脇腹にはくさびが打ちこまれた。店内で向けられた視線が、脳裏にこびりついて離れない。Sの表情は、依然と変わらないように思えた。彼の腹の内は測りかねる。ただそれも、彼の誘いにのってしまえばわかるのだろう。午前一時。心臓がはねる音が、喉奥でうずいている。

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