回転猿⑩

 右手で頬に触れると、鏡の中の猿も、頬を触った。手を離すと、鏡の中の猿も手を離した。

 鏡でなく、映像を映し出す機械だと疑いもしたが、どれだけほかの事柄を疑おうとも、自分が猿の姿をしていることは、疑いようのない事実だった。

 自分の手を見下ろす。妙にごつごつして、指の先まで毛が生えている。手の甲を伝って、腕の、さらにその先まで。身体を見ても、自分の古い記憶に残る自分の姿とは似ても似つかない。なぜ今まで気づかなかったのだろう。そんな疑問も消し飛ぶほどに、現実は重く苦しい。

「あなたが自分を人間だと言った時、我々は、「そう思い込んでいる猿だ」と思いました。ただ、我々が行っている犯罪者の更生の副作用として起きた現象という可能性もありました。それがあなたをここにお連れした理由です」

 ジャガイモが鏡を事務机に戻した。また定位置に戻り、元通り動かなくなった。

「我々は、更生を促すべき犯罪者と猿の精神を入れ替え、猿山に送り込んでいます。猿山のシステムを通じて、送り込まれた受刑者の価値観は是正されます。そして、自己犠牲を払ってでも公共の利益のために尽くせる者だけが、刑期を終え、この猿山を出ることができます。これが、ボス猿のみが消える理由です」

「つまりは、「私」も受刑者ということか」

 ゴボウは神妙な面持ちで頷いた。肩の奥から、温い風が逃げていく。毛むくじゃらの身体が、途端に気になるようになった。擦れる手の感触。地面と接する足。まばたきの合間に視界にうつる薄茶色の毛。何もかもが、不自然に感じる。

 居心地の悪さは元からだ。いつだってここが、自分の居場所でないように感じる。行いのすべてが恥ずかしくなる。幕の裏側で、何者かに採点されているような感覚に陥る。それが自分の人生なのだと、あきらめるほかない。ごまかしの薬で見ないふりをするしかないのだ。

「あなたは刑期を終えました。無事に猿山の頂点に立ち、ここを出る資格を得た。一つイレギュラーであったのは、あなたの人間としての意識が強く残りすぎたこと。ただそれも、もはや過ぎた話でしょう。あなたを元の人間の体に戻します。なに、一晩もあれば済む話です」

 有無を言わさぬように、自動ドアが開いて警官服の男が数名、立ち入ってきた。抵抗する間もなく、身体が拘束される。現実的な服装に、「私」はリアルを思いだした。

 人間の匂いが鼻先に香った。気持ち悪い。

 別の部屋に運ばれ、台に身体を固定された。警官服の男たちが部屋から立ち去ったのもつかの間、白い煙が立ち込める。その匂いをかぐと、どこか遠くから誘われているような感覚になる。視界がぼやけて、何も考えられなくなる。夢と現実の境目は、きっとこんな匂いなのだろう。

「キーキーキー」

 猿の鳴く声が聞こえた。果たして、それが自分の声でないと言えようか。胸の奥底から響くような鳴き声は、瞬く間にかき消された。

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