回転猿⑨

 水族館のバックヤードは、小学生の時の遠足で一度、見学したことがあった。エサをやろうとした際、クラスのやんちゃな子に鯖で殴られたのを覚えている。お世辞にも綺麗とは言えない空間。生き物を世話する大変さが、よくにじみ出ていた。

 対照的に、檻の外、この猿山のバックヤードは妙にきれいだった。卸立てのA4用紙をそこかしこに張り付けたような白さ。猿山の土で靴底は汚れているはず。それなのに、土ぼこりの一つもたたない。猿の毛の一つも落ちていない。飼育員たちにあふれる生き物の生活感はどこに消えたのだろうか。彼らがこの道を通っている姿が全く想像つかない。

 自動ドアを三つくぐって、六畳半ほどの小部屋に通された。促されるままに椅子に座る。理科室でよく見る実験器具が棚に仕舞われている。事務机の上のパソコンは不明な羅列を吐いていて、OSが何か気になった。

 気を抜くと前傾姿勢になってしまう。癖づいたものはそう容易くは治らない。しばらくは、この姿勢に悩まされることだろう。ゴボウとジャガイモの二人も離れた位置に座った。

「我々はこの猿山を、犯罪者の更生のために活用しています」

 一息つく間もなく、ゴボウが切り出す。マニュアルを読み上げるような話口調だった。椅子に座ることも小綺麗な空間に身を置くことも刺激的だ。ジャガイモは一仕事終えたとでもいうように目をつぶっている。むしろ、彼の仕事はこの後だろうか、来たるべきタイミングを見計らっているようにも見える。

「犯罪者の更生とは?」

「猿山の秩序を利用した、価値観へのアプローチです。あなたもすでにご存じだとは思いますが、この猿山にはヒエラルキーが厳しく存在します。しかしそのヒエラルキーを支えるのは、権威や恐怖ではありません。自己犠牲を払うボス猿への敬意です。共同体のために我が身を顧みない姿勢こそ、彼らは重視します。あなたがボス猿の地位まで上り詰めたのも、「ボス猿が消える」現象を知ってなお、危険に身をさらす筆頭に名乗り出たからではないでしょうか。猿山はそのようにして秩序を保っているのです」

「あの猿山の中に犯罪者がいたと? それとも、猿山の様子を犯罪者たちにモニタリングさせていたのだろうか。あるいは、飼育員こそがその犯罪者か?」

「正解は一つ目です」

 ゴボウはジャガイモに目配せした。ジャガイモは立ち上がり、事務机から何かを取り出した。

 猿山の記憶を思い返してみても、自分以外に人間の姿はなかった。「犯罪者」とやらが、あの中にいた様子はない。みな一様に「キーキーキー」と鳴くばかりだ。

 沈黙から何かを察したように、またゴボウはジャガイモに目配せする。

「その点ですが、まずあなたの誤解を一つ、解いておかねばなりません」

 ジャガイモがのっそりとこちらに近づいて、何かを差し出す。人の顔ほどの大きさの鏡。のぞき込むと、一匹の、毛むくじゃらの猿が写っている。

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