回転猿⑧

「まず、最初に伝えておきたい。自分はもともと人間だ。気づけば、この猿山に迷い込んでしまっていた。外に出るための手段を模索したが、何一つ見つからない。ここの飼育員や、猿山を見に来る家族連れに呼びかけもしたが、皆「猿」であるかのように扱う。ただ一匹の猿が、じゃれて鳴いているかのように扱う。おかしな話だ。あなた方には、何者に見える?」

 身体を、懐中電灯の光の下にさらした。ゴボウの体格と比較して、自分がいかに矮小であるかを知る。

 問いに対して、二人の訪問者は黙りこくってしまった。時折目配せして、意思疎通を図っている。彼らにとっても思わぬ事態だったのだろう。つかんでいたペースが彼らの手を離れて宙を浮き始める。滑稽な姿だ。懐中電灯の光にノイズが走った。月明かりが、負けじと顔をのぞかせた。二人の表情は、いまだなお、よく見えない。冷や汗の一つでも垂れていれば、精神的な優位性を獲得できたのに。

「ならば、この交渉はあなたにとっても有益なものになるでしょう」

 ゴボウが懐中電灯の光を消した。照らすのは月明かりのみになった。懐中電灯の嘘っぱちの光は、彼らにとって都合の良い現実しか映し出さない。だからこそ、この行動が、彼らにとっての誠意なのだと感じる。

 二人の表情はますます見えなくなった。ただ月明かりに照らされる今の方が、よほど人間と相対してる気持ちになれた。

「つまりは?」

「我々の目的は、あなた方……失礼。この猿山の猿の協力にあるのです。歴代のボス猿たちには、そうやって「協力」してもらってきました。それが彼らの失踪の理由です。一度こちらへ、ついてきていただけますでしょうか。ここから先の話は、実際に見てもらった方がわかりやすい」

 ゴボウとジャガイモの二人は、踵を返してまた猿山の出口に向かった。怪しむ気持ちはもちろんある。彼らの言いなりになることは、自分の人としての意志、責任を放棄することに他ならない。

 ただ意志に反して、身体はすでに動いている。月明かりの下を器用に、猿山を下って、彼らの後を追う。慣れたものだ。ここでの生活がいくらになるか、もはや数えることもやめた。けれど年月にふさわしく、「猿」の習性が沁みついている。引き返すならば、今が限度なのかもしれない。人間と猿の境目がここだ。猿山を難なく降れることが、今は恐ろしくもある。

 ジャガイモが急かすようにこちらを振り返った。自分は前傾姿勢を崩して、人であることを誇示した。ジャガイモはまた前を向き直った。ゴボウは、初めからついてくるのが分かっていたかのように、振り返ることもなく、檻の向こう側に消えていった。

 久方ぶりの「外」だ。むずがゆさを感じながら、前に倣って檻の入り口をくぐった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る