回転猿⑦

 ある夜、檻の扉が開く音を聞いた。ここに来てから、初めてのことだった。猿山の頂上付近でうずくまっていた身体を起こし、目を凝らした。耳を澄ませた。人影が二つほど。懐中電灯を手に持って、何かを探している。気取られぬように意識を集中した。呼吸のリズムが乱れる。自然と、不自然な呼吸になる。心臓の鼓動まで聞こえているように思ってしまうのは、自分の杞憂だと信じたい。

 目を覚ましているのは自分だけ。静かな寝息が、猿山のあちこちから聞こえてくる。ちょうど、月は雲に隠れている。他の猿たちは、いつも通りの朝がくることを疑わない。

 見たことのない飼育員だった。ゴボウのように背の高いやつと、ジャガイモのように丸っこいやつ。飼育員かどうかも怪しい。いでたちは見慣れた制服だったが、表情はやけにぶっきらぼう。彼らは猿たちが寝ているのをいいことに、ずかずかと猿山の中に立ち入ってくる。

 縄張りを守るもののサガとして、体中の毛が逆立つのを感じる。近くを通れば、きっととびかかってやろうと思った。そんなことをしてしまえば、より猿山の猿たちの身を危険にさらすだろうと思いなおした。二人の訪問者が猿たちに実害を加えぬ限りは、様子を見守るべきだろうか。こんなときこそ、コバヤシに意見を聞きたい。彼ならば、妙案をひねり出してくれたに違いない。落ち着いて、さも当たり前であるように、最適解を呟いただろう。

 懐中電灯がこちらを向いた。目を凝らしていたところに不意を突かれ、眉間にしわを寄せてしまった。「寝ている」テイを装うには不自然過ぎた。二人の訪問者はこちらへ狙いを定め、歩みを進める。

「この猿山の今のボスは君か」

 ゴボウがそう口にした。人の言葉を意識して聞くのは久しぶりだったので、意味を理解するのに手間取った。口ぶりは攻撃的ではなかった。猿と相対するのに慣れているようで、こちらの警戒を解こうとする。あいにく自分は人間。媚びるような目つきほど、気持ち悪さを感じてしまう。それでもなお、人との会話に飢えていたため、唇の端がピクリと動いてしまった。

 応じずにいると、ジャガイモの方が首を傾げた。

「誰か、ほかの猿に気づかれまいと、心配しているのだろうか。それなら、安心してほしい。君以外の猿が、今晩目を覚ますことはない。餌に薬が含んであったのだ。ボス猿が食べるような餌以外には、すべて薬を混ぜてあった。だから安心して、発話してくれ」

 ゴボウが続ける。

「我々は、君と交渉しに来たのだ。君も、この猿山の「行方不明者」の法則には勘づいているのだろう。時折ボス猿が消息をたつ現象についてだ。君は利口な猿だ。我々は、その件について、君と話がしたいのだ」

 薄暗がりの中、彼らにこちらの様子はよく見えないはず。それでも、目が合うように感じるのは気のせいだろうか。ついに順番が来たのだと思った。ここから先は、ボスとしての責務だ。

 寝起きで、さらには緊張してこわばった体をのっそりと起こした。

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