美を知るカミ 4

 今、私の腹の中は幸福に満ちている。目の前に並んでいた色とりどりの食事を腹に納めきった、という達成感からだろうか。生物としての性かは知らないが、腹が満たされるとそう思ってしまう。そうして恍惚に浸っていると視線を感じた。アクジキがこちらをジッと見つめていた。そもそも目があるのか分からんが・・・まぁ、言いたいことはわかってるさ。私は空になった食器を前に両手を合わせた。

「ごちそうさまでした」

 それを聞いたアクジキはニカっと笑うと、私の目の前の食器を片付けて台所へ戻った。さて・・・小娘の見ているテレビの方に目をやると、画面の左上に表示されているデジタル表記の時計は、約束の時間の十分前を示していた。ふむ、歯を磨く時間は無さそうだな。

「ところでセンセイ、今日来るお客さんってどんな人なんですかー?」手に握ったスマホとテレビの画面に、忙しなく視線を往復させながら小娘が聞いてきた。どちらか一つに集中できないのは、今時の若者によくあることだ。この間テレビで見ていた番組でそんなことを言ってたなぁ。

「客の容姿を気にするのはよくないことだぞ。だが、しいて言うなら今日の客は人間ではない」そうだ、人間ではないのだ。私の経営している探偵事務所は、表向きこそありきたりな仕事をするそれそのものなのだが、本業はもっとこう・・・神秘オカルトなものだ。私の返答に対して興味があるのかないのか小娘は、「ふーん」と判定しづらい反応をした。

 そんなやり取りをしていた時だった、唐突に玄関の『お客様用のドアチャイム』が鳴った。ごく普通な「ピンポーン」というあの音だ。部屋に備え付けられた所々に霜の降りたドアモニターには『対応待機中』のデジタル文字が表示されている。小娘が私をジッと見つめて右手をグーの形に握っている、そうだ、『じゃんけん』だ。他愛もないじゃんけんだと思うかもしれないが、私たちの場合は違う。別に私は寒くないからどうでもいいが、小娘の場合は。私の場合は・・・そうだな、『椅子から立ちたくない』かな?私も同じように右手をグーの形に握り、小娘の仕掛けてきた『つまらない意地の張り合いじゃんけん勝負』に乗ってやった。最初はグーなんてない、一発勝負だ。「じゃん、けん、ぽん!」元気な小娘の掛け声が響く。私の手はパーの形に開き、小娘の手は握ったままだった。

「さぁ、行ってこい。お客様に失礼のないように応対するんだぞ」勝者の特権だ、なるべく嫌味ったらしく言ってやると、ぐぎぎと悔しそうな顔でモニターの方へと向かって行った。あぁ、朝からいい気分だ。顔をグリグリと揉んで表情を緩め、モニターのマイクのマークのスイッチを押した小娘は、「お待ちしておりましたー、どうぞお入りくださーい」と今度はドアのマークを押してお客様を事務所へと招き入れた。事務所の鉄製の階段から、カチカチとまるで爪でもあたっているかのような音が聞こえてくる。そして、事務所の扉から同じように爪でひっかくような音が聞こえると、ゆっくりと開いた。

 扉の向こうから現れたのは、頭の先から足の先まで全身をすっぽりとネズミ色の汚らしい布切れで覆った、ずんぐりむっくりの小柄な者だった。フードのように覆った部分からは、数本の長い髭の生えた鼻先が覗いている。すんすんと、匂いでも嗅ぐかのようにピクピクしている。

「あのぉ・・・えっとぉ・・・」しどろもどろな口調では声を出した。まぁ、彼に取ってこの室内はあまりにも酷な環境だろうからな。

「センセイ、センセイ」いつの間にか私の隣にやってきていた小娘が、私の肩を突いて小声で聞いてきた。さしずめ、聞きたいことと言えばこの客の『正体』だろう。はぁ・・・仕方ない、教えてやるか。

「弥子、君は妖怪とかの出てくるアニメとか漫画とか、そういった類の書物とかを見たり読んだりしたことはあるか?」

「もちろんです!むしろ見ないで育った人いますかね?」

「よろしい、ならば『ねずみ男』は知っているね?」

「めっちゃ有名じゃないですか!あの全体的にクサい妖怪でしょ!」全体的にクサいか・・・なかなか的を射ているな。

「なら、『化けネズミ』は知っているかね?」そう言うと小娘は首を傾げた。

「えっと・・・化け猫とかじゃなくて、です?」

「そうだ。言っとくが、ねずみ男は『化けネズミ』に区分される妖怪だ。例えば、哺乳類とか、爬虫類とか。で、その中のイヌ科とかネコ科とか」

「へー、妖怪にもそういうのあるんだー。ってことはじゃあ、このお客様は・・・」

「あぁ、君の察している通り、彼は『化けネズミ』でその中の一種、『大ネズミ』と呼ばれる妖怪だよ」

 そう紹介された大ネズミは被っていたフード状の部分を捲り、見た目はそのままのネズミの顔をあらわにした。まだ扉の前でオドオドしている、無理も無いのだ、彼らにとってはこの室内はあまりにも寒すぎるからな。ふと足元に目をやると、爪が剥き出しの素足だった。私は小娘に「スリッパをお渡ししなさい」と指示をし、小娘はセーフティエリアからファーの付いたスリッパを持ち出し、大ネズミのもとへと持って行った。爪のせいで半分くらいスリッパから足がはみ出ている、ヨタヨタとした足取りで大ネズミは冷凍庫事務所に入ってきた。

「失礼しま・・・さっっっぶ!!」

 うん、まぁ・・・だろうな。私は手元にあったクーラーのリモコンを手に取り、少しでも温度を上げようと操作した。といっても、マイナス領域を脱することは無いのだが・・・おや?いくらボタンを押しても反応しない・・・まぁ、私は困らないし、いっか。依頼の内容の確認を取りたいところだが・・・肝心の大ネズミが寒さに震えている。アクジキが温かいお茶を淹れているし、一息つかせてからだな。「はぁ・・・」私は思わずため息をついてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る