美を知るカミ 3

 私は毎日決まって湯舟につかって目を覚ます。湯舟という名のベッドだ。上半身を備え付けた固定具で支え、寝ているうちに湯舟に沈んで溺れないようにして眠っている。湯舟と言っているが寝る前までは氷水が張ってある。寝ているうちにそれはお湯に変わってしまうのだ。それもこれも、すべては私の体質に原因があるのだがな。

 私は一度死んでいる。

 炎の海に溺れ、この身を焼かれた。焼けて、焼けて、焼けて――――全身を高熱が蟲や蛇が這いずり回るかのように、卑しく焦がして私を殺したのだ。

 そうして沈んだ私にが手を差し伸べたのだ。

「すべてを失ったあなたに私が与えましょう。—―――を越え。失った時を、愛を、名を。回答は求めません。ただ私の使命を果たすだけでよいのです」

 なんともまあ、問答無用だったと言わざるを得ない。悪徳高利貸に気付けば契約書を書かされていたようなものだ。次に目を覚ました時には既にこの体質だった。この体質について説明はされたが、その際にそのヒトはこう言った、「その熱はいずれ制御できることでしょう。えぇ、確証は出来ませんが」思い返すとやはりあのヒトは間違いなく悪党だ。契約書なんて提示された時には隅々まで穴が開くほど見ることをおススメするね。

 パシャパシャとお湯を手でかき両手ですくい上げて顔を洗う。顔に触れたお湯は蒸気となってその半分ほどがハジケ飛んだ。これもいつものことだ。上半身の固定具を外し湯舟から立ち上がる、近くに掛けてあるバスタオルを手に取り全身を拭く。本当は必要ない動作だ、あがった時点で体の表面のお湯は蒸気となって乾いてゆくからだ。だからバスタオルで拭くのは気分的に、だ。だってほら、『普通』はそうだろう?それに全身がアイロンみたいなモノだし、体を撫でたバスタオルが瞬時に乾いてゆくから衛生的に見てもちょうどいい。それでも汚さを覚えたらその時は・・・

 体が乾いたら今度は室内に置いてある耐火性のロッカーに入っている私『専用』の服を着る。超高温にも耐えられる特注品、超耐火性のライダースーツのような黒い革製のアンダーウェア上下セット、同じ素材で出来た同じ色のジャケットとパンツ、そしてグローブ。素肌が見える部分なんて精々顔くらいだ、他国の文化を彷彿とさせるよ。この服が無かったら今頃私は未だに素っ裸で町をうろついていたことだろう。なにせあのヒトは服のことまで考えてなかったんだからな。生き返った後、古風な農民のような服を着せられて町に送り出された私は、運よくひと気の少ないところで燃えた。あぁ、燃えたのは服だけだ。あわてて路地裏に逃げ込んで事なきを得たが全裸で町を歩くわけにはいかない。そんな時だった、様子を見に来てくれたあのヒトの使いである妖『大天狗』が手助けしてくれたのだ。大急ぎで素材を集め、それを加工できる特別な職人に渡し、十数分もかからないうちに用意してくれたのがこの服だ。しかし、今着ているこの服はだ。最初に貰った服は私が熱の制御に失敗したせいで燃えてしまった、大天狗に言うと間違いなくブチ切れると思うので内緒にしている。

 グローブを手にはめ、ギュッギュッと握りしめて音を鳴らす。この音が私は好きだ。

 部屋の引き戸に手を掛ける。食品工場とかにあるようなデカい業務用の冷凍庫についているようなドアだ。隙間から冷気が漏れないようにゴムでカバーがされている。

 扉を引いて開けると室内同士での温度差が目に見える、空気は白くなって足元に流れ込んでくる。私が今いる部屋の室温はおよそ四十度ほどだが、扉の向こうの部屋の温度はマイナス二十度に設定されている。そのくらいでないと私のせいで室温がいつでも真夏日になってしまうから仕方ないのだ。

 そんな冷凍庫のような部屋には最低限の家具しか置いていない、置いたところで温度が低すぎてすぐにダメになってしまう、まさしく殺風景だ。それでも食事などをするスペースだけは冷気の影響を受けないようにはしてある、さすがに冷えた食事は嫌だし、なにより私の助手が「テレビは絶対欲しい!」と言ってきかないからだ。

 そんな部屋には台所もある、こちらも同じく『セーフティエリア』だ。そんな台所からは刻みよい包丁の音といい香りが漂ってくる。私の仕事の都合上のパートナーで、元『神様』だ。全身が真っ黒でスライムを彷彿させるボディからは二本の腕が伸びている、そんなボディの正面中央らへんには体色とは真逆の真っ白で大きな歯が並んで見えている。姿だけ見ればまさしく『異形』そのもの。ドカッと私がテレビの前のソファに座ると、私に気付いてそれは声を掛けてきた。

「ア、カイドウ起キタ!オハヨウ!」

「はいはい、おはようさん」

「朝飯モウチョットデ出来ルド~、ネギイッパイノ味噌汁ダロ、炙ッタ目刺シ、甘~イ卵焼キ、アトハ・・・豚カツ!」

「最後のやついらねえだろ、朝っぱらから重いわ!」

「ソッカァ・・・」とそれはシュンとしていた。

 こいつの名前は『アクジキ』。今は悪神と呼ばれる存在になってしまった元神様だ。食に関する権能を持っているがなにかの拍子に。どこの地方の神様かも分からない、ただ、妙に口調が田舎クサいところがある。『アクジキ』という名前は私が付けた、名前すらもなかったのだからな、本当に神様なのかと疑いもした。

 アクジキが朝食の準備をしていると、室内に大きなブザー音が短く鳴り響いた。まぁ、うちの玄関チャイムなんだがな。特に応答する必要もない、このチャイムの意味は「今から入ります」とかそういう合図的なものだ。玄関の方から空気が抜けるようなバシュッという音が鳴り、ギギギと重苦しい音が地鳴りのように響いてくる。そしたら今度は鉄製の階段をカンカンと音を立てて誰かが駆けあがってきて、部屋の扉を開けて入ってきた。

「おはよーございまー・・・さぶっ!?」

「いい加減慣れろ、ここはそういうとこだ」

「ア、弥子チャンオハヨウ~」

「アクジキさん、おはよー!あと、センセイもおはようございます!」

「あとってか・・・」

 肌寒くなってきたこの時期、秋用ならまだしも冬用の分厚いコートを着て朝っぱらからやかましいこの小娘、不本意ながらも私の助手(仮)の『つなし 弥子みこ』、今年に高校を卒業したばかりの小娘だ。訳あって縁がある。

「ところでセンセイ、今日はお仕事あったりしますか?」

「なんだよ『今日は』って。毎日無いわけじゃないだろ」

「でもここ最近はないじゃないですかー?」

「迷い猫探しも、浮気調査も、ストーカー野郎の横っ面をビール瓶でフルスイングするのも立派な仕事だ」

「あたしが言ってるのはそういうことじゃないんだけどなー」

 はぁ・・・この小娘はホントに・・・

 私はしがない探偵業を営んでいる。こういった陰気クサい感じの仕事は身を隠すのに丁度いいからだ。そして、この小娘の言う『それっぽい仕事』とは、つまるところそういうことなのだ。

「安心しろ、今日はお前の望むようなの依頼人が来るぞ」

「え?本当ですか!」

「あぁ、だが、それが君は見ているだけだからな」

「もちろんでっす!そういうですからね!」

 あぁ、よかった。そのくらいは覚えてくれていたようだ。

「ソノオ客サン、イツ来ルンダ~?」

「ん?あー・・・あと三十分くらいか」

「ナラチャッチャト朝飯食ッチマウド~」

 そう言うとアクジキはお盆の上に先ほどの朝食を私の前に運んできた。炊き立ての飯、だしの香り漂う味噌汁、見た目から香ばしそうな目刺し、暖かな印象の卵焼き。質素だからこその食事の"美"、さすがに食を司るだけはある。箸を持って早速食べようとしたところ、「ゴホンッ」とアクジキが咳払いをした。食を司る神だけに、そう言った礼儀や作法にも厳しいのだ。私は一度箸を置き、両手を合わせる。

「いただきます」

 するとアクジキはうんうんと、どこからかは知らない首を縦に振って台所の片づけを始めた。

 小娘は私の前のソファに座りテレビを見ていた。朝のニュースが流れている。平和そうに流行りもののスイーツやら家電製品なんかを紹介している。穏やかな時間だ。

 まぁ・・・このあとやってくる客からの依頼で、穏やかタイムは終了するのだが、それはこのあとの話である。

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