美を知るカミ 2

 ―――――夢を見た。

 炎が海のように広がった先に、見覚えのある人影が二つ。

 一つは私の愛した妻だ。気が強くて少々ケンカっ早いが芯のある美しい人。料理の腕だけは最期まで磨かれることは無かった。

 そしてもう一つ・・・私と彼女の間にやってきてくれた愛した息子。私に似て臆病なくせに、幼いながらも勇気のあるいい子だった。勇敢さが災いして一度学校に呼ばれたこともあった。学校で目撃した"いじめ"の現場に居てもたってもいられず、いじめをしていた生徒に殴りかかったんだとか。「どんなことであっても手を出してはいけない」そうありきたりな説教をしたが本人は最期まで納得してはくれなかった。その辺は彼女に似たのだろう。

 そんな私の愛した人たちが炎の海の向こうにいる。

 私は気付けば彼女たちのもとへと走り出していた。すると炎の海は一層激しく燃え上がり、まるで行く手を遮るかのように壁となりせり立ち私を阻んだ。

 熱せられた空気が私に襲い掛かる。はじけ飛ぶ火の粉は私の呼吸に合わせ肺に忍び込み、身体の内から私を焼き殺しにくる。

 堪らず私はその場で膝をついてしまった。

 まともに呼吸が出来ない・・・むせるとか酸素が足りないとかそういうことではない、今の私の身体は火災現場そのモノのようになっているのだ。誰かがこの身の内から焼きにくる炎を消してくれないと動かせないのだ。

 しかし、この炎を消してくれる者などいないのだ。燃え盛る腹の内の痛みに耐え、文字通り『必死』に前へと進もうと這いつくばる。

 生まれたての赤ん坊のように、ベチベチとみすぼらしく手をついて。

 愛した人たちのもとへ、少しづつ・・・気が遠くなるくらい少しづつ・・・

 次第に私の手は、炎の海に幾度となく叩きつけられる私のみすぼらしく弱い手は、炎の海から火が燃え移り包み込む。

 メラメラと私の手を焼き、黒く焦げてゆく。すると炭のようになった私の手のひび割れた所から炎が零れだし、今度はボロボロと崩れ出した。

 徐々に私の視界が狭まってゆく・・・どうやら身体の方も焼き尽くされつつあるのだろうか。

 せり立つ炎の壁の向こう、彼女たちが少しづつ遠ざかってゆくのが見えた。

 私の愛した人たちが・・・私が守らなくてはいけなかった人たちが行ってしまう・・・

 手放したくない大切な人たちが・・・手放すことの許されない人たちが・・・

 鼓動の早なりが全身に伝わってくる。炎に焼ける音はもはや聞こえず、切れかかって明滅を繰り返す街灯のように脈打つ心臓の音のみが耳やかましい。

 ボロボロの崩れかけの腕を遠ざかる彼女たちに伸ばす。

 待っ・・・て・・・待って・・・くれ・・・

 薄れつつある意識のなかの懇願、そんなことしかできない己の無力さ。私が弱いから彼女たちを失うことになってしまった。

 狭まる視界の中に彼女たちをしっかりと捉え続ける。朧げな視野で、彼女たちに合わせたピントだけは絶対にずらすことの無いように。焦げた瞳に焼き付けるように。

 でも・・・そんな瞳からでも涙は零れだすのだ。焼石から水が出るなど誰が思うものか。

 涙のせいで彼女たちの姿がぼやけだす。

 イヤだ・・・見えなくなってしまうなんてイヤだ・・・いなくなってしまうなんてイヤだ・・・

 伸ばした炭の腕で目元を拭う。顔中が炭だらけになって、拭った腕は鱗が剝がれるように崩れてゆく。

 炎の海の向こうの彼女たちが、気づけば遠くにいた。

 少しづつ・・・彼女たちが視界から消えてゆく。私の大切な人たちが・・・愛した人たちが・・・

 あぁ・・・だめだ・・・連れて行かないで・・・

 神様・・・どうか、どうか彼女たちを・・・

 もう一度、残った力で重くなった腕を彼女たちのいる方へ伸ばすと、指先からボロボロと崩れ落ちた。

 なんてザマだ・・・自分に嫌気どころか殺意すら覚える・・・

 焼け焦げた首をなんとか持ち上げて、頭を地べたに打ちつけた。何度も、何度も――――

 いっそ・・・いっそ私も死ねば、死んでしまえば・・・

 いや、違う・・・死ぬんだ。死ぬべきなんだ。

 死ね・・・死ね・・・死ね・・・!!

 ゴツゴツと鈍い音を誰もいない暗闇に響かせる。無駄なことは分かってる、人が自死する場合にはもっと人工的で非生命的な手段でなくてはならないことぐらい分かっている。

 でも・・・今の自分にはこうすることくらいしか出来ないのだ・・・

 狂気・・・私は喪失によって一度死んだ・・・

 そして・・・が私を蘇らせた・・・

 そんな過去に味わった地獄を回想させるかのような夢は、あの時と同じような光が差し込み、終わりを告げる。

 まぁ、起きたところで『生き地獄』であることに変わりはないのだが―――――

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