第10話 知らない限界

 急いで坂を下り、集落の入り口を目指す。

 迂闊だった。この数日エイズルの追手がなかったから撒けていると思い込んでしまった。

 足を踏み外さない様に走っていると、後ろからフォルスに襟首を捕まれて首が締まる。

「落ち着け馬鹿者。この状況では今から祭壇に向かったところで、わしらもエイズル兵に囲まれるだけだ」

 経験の差から来る冷静さで頭を冷やされる。

「じゃあどうすんだよ。このままじゃ二人が」

「何度も同じことを言わすな。ちょっと黙っていろ」

 真剣な面持ちで川を指差す。

「ここから川を下ってやつらの背をとる。もし嬢ちゃん達を攫うとしても、帰り道は一つだから迎え撃てる」

 集団と戦う時は一対一になるような状況を作れと聞いたことがある。狭い道を遮るような位置取りができれば、あれだけ数がいてもフォルスの力で一人ずつ倒せるだろう。

 人質にされては厄介だからな、さっさと行くぞ、と先導される。

 見つからないように川に降り、そのまま流れに乗ってゆっくりと下っていく。

 川から三メートルほど上の道を行進するエイズル兵の足音が聞こえた。

 ざっと三十名ほどだろうか。集落に入っていく者と祭壇への脇道に入っていく者と二手に分かれている。

 エイズル兵の後ろに回り込むべく、斜面を登り、即座に左手に広がる森に潜み様子を伺う。

 人一人が通れるほどの道幅は渋滞しており、最後尾の兵は油断しているのが背中越しに伝わってくる。

 本当であれば背後から全員川に落としていきたいのだが、せいぜい一人、二人落とせたところですぐに気づかれてしまうだろう。一体どうすればいいのか。

 作戦を考えているとフォルスが忍び足で最後尾の兵に迫る。声を上げては奇襲の意味がなくなるので、フォルスを止める術はなかった。

 薙ぎ払うかのように兵を一人ずつ川に落としていく。

 予想通りすぐに気づかれたが、すれ違うことのできない道幅ではフォルスの剛腕から逃れるすべはなく、ただただ川に落とされる順番を待っているように見えた。

 この隙に木々を掻き分け、森からフォルスを攻撃しようとする兵を闇討ちする。

 列の先頭も奇襲に気づき、気が付けば森の中で囲まれてしまう。

 上手く背をフォルスに預ける様に位置取り、少しでもフォルスが兵を間引いてくれるように時間を稼ぐ。

 痺れを切らした兵が斬りかかってくるが、木の枝や幹に邪魔されて満足に動けていない。

 集落と祭壇の分岐点までフォルスが進む。

 集落に進んだ半数の兵士をせき止める形になり、視線で祭壇に行く様に促す。

 兵の数も少なくなったところで、追い越すように祭壇へ走る。兵の先頭は既に二人と接触してしまったかもしれない。

 祭壇の入り口に到着した時には二人の兵士がアンナとフェーデを捕えていた。

 契約の途中だったのか疲労かは分からないが、二人とも満足に抵抗が出来ない様子だ。

 祭壇のある広間は石畳が敷かれており、剣を振るには十分なスペースがあった。

 声を挙げて存在を知らせ、身構えさせる。

 兵は片手で剣を持ち、盾のようにアンナとフェーデを前に出す。

 人質がいれば攻撃してこないと油断しているのだろう。構わず突進してフェーデを捕まえている兵士を斬り倒す。

 フェーデを解放し、そのままもう一人の兵士に迫るが、振り下ろした剣を受けられてしまう。

 予想通り、アンナを盾にするように見せているが危害は加える様子はない。

 ここまで過酷な道を追いかけてくるということは、余程アンナを捕まえることが重要なのだろう。一兵卒がそんな重要人物を傷つけられるはずがない。

 まして国王の花嫁候補となれば、傷つけた瞬間に自分の首が飛ぶだろう。

 アンナには怖い思いをさせてしまうが、この状況であればフェーデの身の安全さえ確保できれば、牽制されることなく戦いに集中できる。

 引き続きアンナを盾にしながら目線が横に逸れた。

 振り返り後ろから迫る兵士を迎え撃つ。咄嗟に受けたので脇腹ががら空きになってしまい、もう一人の兵士に突かれる。身をよじり背負う剣で受けるも態勢を崩して広場に倒れる。

 急いで立ち上がり、剣を構えるも後ろから迫ってきた二人の兵士が、アンナを捕えている兵士を庇うように立ち塞がる。森の中にアンナが連れていかれる。

「アルタ、追いかけて!」

 後ろでフェーデが声を挙げたかと思えば、目の前の兵士に突風が吹き、体制を崩した。魔法で援護してくれたのだろう。

 すかさず片方の兵士の脇腹を斬り抜けて、残る一人をフェーデと挟む様にする。

 フェーデは膝をつき肩で息をしながら右手を兵士に向けていた。おそらく最後の力を振り絞った一撃だったのだろう。

「今だ! 背中にぶつけろ!」

 身をよじりフェーデに対して防御姿勢を取らせる。警戒したフェーデが戦闘不能であることは一瞬で気が付くだろうが、背中から剣を突き刺し戦いを終える。

「フェーデ、大丈夫か!」

 背後の森に逃げて行った兵士に気を取られながら声をかけると、無言で首を縦に振るのが確認できた。

 フェーデの安全が十分に確保できたとは言えないが、急いでアンナの後を追いかける。

 人一人を捕えながら、背後を気にしながら森を突き進むのは容易ではなかったようで、すぐに距離を縮めることができた。このまま行けば追いつける。今一度強く剣を握り、森を抜ける。

 ダールへの山道に出ると、川にはエイズル軍の船が泊まっているのが目に入った。

 逃げていた兵士が崖下を確認した矢先、アンナを川に向けて落とした。

 後ろから斬りつけ、急いでアンナの安否を確認する。

 崖下にも兵士が十数人おり、アンナを受け止めそのまま船に連れ去ろうとする。

 三メートルほどの高さなので飛び降りる分にはどうってことないが、着地する前に下で待ち構えている兵たちにやられてしまう。

 こんな時に魔法や遠距離攻撃の選択肢があれば・・・。

 下流に向って山道を走るも、俺に合わせて崖下の兵たちも着いて来て迎え撃とうとしている。

 十分に距離が空く様に駆け抜けたいが、連戦と全力疾走で動きが鈍ってきた。

 船が煙を吐き出しながら動き出す。

 アンナは船内に連れてかれてしまったのか甲板には姿が見えないが、残った兵を置いて動き出すということは何よりもアンナを攫うことが最優先なのだろう。

 山道は徐々に川との距離を開く様に曲がってしまい、船は遠くなっていく。

 喉が張り裂けそうになるほど息が切れ、倒れる様に転んでしまう。

 全身に力が入らず、地面に寝そべって呼吸を整えていると、目の前で蟻の行列が蝶の死骸を巣穴へと運んでいた。


 二人と合流し、アンナが攫われたことを告げる。

 フェーデは目の前でアンナが連れていかれた事に何も出来なかったと悔やみ、フォルスはエイズルの残党を八つ当たりのように殴り倒していた。

 ひとしきり暴れ終えたフォルスが一息ついて場を仕切る。

「嬢ちゃんがエイズルに連れていかれたのは間違いないだろう。エイズル国王に求婚されたって話だからな、乱暴には扱われないだろうよ」

 さて、と髭を触りながら俺とフェーデの顔を見比べる。

「済んだことの反省は後でいくらでも出来る。これからのことを話そう。確認だが、嬢ちゃんを助けに行くってことでいいんだよな?」

 決まりきったことをいちいち確認されてイライラもするが、全員の目的を揃えて行動することは重要だ。俺たちは今まで目的地が一緒なだけで目的はバラバラだった。

「嬢ちゃんを助けるにあたってお行儀や手段を選んでいる場合ではない、という状況なのは理解できているか? 場合によっては人を殺める必要も出てくるかもしれないぞ」

 一層真剣な顔をし、俺たちに覚悟を問う。

 これまでも戦闘で負わせた怪我で命を落とした人がいるかもしれない。いい子ぶるのはよそう。俺は誰かの命を奪うことになってもアンナを助けたい。

「特に姉ちゃんは信仰する教えに背くこともあるかもしれない。このまま挙式をされちまうようなことがあれば、イグレシア教会で取り計らわれる。それはイグレシア教の総本山に喧嘩を売るってことだ」

 その覚悟がお前にはあるのか、と釘を刺す。酷な言い方だが迷いがあるようであれば無理をする必要はない。人を殺める覚悟というのは、同時に自分が命を落とす覚悟であることを理解しなくてはならない。

 フェーデは眉をキッと結び、真っすぐにフォルスを見る。

「私はイグレシア教徒ですが、同じようにアンナの仲間です。私の信じる教義では家族や親しい人のために尽くせ、という一文があります。もし、本当のイグレシア教会が不正をしているのであれば、私は育てられた偽りの教えに従ってアンナを助けます」

 例えそれが教会に刃を向けることになったとしても。

 フェーデはこの数日心をかき回されていたことだろう。フォルスからイグレシア教会の不正について明かされ、信じたいと願っていたところで、その教えを国教と定めている国の蛮行を目の当たりにしたのだ。胸中穏やかでないのは目を見ずとも分かる。

 よし、本題に入ろう、とフォルスが今一度俺とフェーデの顔を見渡す。

「エイズルに喧嘩を売るためには兵力も兵站も足りん。わしはレベルに力を借りようと考えておる」

 先程の相談を改めて蒸し返した。あの時は迫害など複雑な事情をはらんでいる人たちであれば、フェーデの気持ちも尊重してあげたいと思っていた。

 だが、三人で突撃したところで無駄死にするのが関の山だ。

 一パーセントでもアンナを助けられる可能性が上がるなら迷う必要はない。

 事前に話を聞いていた俺は今すぐにでもレベルに向いたいと考えているが、フェーデはどうだろうか。さっきの言葉を借りるのであれば、レベル人は禁忌を犯す民族だとする教えに育てられたことになる。そう簡単に割り切れるものではないだろう。

 予想に反してフェーデは即答した。

「行きましょう。レベルに行き、そしてエイズルに行き、私は自分が何を信じるべきかをこの目で見ます」

 固く握った拳は震えている。善悪や常識やモラルや信仰を乗り越えることは簡単なことじゃないはずだ。覚悟は出来ても一線を越える恐怖が無くなるわけじゃない。

 それでも勇気を出して為すべきことを為さんとするフェーデの決意に、改めてこの人の強さを感じる。

 フォルスはゆっくりと瞬きをし、それ以上は何も言わずエイズルの船が向った方角を指差す。

「この川を下っていくとレベルの領土に入る。わしが半日も漕げば着く距離だ。気持ちの整理は舟でしろ。舟の手配などはしてやるから飯でも容易しておけ」

 こちらの質問は受け付けない、という態度でずんずんと集落に入っていく。フェーデと手分けして出発の準備を進める。

 まだアンナが連れていかれてから一時間程度だろうか。

 一緒に旅を始めてから、さほど時間も経っていないというのにアンナの存在が自分の中で大きなものになっていたことに気付かされる。

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