第6話 知らない常識

 アンナの活躍から一日半ほど経過し、無事船は予定通りハムンに到着した。

 この船旅の中でアンナは四六時中誰かに声をかけられ、持ち前の明るさで応えていたが、さすがに疲れが見え始めていた。

 船を降りた頃には日も暮れており、まっすぐ宿を目指すことにした。

 同じ港町だからかボスコとハムンの町は比較的似ていた。

 規模はハムンの方が大きいことと、後ろを山で囲まれていることが、大きな違いに思える。あとボスコほど野良猫が見られない。

 日中は市場が賑わうのか、通りのそこかしこで商売用の荷車が見え、散歩するだけでも楽しそうだ。

 貿易のために訪れる旅人も多いのか、宿も複数あり無事二部屋借りることも出来た。船は周りに他の乗客もいたので気にならなかったが、ボスコの時のようにアンナやフェーデさんと寝るのは嬉しい反面、身が持たない。

 簡単に夕食を済ませると、アンナが眠気でグラグラと揺れ始めたので、お休みなさいと言ってフェーデさんがアンナを連れて部屋に戻った。初めての町にワクワクしているものの、三日ぶりのベッドを堪能しているとすぐに寝入ってしまった。


 朝になり三人で食事を取ると、フェーデさんが今後の予定を話してくれた。

「私とアンナはハムンの祭壇にいき、星霊と契約をしてきます。アルタさんはいかが致しますか?」

 私の方が早く契約を終えるでしょうが、それでも戻るのは夜にはなってしまうかと思います、と一日フリーな時間が降って湧いた。昨日から町の散策をしたくてウズウズしていたので丁度良い。

 二人と別れ、フラフラと町を歩いて回る。

 予想通り、朝から通りは賑わいはじめ、威勢の良い声が至る所から聞こえた。

 果物など食べ物を売っている店もいれば、武器や防具を扱う店も至る所にある。

 ファンタジーの世界に胸を躍らせつつ、どんな武器や防具が売っているのかワクワクしながら行ってみるも、想像とは少し違っていた。

 まず剣や斧といった武器が置いていない。正確にはどちらもあるが木や石で出来ている代物だった。魔法使いが持つような杖は数種類売っていた。

 防具はそれなりに充実していたが、皮を鞣した鎧やいかにも魔法が込められていそうなローブが飾られている。

 この世界の戦いは魔法がメインで武器はあまり作られていないのだろうか。

 ふと、重大なことに気が付く。

 金がない。

 辺りを見渡すと、どこの店でも通貨で取引している。当たり前なのだがここまでお金を使うことがなかったので、気にかけていなかった。

 そして、今更ながら文字が日本語だ。問題なく日本語で話せてしまっていたので全く疑わなかった。ここは日本なのか?

 いや、亜人や魔物や星霊がいるのだから日本でないのは分かりきっているが・・・。

 何らかの力でこの世界の言語が俺には日本語で変換されているのだろうか。自分の都合の良いように事が運ばれている気がするが、素直にありがたがっておく。

 そこかしこから良い匂いがしてくるも無一文なので何も食べられない。フェーデさんが帰ってくるまで飲まず食わずか。

 町の外れに木陰を見つけたので寝転んでボンヤリと町の住民を眺めていると、あるものが目に入った。

 レベル人だ。人型のトカゲというか明らかに爬虫類の亜人だろう。二人の亜人は一生懸命に荷車を引いているが、後ろの偉そうな男が罵声を浴びせている。

 フォルスの言っていたことを思い出す。亜人は忌み嫌われている。

 この世界の慣習や文化に口を突っ込む気はないが、奴隷を間近でみているようで気分がいいものではない。いや、俺の世界は見た目も同じ人間なのに奴隷扱いをしていたのだから何倍も胸糞悪いな。

 知らないことばかりだ、と思って町の観察を続けると目に留まるものが増えていった。

 重労働をさせられているレベル人。身なりが綺麗な人と一目で貧しいと分かる人。偉そうに大声を上げる鎧をまとった兵士とそれに委縮する人。

 階級や貧富の差、民族迫害はどうしたって無くせないんだな、と暗い気持ちになっていた矢先に貧しそうな二人の少年が店の食べ物を盗む瞬間を目撃してしまった。

 しかし、すぐに店主にばれて「泥棒だ!」と声を挙げられ、通りは一層騒がしくなる。

 比べて大きい少年は慣れているのかどんどんと逃げていくが、小さい少年は先程の偉そうな兵士に思い切りぶつかってしまった。

「なんだ、このガキは!」

 まだ年端もいかないような少年の胸倉をつかみ持ち上げる。

 追いかけていた店主も事態の悪化を察知し、関係ないとばかりにそそくさと店に戻ってしまう。

「泥棒だという声が聞こえた気がするが、お前、この俺からスリでも働こうとしたのか」

 苦しそうに足をバタつかせる少年に大声を出し、力強く顔を叩くのを見て、身体が動いてしまう。

「おっさん、いい年して恥ずかしくないのかよ!」

 頭に血が上ってしまい、反射的に首を突っ込んでしまった。周囲からの視線で余計なことをしてしまったことを一瞬で後悔した。

 止めに入ったものの、少年は盗みを働いているし、自分からこの男にぶつかっている。

 怒られるのも無理はない。だけど子供を殴るのはやり過ぎだろ。

「なんだ、お前は。このガキの知り合いか」

 立派な赤い鎧を纏い、怒りで顔まで赤く染まっていると思ったが、よく見ると目の焦点が定まっていない。それに酒くさい。酔っ払いかよ。

「知り合いじゃない。けど、そんな小さい子を殴っていれば止めにも入るだろ」

 むしろ取り囲んだ住民は何故誰も声を上げないんだ。それどころか関わりたくないと一人、また一人と散っていき、気づけば通りからは人がいなくなっていた。

「さっきのジジイといい、この町は気に食わんな」

 少年を放り投げて、矛先を俺に向けている。

 腰から杖を取り出し、構え始める。

 咄嗟にその場から離れると、立っていた場所の足元から炎が上がる。

「殺す気かよ!」

 俺の言葉に耳を貸すつもりもなさそうで、男はまた杖を構える。

 慌てて逃げ回るもどんどんと炎が増えていく。

 必死になって回避するも、気が付いたら目の前に男が立っていた。振り上げた拳で、思い切り腹を殴られて露店に叩きつけられる。

 膝をついて吐きそうになるのをこらえていると、男は再び杖を構えた。

 ヤバいと思った時には、石畳が赤くなり炎が俺を包んだ。

 炎の熱さで息ができない、と思ったがさっき殴られた腹が一番痛い。

 炎はしゃがんだ俺を十分に包んでいるが、どうやら服も燃えていないし熱くも何ともない。

 困惑していると男も様子がおかしいと思ったのか、再び炎を燃え上がらせた。

 露店に火が付き、燃え始めるも俺は全く熱を感じない。

「なんなんだ、お前は・・・。魔物か?」

 少し冷静になってきたのか再び杖を構えると、今度は大量の水が波のように襲い掛かってきた。

 無事露店は鎮火したが、俺は全く濡れてもいない。何が起こっているんだ。

 男が段々と気味悪がって後ずさりをし始めた。ハッと気が付き近くの店から木刀を拝借し構える。腹はまだ痛いがチャンスだ。持ちこたえろ。

 予想できない事態に陥って男は明らかに平常心ではない。

 木刀を大きく構え、思い切り殴り掛かると、男は咄嗟に杖で受けてしまい、杖が手を離れて遠くに弾き飛ばされた。

 慌てた表情もすぐに消え、先程のように拳を振り上げてきた。

 拳をよく見て躱し、合わせるように真正面から殴り抜けた。

 よろけそうになったが、すぐに体制を直すと男は地面に突っ伏していた。

 魔物ではなく人を初めて殴ってしまったことの後悔と罪悪感で、息はしばらく落ち着かなかった。


 淡く抱いていた期待を裏切られるように、町の人は俺に関わらないようにしていた。いや、むしろ冷たくあしらっていた。

 燃えた露店の主人は俺に対して文句は言わないにせよ舌打ちをしてきたし、木刀を借りてしまった店に返そうとするも、嫌そうに追っ払われて返すことすら出来なかった。

 どこかで見ていたのだろう住民たちも少しずつ通りに現れ、町の警備らしき男たちがチラッと俺を見るも、そのまま倒れた男を運んで行った。

 俺はいたたまれなくなり、何となく木刀を握りしめながら人気のない町の外れを目指した。

 ふてくされて再び木陰に寝転んでいると、段々と悔しさが込み上げてきた。

 俺が悪いのか? でも罰を受けるようなことであればさっきの警備に連行されていただろう。

 下手な正義感で暴力を振るった自分が悪いのか、と自己嫌悪に陥る。

 辺りが暗くなりはじめてから宿に戻ると、丁度フェーデさんが帰ってきた直後だった。

 俺の様子がおかしいことに気が付いたのか、気晴らしに外でご飯を食べようと連れ出してくれる。殴られた腹のせいで食欲がわかないが、誰かに愚痴りたい気分だったので甘えさせてもらった。

「そんなことがあったんですね。それは確かにショックですよね」

 事の顛末を説明するも、主観を交えて愚痴っぽくなってしまったが、フェーデさんは嫌な顔ひとつせず話を聞いてくれた。

 いくつかお話してもいいですか、と丁寧に俺に了承を得てから話し出す。

「まず、この町の人が冷たく感じられることですが、これはアルタさんのせいではありませんのでご安心ください」

 慰めてくれているが、あの場にいなかったからそう言えるんだろう。

「言葉を選ばないですが、この町の人は冷たい人が多いはずです」

 あまり大きな声では言えませんが、と周りに聞かれていないかを確認するようにつぶやく。

 フェーデさんがそんな言い方をするのにも驚いたが、町の人が冷たいなんてどうしてわかるんだ?

「先日、星霊の加護の話をしたと思います。その土地に祀られている星霊の加護を受けて魔法が使いやすくなったりする、という話でしたね。加護を受けることで星霊の性格や特徴がそこに住む人たちに影響を及ぼすのです」

 もちろん個人差はありますけどね、と言って食事に戻る。

 星霊の加護で性格が変わる? いまいち理解できずに戸惑っていると、一息ついてフェーデさんが続ける。

「例えば、ボスコの方々は大らかで温かい印象を持ったかと思います。あの村にはマーリが祀られていますが、マーリが楽天的というか良くも悪くも細かいことは気にしないというのんびりした性格をしているのが影響していますね。このハムンでは水の星霊であるナムヂーが祀られていました。私も先程契約をして知ったのですが、少し意地悪というか人を信用していないような性格をしていました。なので、アルタさんの行動に関係なく、みなさん元々今日のような態度を取る人が多いはずです」

 そんなに影響があるのか。確かに星霊の加護を受けるのに何も代償がない、というのも虫が良すぎると言えなくもないか。

 あれ、でもそれって・・・。

「それって星霊に意識を操られているとか、洗脳されているということなんですか? フェーデさんやアンナは契約までしてしまってリスクはないんですか?」

 加護を受けている土地に住むだけで人格に影響を及ぼすのであれば、力を借りるために契約までしたら、いつか乗っ取られてしまうのではないか。

「基本的には心配されているようなことはありませんよ。住民の人格に影響が出るというのも毎日の、それこそ長年の積み重ねによるものです。星霊との契約というのも挨拶をして自分のことを知ってもらう、星霊のことをよく知ることで関係を深めることで力を貸してもらっています」

 マーリは聞けば答えてくれるような性格でしたので苦労はしなかったのですが、ナムヂーはなかなか心を開いてくれず大変でした、と困ったような顔でお茶を飲む。

「星霊と強い契約を結ぶのに時間がかかると言っていたのは、それだけ心を開いてもらえないということなんですか?」

「えっとですね。契約に時間がかかるのは二パターンありまして、一つ目は星霊に心を開いてもらえない、つまり契約まで行き着くのに時間がかかってしまうケースですね。今日の私がそうでした。このケースは時間のわりには強い契約にはなりません。二つ目のケースは星霊とのお話が盛り上がって長くなってしまいます。アンナは彼女の明るい性格も手伝っていますが、星霊に好かれやすいようでどんどん質問されるのでしょう。また、彼女もどんどん質問していると思うので、それだけお互いのことを知れることで強い契約となります」

 まだまだ未熟者です、と嫌味のない自虐をしつつ、今度はフェーデさんが質問をしてくる。

「今日のアルタさんのお話は、住民の態度については今の話で説明がつきます。ですが、炎の魔法をかけられて無傷だったという点は全く分かりません。露店に火が付いたり、鎮火できていることを考えると、魔法そのものが失敗していたり、幻覚を見せる類でもなさそうですしね」

 不思議そうにされるが、身に覚えのない耐性に俺も戸惑う。

 何かを思い出したようにフェーデさんは俺に向って手を伸ばす。しばらくすると、

「調子はどうですか? お腹の痛みは無くなっていませんか」

 ボスコで魔法の実演をしてくれたように、今も魔法をかけてくれていたようだ。

「何も変わりません。相変わらず変な痛みがあります」

 そのまま自分に手の平を向けて、フェーデさんは少し考え込んでから口を開いた。

「理由は分かりませんが、アルタさんは魔法が効かないようですね。そんな人がいるなんて聞いたことはないですが、状況から見て間違いなさそうです」

 おそらく俺がこの世界の人間でないからだろう。

「でも治癒魔法も効かないというのは心配ですね。いつも回復薬を使うのは高くつきますし」

 確かに治癒魔法があるということは病院はないのかもしれない。

 まあ、魔法が効かないというだけで有利になることもあるだろう。

 日中の自己嫌悪や落ち込みはフェーデさんと話しているうちに随分と軽くなり、その後は徐々に食欲が湧いてきた俺を急かさず、のんびりと二人で談笑していた。


 アンナが帰ってきたのはまたしても翌日の昼前だった。宿に戻ってくるなり部屋に入り、すぐに寝入ってしまったようだ。フェーデさんと相談し、明日の朝に出発することにする。

 フェーデさんは町長に挨拶に行ってくるとのことだが、俺はあまり気が進まなかったので一人で過ごすことにした。しばらく宿に籠っていたが、それはそれで気が滅入るので、また人気のないところを探して散歩をすることにした。

 星霊の加護で性格に影響がある、という話を聞いてから町を眺めていると、確かに言われてみれば、ところどころでギスギスしているというか冷たい印象の人が見受けられる。自分が嫌われていたわけじゃないことを知って少しだけ安心する。

 それでも昨日のことは忘れないようしたい。間違った正義で人を傷つけたり、アンナやフェーデさんに迷惑をかけたくはない。あの木刀も、見ていると嫌なことを思い出すので捨てようかと思っていたが、自戒のために持っているべきだとも思えてきた。

 草むらで寝転びながら悩んでいると、誰かの影が顔を覆った。アンナとフェーデさんの二人内のどちらかかと思ったが、昨日の二人の少年だった。

「えっと・・・、何かな」

 ムッとした顔で警戒する大きい方と、今にも泣きだしそうな小さい方。

 よく見ると兄弟にも見える。

 しばらく黙ってこちらを見ていたが、大きい少年が痺れを切らした。

「昨日はこいつを助けてくれてありがとな」

 ぶっきらぼうにそれだけ言うと、フンっと鼻を鳴らして背中を向けて歩き出してしまう。

 小さい少年はどうしたものか慌てるも、無言で俺に林檎を渡してすぐに後を追ってしまった。

 一瞬何が起こったのか理解できなかったが、昨日のことについて感謝されていることが分かった。おそらく盗品であろう林檎を御礼に渡すあたり、倫理観がズレていることに可笑しくなる。

 嘘のように心が軽くなった。どうやら俺は人から感謝されたかったらしい。

 この数日、自分の無力さを感じるだけで何もできず役に立てず、同い年のアンナが才能に溢れ人から称えられているのを見て負けたくなかったのだろう。

 子供だなあ、と独り言ちる。林檎はまだ少し青みを残していた。

 齧ってみると瑞々しくて美味しかったが、まだ少し酸っぱかった。

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