第3話 知らない人々

 小舟に乗せられてしばらくすると目隠しと猿ぐつわを外された。

 辺りはすっかり暗くなっており星しか見えない。雨はいつの間にか止んでいた。

 さっきの女が背中越しに声をかけてくる。

「貴様をこのまま私たちの国まで連れていき、牢に入ってもらう。命までは取らないだろうから安心しろ」

 牢なんて日常会話で出てこないような物騒な単語を使われて安心なんか出来る訳がない。

「持ち物を調べさせてもらったが、どうやらエイズル人ではなさそうだな」

「さっきも言ったけど俺は日本人だ! なんだよ、そのエイズル人って」

 身の潔白を証明したいが、何を疑われているのかも分からない。

「口の利き方には気をつけろ!」

「ダリス、静かにしろ。わざわざ夜に行動している意味がないだろう」

 諭すように男を窘める。失礼致しました、と詫びてからダリスと呼ばれた男は黙る。

「貴様も自分の立場を理解することだ。次に声を荒げるようであれば、このまま海に放り出すぞ」

 当たり前のように冷たく言い放つ。この女は俺を海に落とすことにためらいがないことが分かる。

 恐らく隠密行動でもしているんだろう。気に障らないようジッとしていようと思った。

 その時、突然舟が大きく揺れた。波の揺れではなく誰かに揺らされている様に感じる。

 女がダリスに状況を確認するも、ダリスも原因が分からず、必死に揺れを抑えようとする。

 縛られているので舟にしがみつけない。寝そべって重心を低くし、舟のへりに近づく。

 目の前に人の手がヌッと出てきて、外から舟のへりにしがみつく。一際大きな揺れと共に海から男が現れた。


 ずぶ濡れの男が舟に上がる。

 ダリスも相当大きいが、この男はさらにもう一回り大きそうだ。

 夜の海で他人の舟に乗り合わせたことに何の違和感を持っていないように顔の水を拭う。

 突然のことに女も声が出ないようで、出来るだけ距離を置こうと後ろに下がる。

 ダリスがどんな顔をしているか見えないが、きっと同じような心境だろう。

「何か飯はないか。あと酒だな。酌を取ってくれる女がいれば文句なしだ」

 大男はこちらを意に介さず、どうなんだと言わんばかりに三人の顔を見渡す。

「貴様、何者だ」

 まだ少し混乱している様子は窺えるが、冷静に女が問い詰める。

「おお! 女がいるではないか! しかし、まだ子供のようだが仕方がない、酒をついでくれ」

 膝を叩きながら嬉しそうに話す大男を遮るように、無礼者! とダリスが声を荒げる。

 舟のオールを槍のように大男に向けて牽制している。寝そべっている俺の目の前にオールがあるので気が気じゃない。

「貴様の素性によっては酒をついでやることもあるだろうが、生憎今は持ち合わせていない。飯も貴様に施すようなものはない」

 今までの言動やダリスの様子から相当に偉い地位にありそうなものだが、大男の無礼を意に介さず、淡々と要求を断る。

 それではしょうがないか、と頭を掻きながら俺の方を見る。バッチリと目が合った。短髪で髭が生えている男らしい顔には皺が深く刻まれていた。

「見たところ、この坊主はお前たちの仲間ではなさそうだが」

 ジロジロと俺を見て、縛られていることに興味を示す。

「其奴は違う。腹が減っているならそれを食べろ」

 女がフッと小さく笑うと、それに応えるように大男もそれに豪快に笑った。

 縛られている状況ではなく、自分を食うだの言われていなければ、俺ももう少し楽しく聞けていたかもしれないが、勘弁してほしい。

「坊主、飯か酒はないか。あるなら助けてやってもいいぞ」

 ダリスがオールを構えなおしたのが分かる。女の方も緩み始めていた雰囲気を改めて緊張させた。

「心配せんでもお前らとやり合うつもりはない。わしはただ腹が減っているだけだ。この坊主が飯を持っているなら坊主をもらって舟を降りるだけだ」

 そう殺気立つなと二人を窘めるが、面倒臭そうにあしらっているようにも見える。

 しばらくの沈黙の後、女が口を開く。

「いいだろう。我々も急いでいる身なのでな。厄介者が厄介者を連れて行ってくれるなら、こんなにありがたいことはない」

 自分たちで縛りつけておいて厄介者呼ばわりされたのは心外だが、このまま牢屋に入れられるよりいい。

「じいさん、俺の鞄に弁当が入っている。それをやるから助けてくれ」

 話がまとまったな、と大男は嬉しそうに笑い、俺と俺の学生鞄を担ぎ、立ち上がる。

「今度暖かいところで酒をついでもらおうと思う。最後に顔を見せてくれないか」

 理由があって顔を隠している人に、そんなにストレートな言い方するのかと驚きながらも、実は気になっていたのでワクワクしてしまう。

 きっと早くいなくなって欲しかったのだろう。女は無言でフードを脱いだ。

「やはりレベル人だったか。是非一緒に飲みたい美しさだ。また会えるのを楽しみにしているぞ」

 中学生ぐらい中性的な少女だった。まだ子供らしい可愛さが残るが、成長したら間違いなく綺麗な女性になることが想像できる。

 肩に届く白い髪は星の光で銀色に輝き、髪と同じぐらい白い肌は赤い瞳を映えさせていた。

 そして少女の頭からは兎の耳がツンと立っていた。


 岸は思ったより近く、大男は器用に俺の学生鞄を濡らさないように泳いでくれた。対して俺は乱暴に扱われてずぶ濡れのぐしょぐしょだ。

 散々な目に会ったな・・・、と制服を絞りながら現実を受け止めていると、大男はいつの間にか火と焚き、暖を取っていた。

「坊主、早く飯をよこせ」

 言葉は乱暴だが嫌な印象はない。無礼なだけで悪い人ではないのだろう。

「助けてくれてありがとう。多分足りないだろうが、我慢してくれ」

 俺の話を聞いている様子もなく、渡された弁当を開け、勢い良く食べる。

「美味い! 見慣れぬ飯だが美味いぞ!」

 作ってくれた母さんがこのリアクションを見たら、さぞ喜ぶだろうが俺は毎日食べているから有難みを感じない。

 しかし、自分の弁当を美味いといってもらえるのは、何だか恥ずかしいながらも誇らしい気持ちになる。

 それにしてもこのじいさん、改めて見てもでかいな。

 獣のように無駄がない筋肉質な体をしており、全身の至る所に古傷が見受けられる。短い髪は白髪が多く、活力が漲っているから判断つかないが、実年齢は結構上なんじゃないかと予想する。

 豪快に食べる姿を眺めていると、ふとさっきの少女を思い出す。

「食べながらでいいから教えてほしいんだけど、さっきの奴らは何なんだ」

 女の頭に生えていた兎のような耳。ダリスの獣のような腕。

「レベル人を初めて見たのか? 随分と田舎者なのか、ただの馬鹿か」

 珍しいものを見るといった様子で弁当を食べながら答えてくれる。

「亜人だ。魔物と人の混ざった種族として忌み嫌われている。トラブルに巻き込まれたくなかったら関わらないようにするのが良いぞ。悪い奴らではないんだがな」

 それにしてもあの女、どっかで見たことがあるような。と忌み嫌われているらしい人種を意に介さず、平らげた弁当を突き返す。

 亜人か・・・。ファンタジーではお馴染みの竜人だの獣人だのといった種族なのだろう。

 ずっと頭にはあったものの、自分の目で亜人を見たことで確信した。ここは俺がいた世界ではない。

「じいさん、俺は日本から来たんだが、どこにあるか知っているか?」

 答えてくれるなんて期待はしていないが、期待通りのリアクションを返してくれた。

「ニホン? 国の名前か? すまんが聞いたこともない」

 まあ、そうだよな・・・。さっきの遺跡に戻れば日本に帰るヒントがあるかもしれないが、どれぐらい遠くまで運ばれていたのか見当もつかない。

 どうしたものか、と頭を悩ましていると大男が真面目な表情で質問してきた。

「わしはこう見えてイグレシア教徒なんじゃが、イグレシア教は知っているだろう?」

「そんな聞き方をするって事は余程この世界じゃ常識なんだろうけど、残念ながら聞いたこともない」

 ふむと思案し、右手の方角を指した。

「このまま海岸線を半日ほど歩いていくとボスコという国がある。人も親切だろうから世話になればいい」

 尋ねる前に一番聞きたかったことを教えてくれた。あの時、弁当を食べないでおいて本当に良かった。

「助かるよ。じいさんはボスコには行かないのか?」

「わしはエイズルに向かう途中でな。まだまだ距離があるのでお前の面倒を見てやれる余裕はない」

 万が一にも同行させてもらえそうであれば頼りになるかと思ったが、そうそう甘くはない。

「そういえば、さっきのやつらが俺のことをエイズル人かって聞いてきたけど、エイズルってどんな国なんだ?」

 本当に何も知らないんだな、と呆れるように溜息をつきつつ教えてくれた。

「エイズルって言うのは分かりやすく言えば一番でかい国だ。イグレシア教会があることも手伝って昔から偉そうにしている国だ。レベル人はエイズルを始めとしたイグレシア教圏から迫害を受けている。先程のやつらはどうせエイズルと争っている最中なのだろう」

 異世界にも迫害はあるんだな。ファンタジーな世界もそれなりに暗い歴史があるんだろう。

「それでじいさんはエイズルに行くのか。イグレシア教会にいくために」

「そんなところだ」

 と悪そうな顔でニヤリと笑う。

「腹も少しは膨れたし、わしはそろそろ行くぞ」

 よっこいしょ、と立ち上がり、身体を伸ばす。改めて腕を伸ばして立たれるとめちゃくちゃ大きいな。絶対に敵対したくない。

「助けてくれたり、色々教えてくれてありがとう。今更だけど俺の名前は犬飼アルタだ。

 またどっかで会ったらよろしく」

 右手を差し出して握手を求めたが、じいさんは驚いた顔をしたかと思うと、それには応えず大きな声で笑う。

「すまんが男の名前は覚えが悪くてな。まあ、今のでお前が何も知らないのは嘘じゃないということは信じよう。もしかしたら顔ぐらいは覚えてられるかもしれん」

 わしの名前はフォルスじゃ、命の恩人の顔と名前は憶えておけ、と笑いながら海岸とは逆の方向に歩いていき、夜の闇に溶けていった。

 背中越しに手を振ってくれたことは、フォルスなりの友好の証なんじゃないかと嬉しくなった。

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